広島SF大全12 『闇よ、名乗れ』


『闇よ、名乗れ』(天瀬裕康)(2010年・近代文藝社刊)

1945年8月6日の広島への原爆投下、それは世界史上というより人類史上の出来事であった。そのことが、「日本SF第一世代」の作家たちに与えた影響は多大なものがあった。我々はこれからどうなるのだろうか? どうすれば、自身を滅亡させる道から逃れることができるのだろうか? しかも、どうやら我々は、既に他の生物を次々に絶滅へと追いやっているようだ。いったい、我々とは、何なのか?SFは、こういった問いに真摯に答えようとした。本作『闇よ、名乗れ』も、そういった問題意識に基づく作品である。

あとがきによると、21世紀になってから〈広島文藝派〉〈医科芸術〉に分載されたものを、「大幅に書き変え」たものだと言う。作者・天瀬裕康(あませ ひろやす)は、本名の渡辺晋(わたなべ すすむ)名義での活躍の方が広く知られているかもしれない。渡辺晋は〈宇宙塵〉の初期からの同人であった。その活躍から、1969年には、石川喬司らとともに「日本SFファンダム賞」を受賞している。天瀬裕康は、1931年、広島県に生まれた。小松左京と同年の生まれである。その意味では、「日本SF第一世代」である。

主人公の名前は、楠那山彦(くすな やまひこ)という。この日本神話に結びつく名を持つ主人公は、広島に生まれ育つ。その生い立ちや成人後の遍歴を追って、本書は書かれている。それ自体が思考実験のような遍歴である。我々が、今、あるような文明スタイルを持ったのは、偶然なのか? 必然なのか?歴史はリセット可能なのか?

ダンテの『神曲』、弘法大師の真言密教、南方熊楠の日本民俗学、友清歓真の神道、ゲーテの『ファウスト』、天草四郎の「島原の乱」、カーソンの『沈黙の春』……さまざまなものが、「闇」の存在を我々に知らせている。だが、闇は名乗らない。常に、名乗らない。その闇の周りを我々はぐるぐると回る。闇をつついて何とか名乗らせようとするのだ。しかし、その過程において、我々はいつのまにか自らをつついて、自ら闇に名乗り始めてしまう。あるいは、何かをつかもうとして、ただ「手袋」だけをコレクションする結果に終わる。
闇はいつも指の間をすり抜ける。

もちろん、作者は知っている。この作品自身もこの「手袋」のひとつに加えられてしまうであろうことを。だから、あえて『闇よ、名乗れ』と、タイトルに示したのだ。それは、我々自身が闇だからなのか? あるいは、それは不幸な偶然の結果なのか? 我々に未来はあるのか? 闇よ、名乗れ! その叫びは、切実である。(宮野由梨香)

カテゴリー 広島SF大全
投稿者 SF評論家グループ

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