広島SF大全13 『HIROSHIMA』

広島SF大全12 『HIROSHIMA』 小田 実

 この小説のタイトルは『HIROSHIMA』であって、「ヒロシマ」や「ひろしま」、まさして「広島」ではない。その意味するところは、この作品を読み始めるとすぐに理解できるだろう。

扉にはロス・アラモス科学実験所所長ノリス・E・ブラッドベリーの「武器をつくる目的は人を殺すことにあるのではない。ひとえにそれは誰かが他の手だてを見つけて問題を解決するための時間を稼ぎ出すことにある」との言葉がある。この小説はこの意味を紐解くためのものでもあるのだろう。そして物語が始まる。

それは日本軍のパールハーバー奇襲作戦の寸前に、アメリカ合州国南部の主に牧畜を営む小さな町で始まり、淡々と続いていく。登場人物は多い。白人男性は牧場経営者のジョンと牧場に雇われているジョウ、大牧場主のサム、酒場の主人のジャック、ガソリンスタンドのアル、薬屋のミスター・グリックス、女性は子連れの出戻りスーザン、その妹ペギイ。インディアンがチャックとその甥のロン、ロンの妹のローズ、ジョージ。そして日系人のナカタ一家とタジリ一家。酒場の手伝いをしている黒人ポールとその父親ボッブ。さらに他にも大勢。

ジョウは荒野をいつも駆けている。その荒野の夜明けに、インディアンの伯父チャックが甥のロンに彼らに伝わる天地創造の話をする。それによると現在は三回ほど焼き尽くされたあとの世界なのだという。この第四世界にも終わりが近づいている。やがて選ばれた人々だけがアリ人間の塚に入り、業火を避けることができる。

しかし町は平凡な日常が支配していた。ジョンの牧場がサムに売られ、スーザンはアルと結婚し、ジャックの酒場を手伝っているポールは兵士になり、その仕事を父親ボッブが引き継ぐ。大きな変化がないその日々は、HIROSHIMAを感じさせない。

だが、そこへと至る要素はところどころに存在している。日常のそこかしこにある他者への蔑みは、自分の恐れを払拭しようとする行為でもある。戦いの予感がそれを増幅させていく。頂点に白人がいて、その下にチカーノ、インディアン、日系人、黒人が同じ高さで並んでいる。愚かで、臭く、汚く、ズルく、醜い存在の彼らへのそれは、蔑みの行為である前に当然で、明確で、日常以外の何ものでもない。

そしてある日、戦争が始まり、時間が流れ始める。ある者は軍に志願し、ある者は召集され、町から若者たちの姿が消えていく。そして日常に蔓延していた蔑みは、視線や侮蔑的な言動ではなく、具体的な強制力を行使し始める。日系人の一家はアメリカ国籍の有無に関わらず、収容所に強制移住させられ、居住地の外で暮らすインディアンは退去させられる。

日系の一家の三人の息子たちも事態の推移に選択を迫られる。一人は軍隊に入り欧州で戦うことになる。一人は兵役に就かず日本にも忠誠を誓わないことから、牢屋に収監される。そしてもう一人は日本に帰ることを選ぶ。さらに日系人を蔑む風潮がアメリカ社会をさらに歪にしていく。人々の心に広がっていくそのありようは、いま日本の街頭で行われている在日韓国人・朝鮮人へのヘイト運動にも似ている。

小田実の書く小説は、全体小説と呼ばれている。これもその例にもれない。時代の全体的な動きの中に、人々の生活の機微が丹念に描かれていく。しかしそれらはいわば乾いている。人々は感情を表立って露わにすることない。もちろん彼らの心のうちを描写するが、その理不尽さを声高に批判することはない。ほとんどが時間の流れの中に身を任せている。ただほんの数人がその流れに抗おうとする。例えば、インディアンのホピ族の何人か。もともと平和を意味する部族の彼らは伝統に従って、兵役を拒否する。クエーカー教徒には許されている宗教上の兵役拒否の権利が、彼らには認められておらず、彼らは収監される。そしてまたインディアンの聖地を守るために、立ち退きを拒否する人も現れる。

そういったアメリカ南部の小さな町の人々の描写が、300ページほどの小説の127ページまで続く。ページが進むあいだに登場人物たちは、時代の触手に絡み取られていく。

南部のある日の朝、ロンは巨大な火の玉を目撃して、失明し精神を病む。その光は時代が次の段階には入ったことを示していた。ロンはそのときのことを訴え続ける。しかし人々はそれが何であるのか、まったくわからなかった。

この小説はⅠ、Ⅱ、Ⅲの三部構成になっているが、Ⅰはさらに228ページまで続き、広島で暮らす人々の日常を中心に、太平洋の南の島に進攻してきた南部の町の若者たちの情景がそこに挟み込まれる。ジョウは爆撃機の搭乗員、アルは歩兵、そしてポールは輸送船の乗組員となってその島で一瞬だけ交差する。彼らと、さらにアメリカ南部の町の人たちの様子が、広島の情景に交じり合っていく。

広島に日本で暮らすチョーセンジンと蔑まれる在日朝鮮人の少女乙順(ウルスン)、大阪から縁故疎開して青ビョータンと疎んじられる男の子恵二は、ジョウと同じように走り始める。彼の疎開先の若い女性菊子と友人京子、そしてアメリカから来た、かつてのトミイ、今は富雄である男の子、彼はアメリカではジャップ、日本のスパイと呼ばれ、日本ではアメリカ・スパイと侮蔑され続ける。しかし彼らは気丈にそれらに対していく。

南部の町でも、インディアンの住まいや聖地が暴力的に奪われていく。そこは軍の演習の場になるという。

ポールの輸送船は重要な兵器を運び、帰路に撃沈される。ジョウの爆撃機は撃ち落とされて捕虜となって広島に移送される。

広島の男の子たちは、自分のよって立つ場を見出す。若い女性たちも幸せの場所を掴む。その一人の中には新しい生命が宿る。その直後に彼らの上に強烈な閃光が走る。これでⅠが終わる。

Ⅱでは原爆投下後の広島の惨状が描かれているが、それはたったの8ページのみである。そこでさまよっているのは、捕虜のジョウだった。彼は炎の中で故郷の荒野を見る。焼けただれた彼をアメリカ人だと知ったやはり焼けただれた日本人が囲み、争い、そして折り重なっていく。そのかたまりを黒い雨がたたく。

Ⅲはある病院の一室が描写される。原爆投下の三十年後の世界だ。そこには末期の肺ガンに冒されている老人がいた。彼は自己紹介っぽく平和を重んじるホピ族ではないほうのインディアンで、核燃料の採掘現場で働いていたという。そこに舞う粉が身体に入ったのが病気の原因だった。

その部屋に自分をロンと呼ぶ、ラルフという名の、やはりインディアンの盲目の少年がやってくる。付添いの少女のことを彼はローラというが、実はアンという名前だった。彼もガンに冒されていた。採掘場に近い村にある井戸水を飲んでこうなったのだという。それ以前に川の水を飲んでいた牛や馬や羊も次々と死んでいた。

この井戸水と川の水が連想させるのは、東京電力福島第一原子力発電所の現在である。すさまじい量の核物質がいわば放置されて、そこに毎日400トンもの地下水が曝されている。その行き着く先は、この小説の類を超えたところにあるのかもしれない。

ラルフは老人のことをチャックと呼ぶ。そして伯父と甥であるチャックとロンになったかのように話を始める。ラルフはロンの思い出を語る。火の玉が爆発して、そのまわりで人が踊っていたという出来事。だがアンは、目の見えない彼にそんな記憶があるはずがないという。その病室に白人の将校が入る。彼は度重なる核実験の現場にいて実験台となったアトミック・ソルジャーだった。核物質を採掘する現場で被爆した老人、井戸水に混入した放射性物質で病気になった盲目の少年、そして核実験で被爆した将校、この死の瀬戸際にいる三人が、その病室で体験する幻影が物語の最後を飾っている。

彼らは核によって死んだ多くの人々、インディアン、白人、黒人、アメリカ人、朝鮮人、日本人、あるいは殺した人、殺された人の姿に入れ替わり、または彼らの目の前に現れる。

やがて彼らは将校が調達したヘリコプターに乗って、核実験場から放射性物質を盗み取った。そして天皇の来訪を待つホワイトハウスに、土産のお菓子イエローケーキとして持参しようとする。そのヘリコプターがホワイトハウスに墜落する。そのとき、担当の医師は病室で彼らの死を確認する。そして物語が閉じられる。

このあらすじを見ても明らかなように、この作品の趣旨は原爆の悲惨さだけでなく、そこに至るまでの要素、蔑みや偏見や無知……、その他人間の多くの属性が混沌となり、やがて国家的に規模として、一つの方向にゆっくりと動き出すさまが描かれている。その先に一つの爆心地点がある。

この作品の扉にブラッドベリー博士の言葉が掲げてあったが、結局、そこで開発された武器は時間を作り出すことなく、逆に時間を短縮するという名目の元に、使われることとなった。彼の言葉と対になるように、作品の最後にはホピ族の言葉が引かれている。

「物のことばかり考える人が避難所をつくったりする。心に平和をもつ人は、すでに生命の大きな避難所のなかにいる。悪に対しては何んの避難所もないものだ。黒人であれ、肌色の赤い人、黄色い人であれ、イデオロギーによって世界を分けたりする作業に加わらない人はまちがいなく次の世界に生きることができる。そういう人すべてはひとつになっていて、おたがいが兄弟だ」(ホピ族の予言)

たぶん世界はこの二つの言葉の中で揺れ動いているのだろう。残念ながら、どちらか片方に寄り添っていることは事実なのだが、もう片方があるということが希望であるに違いはない。

(忍澤 勉)

付記:『HIROSHIMA』講談社、1981年。のちに講談社学術文庫、1997年。『The Bomb』として英訳されている。

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投稿者 SF評論家グループ

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