広島SF大全4『紐育、宜候』

広島SF大全4『紐育、宜候』(光瀬龍)

 

 

(初出〈野生時代〉1983年3月号~9月号、1984年1月号~6月号 → 単行本 カドカワノベルズ 1984年9月)

『紐育、宜候』…「ニューヨーク、ようそろ」と読む。
単行本表紙に「昭和20年8月 日本の原爆搭載機がアメリカ本土へ出撃した! 太平洋戦争をめぐる迫真の歴史SF」と書いてある。これは「広島に原爆が落ちなかった世界」を描いた歴史改変小説なのだ。いわば、裏返された形での「広島SF」なのである。
笙子にかもめに元……光瀬作品でおなじみの「時間局員(タイム・パトロール)」たちが活躍するが、主人公は彼らではない。病弱な少年、千葉譲介である。
(この先、ネタバレあります。未読の方はご注意ください。)
徴兵され、出征した彼は、まず「新兵いじめ」に遭う。

夕食が終り、就寝までのわずかな自由の時間は、新兵連中にとっては地獄の時間だった。
「二等兵集れ!」
 一年前に入営している古兵たちは、しめし合わせて新兵たちをならばせ、その日の、彼らのわずかばかりの失敗に事寄せ、針小棒大に言い立ててチクチク責めはじめる。さんざん罵倒したあげくが、
「体を前に支え!」
 などとくる。床で腕立て伏せである。際限もなくやらせる。最初につぶれた者には、鉄拳の大盤ぶるまいが待っているから皆必死でがんばる。なさけないやらつらいやらで、床は汗となみだでびちょびちょになる。
「自転車漕ぎ、用意!」
 ときたら、二つ平行してならべられた机の間に入って両手で体を支える。
「はじめ!」
 で両足を床から離し、自転車のペダルを踏む要領で動かすのだ。
「それ、そろそろ坂になってきたぞ」
 と言われたら、両足を動かす。
「坂はますます急になった。頂上はまだまだ先だ!」
 必死に両足を動かすが、両手で体重を支えているのだから、何分もしないうちに両肩が激痛で耐えられなくなってくる。しぜん、足の動きが鈍くなる。
「この野郎! なまけるんじゃねえ!」
 必死になってがんばっている背中へ、竹刀や丸太ン棒が飛んでくる。
 ウグイスの谷渡りというのがあって、ならべられた寝台の間を、くぐったり上ったり、ひとつおきにくりかえしながら、寝台に上った時に、大きな声で「ホー、ホケキョ」とさけぶのだ。
 その間に、声が小さいとか、動作がおそいとか、さんざんになぐられ、小突かれる。
 こっけいとも悲惨とも言いようがない。
 それが中学生や高校生のような少年ならともかく、やる方もやられる方も二十代の、当時としてはもう十分に分別のついた連中だから、正視に耐えない愚劣で陰惨な雰囲気である。
 人権もへちまもあったものではない。そのような兵舎内の状態を、正そうとする上官もいなかったし、徹底して根絶しようとする軍幹部もいなかった。
 むしろ放置することによって、兵士の思考力を奪い、軍の組織の中に封じこめておこうとする政治的意図があったとしか思えない。(P110)

結構、長く引用したが、この後も、わざと沼にむかって行進させ、濡れねずみになってせき込みながらやっと這い上がってきたのを更に整列させて同じことを繰り返させるとか、自殺者への扱いの惨たらしさだとかの描写がえんえんと続くのだ。もちろん、発狂者もでる。食べものにまつわる話も酷い。
こうしたことが続くと、人は思考力を自ら放棄するようになる。命令を前もって察知し先回りすることによって被害を最小に抑えようとする。
さて、歴史改変で戦局が日本に有利に運ぶとなると、千葉譲介は救われるか?
それが、全く救われないところか、更に悲惨な状況に追いやられていくのだ。

「この爆弾は、マッチ箱の大きさで、大都会ひとつを吹っ飛ばす、という、例の爆弾である!」
 譲介は耳を疑った。――中略――
≪そうか! ついに、世界に先がけて日本がやったのか!≫
 ドス黒い興奮がわき上ってきた。  (P180)

言うまでもなく、この「例の爆弾」とは「原子爆弾」のことである。
千葉譲介は「原子爆弾」を落とす側の一員となり、これを搭載した爆撃機を操縦して、ニューヨークの上空に至る。そこで彼は知ったのは、自分は機密保持のために原爆爆発とともに消される運命にあるということだった。
1928年(昭和3年)生まれで、終戦を17歳で迎えた光瀬龍は、太平洋戦争のただ中で人格を形成した。彼が入院・休学を繰り返した「病弱な少年」であったことは『ロン先生の虫眼鏡』等でも語られている。また、光瀬龍の少年時代の本名は「千葉喜美雄」であった。『紐育、宜候』の主人公の姓が「千葉」なのは、そこから採られているのだろう。
それでは、この物語の主人公の名前はなぜ「譲介」なのだろうか?
譲介……「譲る男」という意味である。
征服の本質とは、実は相手に「譲らせる」ことにある。真に征服するとは、相手の意向を無視して要求に従わせることではない。むしろ、「譲る」という意志的な行為に相手を至らしめることこそ「征服」なのだ。これは、女性が強姦される場面を男性向けに描く時において、最も典型的に示される。過労死してしまう男性も、もちろん自分の意志で働き続けたのだ。
となれば、広島に原爆が落とされた我々の世界において、「原爆」という存在に征服させられたのは、日本ではない。むしろ、アメリカの方だ。
自らの意志で原爆を開発し使用した彼らは、原爆に自らを譲ったのである。
(宮野由梨香)

 

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投稿者 SF評論家グループ

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