広島SF大全17『父と暮せば』

flyer034

『父と暮せば』
井上ひさし作
1994年9月初演(こまつ座第三十四回公演)

417ZD5H9RXL._SS500_

新潮文庫版
2001年2月1日発行

 ヒロシマ、ナガサキの話をすると、「いつまでも被害者意識にとらわれていてはいけない。あのころの日本人はアジアにたいしては加害者でもあったのだから」と云う人たちがふえてきた。たしかに後半の意見は当たっている。アジア全域で日本人は加害者だった。しかし、前半の意見にたいしては、あくまで「否!」と言いつづける。

 この「前口上」で宣言されているとおり、本作品は、原爆を主題にする他の多くの芸術作品と同じく、原爆の記憶を後の世代に語り伝えることを第一の目的としている。そして、原爆問題の難しさに正面から取り組もうとする作品の例に違うことなく、この『父と暮せば』もまた、原爆によって苦しむひとびとの救済がいかにしてありえるかを思考しようとしている。

だから被害者意識からではなく、世界五十四億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである。

原爆の悲惨をくぐりぬけたひとが、いったいどうやってもう一度笑えるようになるのか。そもそもほんとうにもう一度笑えるようになるのだろうか。首肯するには大きな勇気の必要なこの問題に対して「然り!」と、井上ひさしは力強く断言する。「被害者意識」からではなく、「あの地獄」から目を背けるわけでもなく、なお原爆を語り継ぐこと。その井上なりの思索の結晶が、本作である。

 舞台は昭和二十三年の七月。広島市は比治山の東側。福吉美津江の家。稲光におびえ、家に駆け込んでくる美津江のすがたから、物語ははじまる。「おとったん、こわーい!」。すると押入れのふすまが開き、お父さんの竹造が手招きする。「こっちじゃ、こっち。美津江、はよう押入れへきんちゃい」。思わず笑みがこぼれてしまうような、何ともユーモラスでテンポの良い進行に、冒頭から観客は引き込まれずにいられない。とはいえ、先の展開を知る観者なら、このユーモラスな場面の裏に、すでに悲しい設定が仕掛けられていると承知している。美津江は、もともと「ドンドロさん」がいくら鳴ろうと平気で運動場を走り回っていたくらい、お転婆な女の子だった。その彼女が雷を恐れるようになったのは、三年前のことである。あのピカの日から、美津江は雷をこわがるようになったのだった。しかし、ほんとうに悲しさを感じさせるのは、雷をこわがる美津江をなだめる「おとったん」のすがたに他ならない。そう、竹造は、原爆の落ちたあの日に死んだはずなのだから。

 「こげえド拍子もない話があってええんじゃろうか。こげえ思いも染めん話が……」。死んだはずのおとったんが突然あらわれ、美津江は困惑する。けれども、ほんとうを言うと、当の美津江自身が父を呼び出したのだ。美津江のつとめる図書館に、原爆資料をさがしにやってきた木下という青年。この木下さんの一途な様子を見て、ときめいた美津江の恋心から「おとったん」は生まれたのだ。

竹造 […前略…]あの日、図書館に入ってきんさった木下さんを一目見て、珍しいことに、おまいの胸は一瞬、ときめいた。そうじゃったな。
美津江 (思い当たる)……。
竹造 そのときのときめきからわしのこの胴体ができたんじゃ。おまいはまた、貸出台の方へ歩いてくる木下さんを見て、そっと一つためいきをもらした。そうじゃったな。
美津江 (思い当たる)……。
竹造 そのためいきからわしの手足ができたんじゃ。さらにおまいは、あの人、うちのおる窓口にきてくれんかな、そがいにそっと願うたろうが。
美津江 (思い当たる)……。
竹造 そのねがいからわしの心臓ができとるんじゃ。

 美津江の恋心から、「恋の応援団長」として竹造が呼び出された理由。それは、彼女が自分のことを「しあわせになってはいけない」人間だと思い込んでいることにある。「あんときの広島では死ぬるんが自然で、生きのこるんが不自然なことやったんじゃ」。だから、彼女が生きていることはおかしい。自然の摂理に反する不道徳だ。美津江はそう思い込んでいる。というより、そう思い込もうとしている。自分で自分を断罪してふしあわせに生きるなら、愛していたひとびとを失った絶望を「罰」に引き換えて、過去と折り合いをつけることができる。そう信じているからである。けれども、このとき美津江が忘れていることがある。原爆で死んでいったひとびとは、彼女がふしあわせになることを望んだりしないということである。そして、原爆に殺されたからと言って、亡くなったひとびとの全人生が悲惨と決めつけられるわけでもない。それでもなお原爆の死者たちを哀れみ、ひるがえって生きのこった自分自身をさげすむなら、それこそむしろ死者たちを冒涜する行いなのではないだろうか。だから、美津江が必死に「知らないふり」をして、押し隠そうとしている気持ちが、戯曲の中で対話の相手となってあらわれる。美津江を論駁することでかえって彼女を救済するような、ほんとうの善の顕現として。

**

 井上ひさしは、あとがきで自作について解説して、「劇場の機知」という言葉を用いている。1996年に『父と暮せば』のフランス語訳が刊行され、さらにその翌年にフランスで舞台が上演されたとき、当然ながら、この戯曲の持ち味のひとつである広島弁のおもしろさは失われてしまった。しかし、言語の壁をすんなりとすりぬけて、伝わっていくものもある。井上はそう説明する。劇中の人物たちが言葉を紡いだり、身体を駆使したりすることで舞台の上に実現するような特別な時間、特別な空間――演劇的時空間がそれだ。演劇のテーマとは、単に台詞の字義から理解されるだけのものではなく――もしそうだとしたら、広島弁で綴られるこの戯曲は、広島のひとたちにしかわかってもらえない――むしろ、舞台の上でこそ完全なかたちを得て、観客に伝達されるものである。演劇でしか実現できない時空間をつくりあげるためのアイデア。あるいは、演劇の時空間の中でしか描き出せないような特別な主題。それが、井上ひさしの言う「劇場の機知」である。

 あとがきの説明の裏で、井上のほんとうに言いたかったことは、もうおわかりだろう。自分は、世界中のひとびとに広島のことを訴えるため、舞台を通して普遍的に伝達可能なもの――「劇場の機知」に、原爆というテーマを仮託した。そう彼はほのめかしているのである。被爆の苦悩から救われることと、原爆の悲惨を語り継ぐこと。このふたつの問題は、『父と暮せば』の「機知」において交差する。ではその機知とはいったいどのようなものだろうか。それは「一人二役」という手法だと井上は語る。

ここに原子爆弾によってすべての身寄りを失った若い女性がいて、亡くなったひとたちにたいして、「自分だけが生き残って申しわけがない。ましてや自分がしあわせになったりしては、ますます申しわけがない」と考えている。このように、自分に恋を禁じていた彼女が、あるとき、ふっと恋におちてしまう。この瞬間から、彼女は、「しあわせになってはいけない」と自分をいましめる娘と、「この恋を成就させることで、しあわせになりたい」と願う娘とに、真っ二つに分裂してしまいます。

この「願う娘」と「いましめる娘」の対比が舞台上に落とし込まれるとき、父と娘、ふたりの登場人物の対話劇という形式が選ばれることになる。父は、娘の願いを叶えるため、この願いをいましめようとする彼女自身をいましめるために生まれた、もうひとりの美津江なのである。

 もちろん、井上の仕掛けをあらかじめ知っておかないと、観客はドラマを理解できないわけではない。それは劇の中で、ふたりの会話から、ふたりのやりとりから発する摩擦熱を通して観客に――言語の違いを乗り越えて――おのずと感じ取られる。竹造が「願う娘」であるとは、どういうことか。美津江が必死に押し隠している気持ち、言いたくても言えない言葉を、父が娘の代わりに語ってくれるということである。だから、父の語る言葉は、ときに残酷である。終戦から三年経ち、とにかくも日常の生活を送る美津江が必死に目を背けつづけようとしていることを、父は敢えて言葉にするからだ。父の語る言葉は、優しく、茶目っ気たっぷりで、笑いにあふれてもいる。原爆以来、性格がすっかり変わって、無口で愛想なしで、伏し目がちの女性になってしまった美津江がなくしたもののすべてを、父は大切にとって置いているからだ。父の語る言葉は、優しく、残酷で、力強さに満ちてさえいる。美津江が木下さんに宛ててしたため、けっきょく捨ててしまおうとした手紙を、竹造は「おとったんの命令」と言い、投函するよう彼女に強制する。父の命令を聞いた美津江は、声をあげて泣きじゃくる。まるでだだっ子のように。しかし、この父と娘のすがたを通して、自分自身を罪しようとするひとりの人間の苦しみと、罪の苦しみから救われることの痛みとは、たしかに観客に伝わるに違いない。それこそが「劇場の機知」に他ならない。

***

 「おまいはわしによって生かされとる」。美津江のかたくなな心を解きほぐすため、竹造はこう宣言する。この竹造の言葉は、まさに〈御父〉のそれと言って良い。でもそれと同時に、竹造が「美津江のこころの中の幻」でもあるということは、けして忘れてはいけない。いったいどうして美津江の中の「願う娘」は、父のすがたをとってあらわれたのだろうか。言うまでもなくそれは、美津江が父を愛していたからだ。もし「願う娘」が、美津江と同じすがたであらわれるか、それとも、彼女の友人なり知り合いなり誰か別のひとのすがたであらわれるかしていたなら、彼/彼女らは「いましめる娘」を言い負かすどころか、かえって同調していたのではないだろうか。「いましめる娘」に同調して、怨嗟の声をあげ、のうのうと生きおおせた美津江を糾弾していたのではないだろうか。けれども美津江は、「おとったん」が自分にたいしてうらみごとを述べたり、しあわせになるのを妬んだりする光景だけは、どうしても想像できなかった。だから、「願う娘」は父となってあらわれ、美津江自身にみごと打ち勝ったのである。

 原爆の投下という歴史上の或る地点、或る時点で起きた特殊な事件と、その事件の災禍をいかにして別の時代、別の国のひとびとに伝えていくかという普遍的な問題とのあいだに、「家族の愛」という特殊でも普遍でもあるような第三のテーマが、楔のごとく打ち込まれている。「こよな別れが末代まで二度とあっちゃいけん、あんまりむごすぎるけえのう」。原爆によって多くのひとびとが、とてつもなく残酷なかたちで愛しいひとと引き裂かれた。その悲しみ、その残酷さを考えることが、原爆の記憶に向き合うためのひとつの出発点になる。自分たちが何のために、どんなことを語り継ぐのかというそもそもの目的をしっかりと見据え、忘れないための出発点である。原爆を糾弾して、その悲惨を訴えることに理由があるとすれば、それが愛でなくていったい何だろうか。愛が原爆の悪を克服する――こうして書いてみると陳腐きわまりない文句に見える。しかし、たぶん、それはありえることなのだと思う。というより、思うしかない。少なくともぼくには、美津江の論理に反論するすべは見いだせない。彼女が「おとったん」に寄せる完璧な信頼に、異論を差し挟む余地は見つからない。だとすれば、美津江はとてもしあわせなひとなのだ。原爆の悲惨をくぐりぬけてなお揺るぐことのないしあわせが、彼女と共にある。だから、こう言わなければならない。美津江といっしょに、美津江と同じしあわせを見つける日、人類はほんとうの意味で原爆に勝利する、と。(横道仁志)

カテゴリー 広島SF大全
投稿者 SF評論家グループ

コメント

コメントする