【企画】小さなお茶会

「小さなお茶会」は、文字どおりの小さな企画です。一回が約10名のお茶会です。
ゲストの方と参加者が、お茶を飲みながらおしゃべりを楽しむことができればと思
っております。着飾らない歯に衣着せない話の中から、ゲストの思わぬ一面を知る事
ができるかも知れません。
SF大会初心者や、ゲストと話された経験の少ない方にお薦めです。
なお、参加人数が限られます。受付は、先着順となりますので、参加ご希望の方は、
下記にて必ずお申込ください。

企画会場: 4F 和室
受付: 4F 会場前
受付開始時間: 大会初日 午前11時(大会受付開始時間と同時刻)
※すべてのお茶会の受付を行います。
募集人員: 一回10名(予定)

時間割と出演ゲスト(敬称略)
7月20日(土) 一日目
1コマ目 13:00~14:30
梶尾真治(作家)

2コマ目 15:00~16:30
菅浩江(作家)

7月21日(日) 二日目
1コマ目 9:30~11:00
長谷敏司(作家)

2コマ目 11:30~13:00
宇河弘樹(漫画家)

3コマ目 13:30~15:00
笹本祐一(作家)



インターネット配信でこいこんを見る! 聴く!

こいこんでは、公式非公式含め、いくつかのネット配信が行われます。

大会に来られない方は、こちらの配信を視聴し、少しでも雰囲気を味わってください。

 

  • こいこんチャンネル

配信URL:http://ch.nicovideo.jp/sf-con

ニコニコ生放送内で配信する、こいこん公式チャンネルです。

21日(日)の一般公開企画

・     大森望の星雲賞メッタ斬り! リターンズ(21日(日)9:30開始予定)

・     【サカサマのパテマ】吉浦監督ってどんな人?【イヴの時間】(21日(日)11:30開始予定)

上記2つを生配信する予定です。

また、その他の企画を後日配信するかもしれません。

 

  • SF大会 だらだらニコニコ生放送

配信URL:

20日(土):http://live.nicovideo.jp/gate/lv144945483

21日(日):http://live.nicovideo.jp/gate/lv145400336

配信時間:20日(土)11:00(予定)~、21日(日)9:00(予定)~

大会非公式チャンネルです。

会場内の通路脇にちゃぶ台と座布団を用意し、いつ誰がくるか、なにを喋るかもわからない、謎に満ちた配信です。

当日何かを喋りたい人、何かの宣伝をしたい人など大歓迎。

少しでも大会の雰囲気を味わえれば…。

※このチャンネルでは、企画の中継などは一切行いません。

 

  • ネットラジオをやってみた in こいこん

配信URL:http://ustre.am/Bktu

配信時間:20日(土)11:00(予定)~、21日(日)9:00(予定)~

こちらも非公式配信。

いつ誰が登場するかわからない謎番組です。

こちらは主にゲストが登場する内容となっているので、配信ならではの危ない話がどれだけ飛び出すか、そこに注目です。

 

  • 叛逆者とCON$のアニメぐだぐだ企画 in 広島

配信URL:http://ustre.am/COm1

配信時間:21日(日)13:50~15:00予定

配信企画です。

ドンブラコンLでスタートしたこの企画、30回弱を数えるUst配信を経験して叛逆者とCON$は成長したのか?
今年の春アニメから劇場版まで相変わらずのぐだぐだトーク全開でお送りします。
参加者からのツッコミもお待ちしてます

Twitterハッシュタグ #anime_gdgd



広島SF大全19『灯籠』

7月15日になりました。
こいこん開催まで、あと5日間です!
今日の作品は、コメント欄でリクエストをいただいた『灯籠』です。
リクエストして下さった宮本英雄さま、ありがとうございました。

tourou

広島SF大全18 『灯籠』(うえむらちか)
ハヤカワ文庫JA1069・2012年6月刊(書下ろし)

 死者の魂の帰り来る期間……それが「盆」である。

 「盆」の期間、死者はゆかりある土地で、生者とともに過ごすとされている。

 旧暦の7月15日、満月の晩が、かつてはその期間の中心だった。

 明治になって新暦が導入された。その結果、地方によって7月15日、8月1日(宮野の棲む地域はこれである)、8月15日などと、その中心となる日は異なるようになった。

 近代において、言葉も服装も全国統一されていく中、「盆」には地方色が色濃く残された。

 広島の「灯籠」もそのひとつである。

 竹の先を6つに割ってひろげて、そこに紙を貼る。朝顔のような形になったそれは、死者の魂が間違いなく還ってくるための目印になるのだ。本の表紙に描かれた少女が両手で支えているのが、その「灯籠」である。

 少女の名は灯(ともり)。この物語の主人公である。
 
 灯は、8歳の時に交通事故で両親を亡くした。
 
 翌年の夏、灯は灯籠を持って、墓を目指す。

八月十三日
もうすぐ盆がやってくる。
私は自分よりも大きな灯籠を片手に持って、竹でできた柄の先を、半ば引きずるような形で進んでいた。(14頁)

 灯は、たったひとりで、両親の初盆のための白い灯籠を山中の墓に供えに行く途中、「落とし物、みなかった?」(15頁)という不思議な声を聞く。そして、現れた青年・正造と「夢のように楽しいひととき」(51頁)を過ごす。

 だが、正造に再び会えるのは一年後だという。一年のうちのただ4日間……8月13日から16日までの間だけ、彼は灯の前に現れる。

 数年後、中学生になった灯は、学校の中で孤立する。

付き合いの悪い態度。
 両親を事故で亡くした子供。
 これだけでも私が孤立する原因ははっきりとしていた。
 ―――中略―――
 一年の内の四日間。私は幸せで、それ以外は本当にどうでも良かった。
 秋、冬、春、そして夏。気の遠くなるような三百六十一日。
 私はぬけがらのように生きて、そしてあなたに会った。
 会い続けた。 (17頁)

 ここに来るまでに、たいていの読者はこの青年が「この世ならぬ者」であることに気がつくだろう。

 もちろん、灯も気がついている。ただ口にしないだけで、とっくに気がついているのだ。

 そして、十七歳になった灯は、ついにその質問を口から発してしまう。

「死んどるん?」(134頁)

 明かされる「正造」の正体(?)の詳細は、物語を読むに如くはない。

 主人公は本当に灯なのかということについても、読了後にわかることであるから、あえて書くまい。

 ただ、繰り返される「孤児」のモチーフについて、ひとこと述べておきたい。

 灯はどうして「8歳」で温かい両親を亡くすのか?

 たいていの親は、そのころから、ただ「暖かい両親」であることをやめて、子どもに「勉強」を求める。もちろん、近代のシステムの中で生計をたてるには、それが必要だ。しかし、子どもにとってみれば、それまでの「暖かい両親」を失うに等しい。しかも、その両親が暗黙のうちに根ざしているものといえば、彼らが育った時代の「昭和的価値観」つまり、終身雇用・年功序列が生きていたころのものだったりする。こうして、子どもたちは「精神的孤児状況」に追い込まれる。もちろん、その両親にしてからが、そもそも「戦後日本の文化状況」においては、親の世代とは断絶せざるを得なかった「孤児」だったのだ。

 この作品には、「両親死亡による孤児」である少女・灯の姿とともに、「両親が健在でも、精神的には全くの孤児」である少年の姿も描かれている。

 このような「孤児状況」は、男女を問わず「戦後日本」においては、特殊であるどころか、きわめて普通である。その意味で、この作品の描く「死者と生者の入り混じる世界観」は貴重である。それは、かつての我々が普通に持っていたものだった。だからこそ「先祖代々の墓を守る」ことが非常に重要視されていたのだ。

 誰もが、突然、地上に存在するようになったわけではない。

 生きるという自分の歴史は、そこまで命を紡いできた多くのものどもの歴史とつながっている。その意味で、生きるというのは、常に死者たちとともに生きることであるのだが、そのような考え方も、それを感じ取る感性も過去のものとなって既に久しい。

 にもかかわらず、今でも多くの地方が「盆」としている8月15日前後の時期には、帰省ラッシュが起こる。それぞれの土地で、それぞれの土地に根付いたやり方で、盆の行事を行うために、人々は故郷を目指す。

 盆の時期、広島地方では、独特の灯籠が墓を飾る。

 初盆には白い灯籠を。初盆でなければ、色とりどりの灯籠を。

 思えば、この物語は、次の言葉によって始まっていた。

私は今、故郷に帰る新幹線の中にいる。
――中略――
「もうすぐよ。もうすぐ広島じゃけえ」(7頁)

 「盆」の時期に土地が呼び寄せるのは死者ばかりではない。生者もまた呼ばれるのだ。しかし、「かつてこの土地にいたが、今は去った者」という意味で、両者は土地にとっては同じ存在なのかもしれない。

 だから、死者と生者の入り混じるこの物語は、次のような言葉によって閉じられているる。

盆は死者が帰ってくる――そういう季節。(228頁)

 さて、SF大会が「一種の祭」であることに異論のある人は少ないだろう。

 「冠婚葬祭」における「祭」とは、「祖先に対する祭祀」のことである。

 「祭」の催しは、この世とこの世ならぬものとを結ぶためのものである。それは生者と死者とのあわいにおいて成立する。

 ならば、我々も、ともに集おう。

 SFの祭ならば、あの人がここに来ないはずはない。たとえ目には見えなくても、あの人も、あの人も、きっと来ている。もちろん、あの人も。
                             (宮野由梨香)



企画「広島だし蒼穹のファフナー!アニメーションのメカデザイン」にてクリアファイルをプレゼント

FAF大会2日目・21日(日)の午前9時30分~11時、4階_大会議室Bにて企画「広島だしアニメーションのメカデザイン」を行います。
ファフナーの舞台、竜宮島は尾道がモデル!ということで、メカやプロップ、メカ美術を中心に設定を見ながら主にTVシリーズから劇場版まで。
ファフナーのみにとどまらず他のアニメーションのメカデザインについても鷲尾直広氏(蒼穹のファフナー、モーレツ宇宙海賊などのメカデザイン)原由知氏(輪廻のラグランジェなどのプロップデザイン)をゲストにお迎えして語ります。

企画に来て下さった方に鷲尾直広氏イラスト・デザインの『蒼穹のファフナー』翔子クリアファイルを無料配布いたします。
※配布は企画に参加して下さった方、お一人様一枚に限ります。
※参加者多数の場合はジャンケンまたは抽選になります。

また企画終了後にはサイン会会場で鷲尾直広氏のサイン会も行いますので、ふるってご参加ください。



【企画】本屋さん出張販売

紀伊國屋書店さんのご厚意でゲストの皆さんの著作や関連の本、そして広島ならではの本をご用意いただきました。
諸般の事情により、店頭ではたくさんのSF関連の本に触れることが少なくなっており、この機会に気になっている本や新しい本と出会っていただければと思います。

サイン会用の色紙なども扱っておりますので、皆様ぜひ、2Fロビー紀伊國屋書店出張販売にお立ち寄りください。



期日前投票って知ってるかい?

今年のSF大会は、参院選の選挙日でもあります。
他県より来られる方々は、期日前投票をしておきましょう。

え? 期日前投票って何かだって?
そんな貴方にスタッフが説明を書いてくれました。

それではお楽しみください。

 

ご隠居、「不在者投票」ってなんです?あっしは非実在じゃなくて、ちゃんといるんですが、たまたま今度の参議院選挙当日広島に行ってるだけでねえ。

おまえさん、わけの判らないことをおいいでないよ。おまえさん、夜な夜なネットで変なこと調べてるんだろ?

よくご存じで。ちょいと判らないことがあるってえと、すぐググるんでさあ。

だったら「期日前投票」でググってごらんよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9F%E6%97%A5%E5%89%8D%E6%8A%95%E7%A5%A8%E5%88%B6%E5%BA%A6#.E4.B8.8D.E5.9C.A8.E8.80.85.E6.8A.95.E7.A5.A8.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.81.95.E3.81.84
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo05.html#chapter2

おまえさんが利用しようとするのは「期日前投票」っていうもので、病院に入院していて投票に行けない人とか、長い旅に出ていて「期日前投票」にも行けない人は「不在者投票」制度で、郵便で投票したりするんだな。

あ、こうなってるんですねえ。でも、あっしはちょいと人様に云えないえすえふ大会っていうのに出かけるんですが、いいんですかい?そういう理由でも。

いいも何も、公職選挙法48条の2の第1項第2号の「用務(前号の総務省令で定めるものを除く。)又は事故のためその属する投票区の区域外に旅行又は滞在をすること。」になるんだよ。

へえ。

へえじゃないんだよ。おまえさんは大事な選挙権ってえのをもらってるんだよ。いまこの日の本の国はいろいろ大変な時期にあるんだよ。こういう時にこそ、しっかりと自分たちの代表としてふさわしい人をえらばなきゃ、おまえさんの大好きな萌え-でぽろーんてのが、全部規制されちゃって、おまえさん自身が非実在になってしまうんだよ。

えらく恐ろしい話ですね、ご隠居。

まあ、それは大げさなたとえだが、お江戸のAKBの総選挙と違って、CD買わなくても、ちゃんとおまえさんには選挙権ってのがあるんだから、それを行使しないといけないんだよ。お天道様に罰が当たるよ。

で、どうするんです?そういえばご隠居はしょっちゅう全国を旅してるんですが、期日前投票はしたことあるんですかい?

最近は、期日前投票ばっかりだ。へへへ。ところで、おまえさんはA市に住んでたなあ。

ご隠居はB市でしたねえ、そういえば。

お役所ってところは場所が変われば制度もいろいろで、おれが話したことがおまえさんのところであてはまらねえこともあらあな。そこでな、自分の住んでる所の選挙管理委員会ってところへ電話かけて「期日前投票をしたいんだけど、ちょいと教えてくんねえ」って聞くんだよ。選挙管理委員会ってのは、市町村役場とか区役所の中にあるから、代表へかけて「選挙管理委員会へつないでくんねえ」と頼めばいいんだよ。いつ、どこへ、何を持っていけばいいのかを教えてもらうんだよ。

へえ。いつも投票があるうちの隣の小学校に行けばいいんじゃないんですかい?

期日前投票ってのは、たいてい住んでる市役所とか区役所まで行かなきゃなんねえんだよ。また、夜は20時くらいまでしか開いてないから、おまえさんみたいに仕事終わってもまっすぐ帰らず、おかしな本売ってるところにいつも沈んでるやつは、このときばかりは時間までにちゃんと行かなきゃなんねえんだよ。

へい、わかりやした。明日早速行ってきやしょう。

おいおい、まだ選挙は公示前だよ。誰が立候補するか、判って無いじゃないか。だから粗忽者っていわれるんだよ。

じゃあ、ご隠居、いつ行くんですかい?林の旦那は今でしょ!って云ってました。

おいおい、茶化すんじゃないよ。選挙の前になると「投票所入場券」てえのがうちに届くだろ。そいつが来たらそれを持っていくのが、いい塩梅てえところだな。そいつに期日前投票の案内が書いてあったりもするんだ。

へい、わかりやした。じゃ、どうも。

おまえさん、広島いったら、あたしにもみじまんじゅう買ってきておくれ…って、あー、いっちまったよ。



広島SF大全18「怪獣」「深見夫人の死」

616EX1HS3BL._SS500_岡本綺堂「怪獣」「深見夫人の死」(光文社文庫「鷲」収録)
青空文庫でも公開中

 いよいよ開催が近づいてきた。原爆テーマ以外の広島SFにも注目してあれこれと紹介させていただいてきたが、終盤にふさわしい「意外」な作家として、岡本綺堂を紹介させていただきたい。綺堂といえば、現代でもよく知られているのは「半七捕物帳」の作者としてだろう。江戸情緒を豊かに描いた作品として、「捕物帳」というミステリジャンルの先駆として、今も愛され続けている。

だがSFの側から見るならば、怪奇小説作家としての綺堂を忘れることはできない。一昨年の「静岡SF」においても、「修善寺物語」をリストアップさせてもらったし、様々な土地を舞台に怪談を書いた綺堂はとても重宝な作家といえる。

一応「怪談」として書かれたものなのだが、ミステリ作家としての個性を保ったままプロットを展開していくので、非常に独特な手触りが印象的だ。内田百閒ともまた違い、理性的に再構築されたホラーというべきもので、結果としてとてもSFに近いものになっている。

怪談であるから一応怪異が登場するのだが、この怪異が非常に理性的にふるまい、ミステリ的に策を弄して人間に害を及ぼす。時には機械的トリックすら用いて人間を陥れたりする。人間が犯人であればそこで事件は解決なのだが、怪異が相手では捕らえることもできない。その居心地の悪さこそが綺堂怪談の魅力である。

伝統的な怪談では「なぜ」害をなすのか、が読みどころになる。因果応報、つまり動機部分がじっくりと描かれるわけで、そこに情念がねっちりと込められる。だが綺堂怪談はそうではない。「どのようにして」害をなしたかは詳細に語られるのだが、なぜ害をなすのかはまったく語られずにぷっつりと終わってしまう。これが不条理感を高め、SFに近い読み味を引き出す。

それでは広島を舞台とした今回の2本を実際にみてみよう。まずは「怪獣」。SFファンとしてはいろいろと妄想を働かせてしまうタイトルだが、もちろんゴジラは出てこない。タイトルは派手だがむしろ地味で非常に技巧的な話であり、ネタバレにならないように紹介するのがとても難しい。

舞台は広島駅前の旅館なのだが、事件が起きるのはそこではなく、長崎か佐賀の鉄道駅のあるMという町の大きな旧家の旅館でのことらしい。語り手である新聞記者の「私」が、広島駅前の旅館で名物の柿羊羹をつまみながら、知人の理学博士から聞いた話。という二重構造になっている。

ところがこの博士の話が実につかみどころがない。怪談というよりは新聞の三面記事のような旧家の醜聞なのだが、登場人物の行動がどことなくちぐはぐで落ち着かない。一応怪異の仕業、であるような現象が立て続けに起きるが、偶然の一致、と片付けられなくもない。ただ、どことなく生理的に不安をかきたてるような不気味さが漂う。

調べてみたが、長崎と佐賀で鉄道駅があり大きな旧家の旅館が成り立つような「M」のつく町、にはなかなか具体例が見つからない。あえて言うなら長崎県の旧森山町(現諫早市)が該当するが、それほど大きな町ではないし、そもそもこの物語の当時はまだ鉄道が開通していなかった可能性がある。

では「私」は博士にかつがれただけで、他愛のない旅先の与太話なのだろうか。だがそれにしては話が地味すぎるし具体的すぎる。怖がっていいのかどうかもわからないささやかな怪異がかえってリアルさを強める。

ここで二重構造の意味が見えてくる。怪異の舞台は実はどこでもよい現場Xにすぎず、おそらく重要なのは外枠の「広島駅前の旅館」の方なのだろう。鉄道の輸送力が貧弱だった戦前は、関西と九州を結ぶ旅を試みるならばどうしても広島で一泊する必要があった。1894年に神戸-広島に急行が運行したが、当時は9時間を要したとのことである。本作では、九州に向かう旅行者と九州から去る旅行者が広島の宿で出会う。明治以降の近代日本において、広島は九州と関西を結ぶ中継点の役割を持っていたらしきことが分かる。鉄道という文明の力によって隔絶した文化地域が無理やり突き混ぜられ、異文化同士の干渉によって時に思いがけない怪異が発生する…しかもそうした怪異はただ起きるだけでは駄目で、どこかで語られ広まることによつて命を得る。綺堂は、中継基地・広島を、そうした怪異が語られ実体化する魔方陣のような場所と見立てたのかもしれない。

鉄道によって発生する怪異という構造は、次の「深見夫人の死」において、よりはっきりと示される。神戸行き上り列車に呉から乗り込んだ客の荷物から、生きた蛇が発見される。それも一度ではない。何度も何度も、である。さらに驚くべきことに蛇が発見されるのはなぜか決まって列車が福山に着く直前なのだという。客同士に因果関係はなく、もちろん客自身も蛇を持ち込んだ覚えなどない。まるで都市伝説のようなグロテスクな幕開けである。

蛇を持ち込んでしまった客は恐縮して詫びながら降りていく。それと入れ違いに福山から乗り込んできた若い兄妹は、その不気味な蛇の話を聞くと、なぜか真っ青になって慌てて降りてしまう。たまたまその場に居合わせた「私」は、立て続けに起きた不条理な出来事を前に困惑するしかなかった。

それから何年かして「私」は東京で大学時代の恩師を訪問し、あの不審な兄妹の妹に再会してしまう。しばらくは何事もないが、やがて妹は怪しい若い男に蛇をぶつけられるようになる。「私」は福山での一件を思い出すが、関連性がまったく分からない。蛇を投げつける男が兄である可能性が浮上するが、兄妹ともに何も語らないため、謎は深まるばかりである。「私」がなすすべもないままに、兄妹はなぜか次々と蛇づくしの災厄に陥っていく。

ここにも巧妙な二重構造がある。主人公が身に覚えのないまま直接怪異の被害を受けるのではなく、どうやら何か身に覚えのあるらしい兄妹が怪異の不条理な攻撃を受けるのをなすすべもなく見守るだけ、という形になっているのだ。兄妹は何か心当たりがあるらしいのだが、黙して語らないため薄気味悪さだけが増幅し、もどかしさが気持ち悪くつきまとう。しかも大蛇に襲われるなどの分かりやすい怪異ではなく、回りくどいにもほどがあると思えるほどに婉曲的な攻撃であるため、大変に不安が広がる。

一応、結末部で古風な因縁話めいた伝説が紹介されるが、誰一人それでは納得できまい。なぜ蛇なのか、なぜこんなにも回りくどいのかがまったく説明されていないからだ。読者は物語のあちこちをひっくり返して眺め直しながら「なぜこんなことになってしまったのか」と悩み続けることになる。

個人的には、ここにもまた、鉄道が影響を及ぼしているように感じられる。兄妹が住んでいた「福山」は、古代から広島とは別の伝統文化を持つ地域であり、江戸時代は「福山藩」という別の領地だった。現代でも福山の人は広島と同一視されることを大変に嫌い、新聞の地方版も「広島版」と「福山版」が別個に存在するほどである。ところが近代に成立した鉄道網は、分離されることでかろうじて保たれていた均衡を突き崩し、無遠慮に攪拌してしまう。結果としてそこに生まれ出るものは何か。安易な推察など及ぶべくもない。

岡本綺堂とは、そうした近世と近代の攪拌から生まれたカオスを描く作家でもあったのではないだろうか。確かに名前は今もよく知られているが、とはいえ古い作家である。名前は知っていても、実際に読んだことはない、という人も多いのではないだろうか。意外に入手は容易だ。現在では光文社のハンディな文庫版セレクションが刊行されているし、青空文庫や各種電子書籍で読むこともできる。これを機会に手に取ってみてはいかがだろう。思いもかけない近代の混沌がそこには見て取れる。(高槻 真樹)