広島SF大全9『猫のゆりかご』&…

広島SF大全9

『猫のゆりかご』『スローターハウス5』(カート・ヴォネガット・ジュニア)

BY  YOUCHAN

イラストレーターのYOUCHANさまを紹介します。 YOUCHANさまは〈SFマガジン〉の表紙も描いていらっしゃいますし、TOKON10のスタッフでもありましたから、「SFに造詣の深いイラストレーター」としてご存知の方も多いのではないかと思います。昨年、本名の伊藤優子名義で『現代作家ガイド6 カート・ヴォネガット』を編著なさいました。(監修:巽孝之・彩流社・インタビュー記事がこちらにあります)ヴォネガットへの傾倒ぶりが遺憾なく発揮されています。 そのYOUCHANさまに『猫のゆりかご』『スローターハウス5』について書いていただきましたので、お楽しみ下さい。(宮野由梨香)

猫、いますか? ゆりかご、ありますか?——広島、ドレスデン、ヴォネガット 

2011年末で活動休止したムーンライダーズの最新アルバム『Ciao!』に「ハロー マーニャ小母さん」(作詞:鈴木慶一/岡田徹)という曲がある。リリース直後には、その牧歌的なメロディーから受ける印象とは裏腹に意味深な歌詞がファンの間で大きな話題になった。表題にある「マーニャ」とはキュリー夫人の子供時代の名前であり、歌詞にも科学者の名前がいくつか出てくる。「ロバート小父さん」は原爆の父、ロバート・オッペンハイマー。「アルフ小父さん」はアルフレッド・ノーベル。とくれば、「アルベルト小父さん」が誰のことなのかは想像に難くないだろう。

しかしながら、この曲の「事実は一つで 真実はたくさんある」というフレーズにニヤリとしたものである。そして間髪入れずに続く「難しいことは 珍糞漢だよね」というフレーズ。ここにヴォネガット的な突き放し感を覚えずにはいられないのだ。

ヴォネガットの代表作として『猫のゆりかご』を上げるSFファンは少なくない。アメリカ本国におけるヴォネガットの出世作は1969年に発表された『スローターハウス5』である。六年前に書かれた『猫』は発売後すぐに埋もれてしまい、再販の目処がしばらく立たなかった作品だ。日本では『猫』が『スローターハウス』より先に翻訳され、本家の刊行と邦訳のタイミングが入れ違っている。『猫』が長い間支持され続けているのは、伊藤典夫による洗練された訳語が古びないことや、ディストピアSFとしての面白さが堪能できることがあげられるだろう。

『猫』では嘘ばかりが教義に書かれているボコノン教という新興宗教と、ひとりの科学者が生み出した化学物質による世界の滅亡が軸にある。主人公ジョーナは『世界が終末を迎えた日』という本を書くため、広島の原爆投下の瞬間に、アメリカの重要人物が何をしていたかの資料を集めていた。取材対象の一人、原爆開発に携わった科学者フィーリクス・ハニカーについて、息子のニュートはこのように述懐する。

実験が済んで、アメリカがたった一個で都市を消滅させる爆弾を保有したことがはっきりすると、一人の科学者が父のほうをふりかえって言いました、”今や科学は罪を知った” 父がどういう返事をしたかわかりますか? こう言ったのです、”罪とは何だ?”

フィーリクスは、興味の赴くままに、常温でも溶けない物質、アイス・ナインを生み出すが、厳重な管理もしないまま死去する。それが元で世界が滅びることになるのだが、フィーリクスにはそういうことへの危惧も責任も、当然ながら良心の呵責も一切ない。ヴォネガット自身も、そこに主眼を置くことはなかった。縦糸に化学物質による世界の終わりが、横糸に新興宗教のボコノン教が描かれ、世界への滅亡という壮大な「ほら話」が紡がれていくのである。

タイトル『猫のゆりかご』の原題は Cat’s Cradle。それは「あやとり」を意味する。両手の指に絡げられた紐を見つめれば、そこに猫が見えるだろう。しかし、本物の猫などいないのだ。

ボコノン教の「嘘の上にも真実は築ける」に通じ、更に掘り下げれば、ヴォネガットが物語の中で展開する「世界の滅亡」ですら、無害なアルファベットの組み合わせにすぎない。物語とは、壮大な嘘だ。

ヴォネガット自身、兵士として戦場に赴いた経験を持つ。捕虜としてドイツの非武装都市・ドレスデンに移送され、その地で英米連合軍による無差別爆撃を受ける。九死に一生を得、帰国したヴォネガットは、友軍によるこの爆撃が、アメリカ本国で黙殺されていることに驚いた。ドレスデンのことをモチーフにした『スローターハウス5』のヒットにより、結果としてこの爆撃は広く知られることになる。この本の中でヴォネガットは、死者の数を比較して、広島よりドレスデンのほうが被害が大きかったと記述した。訳者あとがきで伊藤典夫は、ヴォネガットが放射能被害のことを念頭に入れていない点を指摘した。それを踏まえた上で伊藤が述べているように、これはあくまでも被害者としてのヴォネガットの見解なのだ。自国に蔑ろにされたことへの批判あるいはあてつけとも言えよう。

ヴォネガットは講演会で、広島の原爆投下の影響で本土侵攻が取りやめとなり、海兵隊員として沖縄に待機していたウィリアム・スタイロンが一命を取り留めた事実をあげ、広島への原爆投下がスタイロンに関しては正当であると述べたことがある。ヴォネガットは更に「ドレスデンの恩恵を受けたのは、誰でもないこのわたしだ」と自虐的に続けた。この講演を収録したエッセイの締めくくりで、誰の上にも爆弾を落とすべきではないという結論には至るのではあるが……。(『タイムクエイク』『死よりも悪い運命』)

『猫』においてヴォネガットは、広島に投下された原爆開発に寄与した科学者にスポットを当て、無垢で無責任な好奇心のせいで、世界が滅亡に向かう物語を書いた。作家が教訓や警鐘を表現する場合、もっと内面的な苦悩を描くだろう。しかしヴォネガットはそれをしない。事実は一つだが、関わった人の数だけ解釈が存在する。この「解釈」は「ハロー マーニャ小母さん」の「真実」と置き換えることが出来るだろう。

個人的な感情を小説に内在させることは、科学の進歩に対する不信を表現する手段にはならない。教訓は内在させず、客観的な事実をつきつけて、あとは読み手に委ねる。読者と物語の間に起こる化学反応をヴォネガットは知っていた。あやとりのどこにも猫などいないのに、そこに猫を見出すことができるように。

 (YOUCHAN)

 

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投稿者 SF評論家グループ

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