広島SF大全10『GOJIRO』

『GOJIRO 南太平洋の巨大トカゲと日本少年の愛と友情の物語』
マーク・ジェイコブスン(角川書店)

 本書はニューヨークでタクシードライヴァーを生業としながら『ヴィレッジ・ヴォイス』などに寄稿するジャーナリスト/コラムニストだった著者が、7年がかりでようやく完成に漕ぎ着け1991年に発表した第一長篇小説である。核時代の黙示録的想像力が、多文化主義と新時代秩序に揺れるアメリカで、サブカルチャーにどっぷり浸かった神秘的救済の喜劇として描かれた本作は、トマス・ピンチョンやトム・ロビンズと並び称されるポストモダン文学、アヴァン・ポップの古典としていまもカルトな人気を誇っている。日本人にとって80年代後半のアメリカといえば何と言っても貿易不均衡に由来する「ジャパン・バッシング」という社会現象を想起される向きが多いだろう。テレビで何度も流された過激派のアメリカ人たちが破壊する東芝のビデオプレイヤーが、実際には韓国工場の製品であったというグローバル時代にありがちな混乱のためにいささか滑稽な様相を呈していたように、本作で描かれる核時代を象徴する土地の名「ヒロシマ」もまた、さまざまな誤謬と混乱を重ねたメディア的記号であって、さまざまな感慨を呼び起こさずにはいない。

物語は、南太平洋のどんな海図にも載っていない「放射能島」からはじまる。放射能によって巨大化したトカゲ・ゴジロは、体長150メートル体重50トンの巨体を誇るモンスターにして、16本の怪獣映画に主演した映画スターである。彼は、広島で原子爆弾のために九年間の昏睡状態に陥り、目覚めた後に科学者となった少年コモドとテレパシーで結ばれた親友となって、放射能の犠牲となって突然変異を起こしたゴジロ映画のファンである「アトム」と呼ばれる子どもたちとともに放射能島で暮している。巨大トカゲのゴジロは、トカゲであるにもかかわらず人間的な知性を有しており、その出自から完全に切り離された孤独感と絶望から自死を望むが、何かにつけて《真の親友》と叫ぶコモドに妨げられる。すったもんだの挙句、《一年という期間が経過したあと、一方が命を絶つことを望んだ場合、他方は誠実に、その試みに助力するよう努めなくてはならない》という約束を交わす。そんな頃、二人の元に映画作家シーラ・ブルックスからゴジロに新作映画『ゴジロVSジョーゼフ・プロメテウス・ブルックス——決断の谷』への出演オファーが届く。ジョーセフ・プロメテウス・ブルックスは、すべての元凶である〈熱源〉の発明者であり、ゴジロの宿敵だ。そしてシーラはその愛娘であった。ゴジロは激怒するが、しかしシーラの映像作品をその作り手に無知なまま観客として愛していえたことも知る。この手紙に運命を感じたコモドはゴジロを説得。彼が発明した薬剤によって小さくなったゴジロはコモドのポケットに入ってアメリカへと旅立つ。死んだはずのジョーセフがまるで幽霊のように生きているという謎や、シーラとコモドのロマンスなどのさまざまな事件を孕み、ハリウッドから原爆発祥の地であるニューメキシコへと巨大トカゲと原爆昏睡少年の旅は続く。果たしてゴジロは絶望から立ち直ることが出来るのか?

巻末解説によると、マーク・ジェイコブスンはインタビューで、ギリシャからはじまった人間の歴史はヒロシマとアウシュビッツで一度終り、人間はみずからを地獄に落としたのではないかと言っている。そして日本人はその悲惨な経験からどうやって立ち直ることができたのかずっと関心を持っていた、と。つまり本作は地獄からよみがえる人間の魂の遍歴を、ゴジロ(ゴジラ)という文化的記号を用いて描いた作品であるということだろう。日本におけるゴジラは、アメリカの水爆実験によって怪獣化した古代生物が東京を襲う最初の『ゴジラ』映画から、さして時を置かず次々に現れる新しい怪獣たちから日本を守る「正義の怪獣」へと変貌する。それはまさにアメリカによって齎された原爆の脅威が、未来のエネルギーとして賞揚される原子力発電へと変貌していくのと軌を一にしているが、その「正義」の源であるはずのアメリカで、ゴジロ(ゴジラ)がみずからの本質を見失い苦悩するモンスターとして描かれる本作は、まさに1980年代のアメリカの状況を忠実に写し取ったものだろう。またそこには、戦後アメリカ文化を吸収して独自に発展を遂げた日本のサブカルチャーが、アメリカに逆輸入されて自然化した多文化主義の時代を象徴する現象を見ることもできる。そもそも映画『ゴジラ』にしたところで、その企画そのものはアメリカ映画『原子怪獣現わる』のヒットにあやかったものだったのだから、ゴジラ映画のアメリカ小説への逆輸入という事態に、バックス・ジャポニカ以後という時代状況を濃厚に見てとることができるだろう。

漫画やポップミュージックなどのさまざまな文化的記号をちりばめ、メディアによって全世界的に配信されるイメージの氾濫を、スラップスティックな文体と錯綜する物語で疾駆し現代の神曲とでもいうべきストレートな生命への讃歌へと昇華してみせる著者の手際は見事の一言に尽きる。核をもって神への問いかけと看做すいかにも西洋人的発想のほとんど楽天的な観念性を背景に、ヒロシマで被爆したにもかかわらず原子力を否定しない日本人科学者の援助を得て、世界の決定的なひずみの象徴である怪物化したトカゲが、みずからの本質に目覚めることで世界を救済するというひたすらポジティヴな物語。ここで描かれる「ヒロシマ」は、どうしても我々日本人が知っている現実の広島からは遠い。それ自体が文化的記号であり、アメリカによって(都合よく?)理想化されたイメージとしての土地、土地の名であるに過ぎないわけだ。しかし物語のなかの記号として刻みつけられる「ヒロシマ」という土地の名は、人類の歴史を「ギリシャ」からはじめてしまうような西洋人の世界に刻みつけられた「他なるもの」の象徴として機能しているのだと考えることもできる。マイナスのカードを集めてプラスに転じるような意味で、ヒロシマこそ日本の突破口であり希望なのかもしれないと考えることは、さして牽強付会ではないはずだ。

ちなみに、ジェイコブスンは本書の成功後もジャーナリストとしての活躍を続け、2007年にはベトナム戦没者の棺にヘロインを隠して輸入しぼろ儲けしたギャング、フランク・ルーカスを取材した記事がハリウッドに売れ、リドリー・スコット監督、デンゼル・ワシントン主演で『アメリカン・ギャングスター』として映画化。公開に合わせて出版された文集『アメリカン・ギャングスター』はハヤカワ文庫で翻訳刊行されている。そこに収録された「ママ、家を売る」という1998年の小文は、多文化主義の洗礼を受けたニューヨークについて書かれたとても美しい文章で、『GOJIRO』が生まれた文化的、精神的背景を想像させてくれるものでもあり一読をオススメ。(渡邊利道)