第44回星雲賞参考候補作公開

第44回星雲賞の参考候補作が発表されました。

参考候補作リストは以下のリンクよりご確認できます。

こいこん公式サイト内 星雲賞ページ

日本SFファングループ連合会議内 星雲賞参考候補作ページ

 

また、上記リストはあくまで参考作品であり、リストに含まれていない作品でも星雲賞の対象規定に含まれる場合は、その作品等に投票することができます。
詳しくは下記リンクをご参照下さい。

日本SF大会におけるSF賞選定に関する規定

※第44回星雲賞は、第52回日本SF大会<こいこん>の参加登録済の方だけが投票出来ます。
投票締め切りは5月31日ですので、5月中頃までに大会参加登録をすれば、投票に間に合います!



先月と今月のイラスト

先月の『S-Fマガジン』に掲載されたこいこん広告イラストは、広島在住の漫画家「うぐいす みつる」さんから頂きました。


過去に発売された『よからぬ話(朝日ソノラマ)』は、その可愛い画風とは裏腹に、実体験を描いたリアルな怪談話。
この中には、私の友人のエピソードなども含まれております。

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そして今月号の広告イラストは、広島出身で大阪在住の漫画家「TONO」さん。
現在は徳間書店や秋田書店をはじめ、複数の出版社で連載されています。

で、なぜ2ヶ月分を同じ記事にしたかというと…

このお二方、なんと実の姉妹。
姉妹ユニット「うぐいす姉妹」としての活動もされておられます。
しかも、もう一人ご兄弟がおられ、その方も少年誌で受賞経歴を持つとか。

本当にありがとうございました。



【祝】西島大介「すべちょ」第3回広島本大賞受賞!

こいこんでもゲスト参加してくださる、西島大介さんの『すべてがちょっとずつ優しい世界』が、第3回広島本大賞を受賞されました!

西島大介「すべちょ」が広島本大賞に&SFマガジンで連載 (コミックナタリー)

広島本大賞 と言っても馴染みのない方が多いかと思いますが、広島県の書店員とタウン誌出版4社が地元に縁のある「ご当地本」から、毎回ジャンルを絞って大賞を選出するというローカル賞です。
第3回にあたる今回のジャンルは「マンガ」ということで、多くの強豪を相手取って『すべてがちょっとずつ優しい世界』(略称:すべちょ)が、見事大賞の栄冠に輝きました。

『すべちょ』は、どことは特定されていない小さい島の小さな村、くらやみ村が舞台の寓話。朝が来ないこの村で、静寂ながらささやかで幸せな日々を送っている村人たち。
そんな村に、街からの「ちょっとよくするご案内」の手紙が届いたところから物語が動き始めます。
直接に広島を舞台にしているわけでも、明示的に原発問題を扱っているわけでもありませんが、3.11を経験してしまった我々に、改めて「なにか」を考えなおすきっかけを与えてくれる、強いメッセージを秘めたお話です。

どこか絵本に通じる西島さん特有の優しい絵柄に、多角的なメタファーやふわふわとして抽象度の高いキャラクター(かぼちゃさん、おばけ、西島さん本人を思わせる音楽家も登場)が相まって、読むひと一人ひとりが自分なりの読み方で楽しめる、大賞にふさわしい優れた作品だとおもいます。 SF者としては、「ちょっとよくするご案内」である科学技術と、「優しさや幸せ」という大事なものの関係をつきつけられた気がして、読後しばらく考えさせられてしまいました。 西島さんには、こいこんでもいくつかの企画に出演していただけるようお願いしています。ありがたいことに多大なご協力を賜りまして、これまであまりなかった内容の企画も実現できそうです。

最後になってしまいました。

西島さん、受賞おめでとうございます!

関連リンク

 



【ゲスト】参加表明40名突破ー!

3月20日時点で、新たにゲストとして参加表明を頂いた方々のお名前を発表させて頂きます。

今までに参加を表明されたゲストの方々のお名前は、公式サイトでご確認ください。
http://www.koicon.com/ja/guests.html

なお、本大会では、ゲスト・オブ・オナーの選定はしておりません。
(登録順、敬称略)

  • 福田和代
  • ピアニート公爵
  • 上田早夕里
  • 氷川竜介
  • 東城和実
  • 長谷敏司
  • 腹巻猫
  • 葉月博規
  • 武田康廣
  • 阿部毅


広島SF大全11「タビと道づれ」

たなかのか「タビと道づれ」(マッグガーデン)全6巻

尾道を舞台にした物語をもう一本ご紹介したい。著者は広島県生まれのマンガ家。文字通りご当地作家による作品だ。以前紹介した「扉守」も地元在住者によるものだが、あの作品の中の尾道は外側に向けて開かれた、明るいコミュニティだった。だが本作品の描く尾道はもっと不条理だ。外部と遮断され、延々と同じ一日を繰り返す閉ざされた世界。というといかにも短編めいた設定だが、ご覧の通り全6巻というかなりの大作である。ありふれた閉鎖空間に次々と壮大なアイデアが組み込まれていき、気がつけば非常に大きなスケールをコンパクトな空間に包み込んで鮮やかに着地する。

伏せられている要素が大変に多く、丁寧に説明すれば作品の魅力を削ぐことになってしまうのがなんとも悩ましい。とはいえ何も語らなければ何も伝わらない。少し抽象的になるが、気を配りながら魅力を語ってみよう。

本作品の主人公である15歳の少女・タビは、とても引っ込み思案で気が小さい。人付き合いが苦手なため学校生活が辛く、ある日、子供の頃住んでいたなつかしい尾道(作品内の表記は緒道)へと発作的に旅立ってしまう。そこには、尾道を離れた後もずっと文通を続けていた「航ちゃん」が住んでいるから。「航ちゃん」の言葉こそが、孤独なタビにとって唯一の心の支えだったのだ。

だが久しぶりにたどり着いた緒道は奇妙な法則に支配された異界となっていた。住人たちはごく一部を除いて気付かないまま同じ一日を繰り返し、外部とは隔絶している。異変に気付いた数少ない住人である少年ユキタと駅前の交番に勤務する警官・ニシムラさんは何度も脱出を試みるがうまくいかない。そんな渦中に突然放り出されたタビは、ユキタや ニシムラさんと協力しながら、少しずつ街に隠された秘密を探り出していくことになる。

街の外に出ることができないばかりか、通行不能な道も多く最初は駅前からほとんど移動できない。無理に渡ろうとしても地面が崩れ落ちたり闇の中に沈んだりして大変に危険。やがて通れない道はセキモリという特殊能力を持つ住人たちに管理されていることがわかってくる。通行できる範囲を増やすためにはその道のセキモリからテガタを分けてもらわなければならない。

だがセキモリとは何か。テガタとは何か。緒道はなぜこんな異様な世界に変わってしまったのか。そもそも誰も入ることも出ることもできないはずの場所に、なぜタビは足を踏み入れることができたのか。すべての謎には理由がある。世界の成り立ちの謎が解き明かされていく過程は、これ以上ないほど見事なSFとして結実している。巧妙に張り巡らされた伏線は巧みで、登場人物たちの名前にも重要な意味がある。もちろん「航ちゃん」が誰で、タビと「航ちゃん」が会えるかどうかにも大きな意味がある。

閉じた世界、繰り返す単調な一日、出ることのできない構造。尾道に限らず、地方出身者が必ず抱えるジレンマが具現化しているのが興味深い。生まれ育った土地が好きだという思いと、こんなしがらみだらけの何もない場所から出ていきたいという思い。その二つの間で翻弄される人々。役者を志し「こんな町出ていってやる」と決意したその日に異変に遭遇し、何度も何度もあきることなく脱出を試みるがことごとく失敗するユキタは、その代表格と言えるだろう。

世界から脱出するためには世界を知らなければならない。だが脱出できるほど十分に知った後では、情が生まれ、出て行くことが難しくなってしまうのだ。

だからこそ、この物語の舞台は緒道=尾道でなければならなかった。詩情にあふれた見事な景観はとても印象的で、映画のロケ地として何度も利用されている。だが経済的繁栄からは遠く、若者は時に持って行き場のない閉塞感に苛立ちを感じるだろう。どちらも本当の尾道のいま現在の姿だ。

作品中に詳細に描きこまれた「坂の町」としての緒道の見事な景観は、現実の尾道の風景に基づいており、愛読者によるルポもネット上にたくさんアップされている。単行本を片手に尾道を巡れば、作品そのものの世界が広がっている。その意味では、これほど広島SFの名にふさわしい作品もないだろう。地理的な意味でも心理的な意味でも。

ここでは、作者たなかのか自身によるツイッタールポを挙げておく。
http://togetter.com/li/429557

物語は土地と人とのかかわり、人と人とのかかわりに踏み込んでいく。かわいらしい絵柄が持ち味の作者が大きく作風を変えた転換点となった作品である。

単行本は残念ながら歯抜け状態で何冊か絶版になっており、特に最終六巻はかなりの高値で入手が難しい。だが幸い、各種の電子出版で容易に入手できる。何よりもまず、一度読んでみてほしい。きっと夢中になるはずだ。

この後、現在連載中の最新作「すみっこの空さん」は、カメと少女の哲学的思索をたどった異色作となっている。たなかのかはどこへたどりつくことになるのだろう。これからも目が離せそうもない。(高槻 真樹)

 



【企画】SF創作講座の原稿募集

自主企画「SF創作講座」教材用の小説を募集します。
スキルアップをめざすあなた。プロの目で講評を受けるチャンスです。
簡易印刷で教材プリントを作成し、講師の先生がたと参加者に配布します。

応募規定:一人一作品に限ります。

応募資格:第52回日本SF大会「こいこん」に参加登録しているアマチュアの書き手で大会当日SF創作講座に参加できるかた。

ジャンル:周辺諸ジャンルを含む広義のSF。
ただし雑誌の新人賞へ応募した作品、同人誌に掲載した作品をそのまま転用するのはご遠慮ください。

〆切:平成25年5月6日午後12時必着。

テキストファイル形式で作成した「表紙」「本文」「アンケート」をメールに添付してお送りください。改行ミスや機種依存文字による不備の責は負いませんので、著者による十分な事前チェックをお願いします。

表紙 「作品タイトル」「著者名(ペンネームの場合は本名も併記)」「400字詰め原稿用紙換算枚数」「住所」「連絡先」(作品送付に用いたメールアドレスで可)を明記のこと。

本文 400字詰め原稿用紙換算で、70枚以下。
ルビが必要な原稿は下記文例のように表記してください。
文例:「SF|創作講座《そうさくこうざ》に出す」
( ルビをふる場所のはじまりに|を入れおわりに《》を挿入してルビを入れる)

アンケート(以下一二三の設問にお答えください)
一 応募作品について。
1 作品を書くのにのべ何時間(何日間)かかりましたか。
2 何回書きなおしましたか。
3 誰かにみせて意見を聞きましたか。
4 作中で一番気に入っているところはどこですか。
5 書きにくかったのはどんな部分ですか。
6 ウケるはずだと思ったのはどこですか。
7 これまで書いてきたものとこの作品とで意識して変えたものがありますか、あるとすればそれはどんなことですか。
二 講師の先生にいちばん聞きたいことはなんですか。
三 将来的にはどういう方向を考えていますか。(商業誌デビュー/同人誌/個人の趣味として書き続けたい/その他)

応募先: sf_sousaku2013あっとyahoo.co.jp
(SPAM対策の為あっとを@に変えて下さい)



日本SF大会”超”体験版!

なんと日本SF大会が、今年の「ニコニコ超会議2」に『日本SF大会 ”超体験版”』として参戦することが昨日発表されました。

ニコニコ超会議2の公式サイトはコチラ
http://www.chokaigi.jp/index.html

日本SF大会 ”超体験版”公式サイトはコチラ
http://www.sf50.jp/niconico/index.html

開催は28日(日)の1日のみ。

参加方法等の詳細は、上記サイトよりご確認下さい。

————-ここから中の人の雑記————-

昨日の発表会の映像を見てたんですが、発表直後の会場の

SF大会? なんじゃそりゃ? ( ゚д゚)ポカーン

この空気、きつかった…。

しかし、今の若者にとっての「日本SF大会」のバリューって、こうなんですよね。
毎年、参加者の平均年齢が1歳ずつ上がると言われている日本SF大会。
そこに若い力を注ぎ込むきっかけになるよう、頑張っていただきたいと思います。
「こいこん」としても、微力ながらお手伝いが出来れば、と…|д゚)



【ゲスト】どどんとご紹介

3月5日時点で、新たにゲストとして参加表明を頂いた方々のお名前を発表させて頂きます。

今までに参加を表明されたゲストの方々のお名前は、公式サイトでご確認ください。
http://www.koicon.com/ja/guests.html

なお、本大会では、ゲスト・オブ・オナーの選定はしておりません。

(登録順、敬称略)

  • 大倉 貴之
  • 山本 弘
  • 乙部 順子
  • 葛西 伸哉
  • 江藤 巌
  • 森下 一仁
  • 梶尾 真治
  • 永瀬 唯
  • 嶋田 洋一
  • 永瀬 唯
  • zozi(厳島神社の人)
  • 東 茅子
  • 森瀬 繚
  • 朱鷺田 祐介
  • YOUCHAN
  • 林 譲治
  • 鈴木 銀一郎
  • 宮野 洋美


広島SF大全10『GOJIRO』

『GOJIRO 南太平洋の巨大トカゲと日本少年の愛と友情の物語』
マーク・ジェイコブスン(角川書店)

 本書はニューヨークでタクシードライヴァーを生業としながら『ヴィレッジ・ヴォイス』などに寄稿するジャーナリスト/コラムニストだった著者が、7年がかりでようやく完成に漕ぎ着け1991年に発表した第一長篇小説である。核時代の黙示録的想像力が、多文化主義と新時代秩序に揺れるアメリカで、サブカルチャーにどっぷり浸かった神秘的救済の喜劇として描かれた本作は、トマス・ピンチョンやトム・ロビンズと並び称されるポストモダン文学、アヴァン・ポップの古典としていまもカルトな人気を誇っている。日本人にとって80年代後半のアメリカといえば何と言っても貿易不均衡に由来する「ジャパン・バッシング」という社会現象を想起される向きが多いだろう。テレビで何度も流された過激派のアメリカ人たちが破壊する東芝のビデオプレイヤーが、実際には韓国工場の製品であったというグローバル時代にありがちな混乱のためにいささか滑稽な様相を呈していたように、本作で描かれる核時代を象徴する土地の名「ヒロシマ」もまた、さまざまな誤謬と混乱を重ねたメディア的記号であって、さまざまな感慨を呼び起こさずにはいない。

物語は、南太平洋のどんな海図にも載っていない「放射能島」からはじまる。放射能によって巨大化したトカゲ・ゴジロは、体長150メートル体重50トンの巨体を誇るモンスターにして、16本の怪獣映画に主演した映画スターである。彼は、広島で原子爆弾のために九年間の昏睡状態に陥り、目覚めた後に科学者となった少年コモドとテレパシーで結ばれた親友となって、放射能の犠牲となって突然変異を起こしたゴジロ映画のファンである「アトム」と呼ばれる子どもたちとともに放射能島で暮している。巨大トカゲのゴジロは、トカゲであるにもかかわらず人間的な知性を有しており、その出自から完全に切り離された孤独感と絶望から自死を望むが、何かにつけて《真の親友》と叫ぶコモドに妨げられる。すったもんだの挙句、《一年という期間が経過したあと、一方が命を絶つことを望んだ場合、他方は誠実に、その試みに助力するよう努めなくてはならない》という約束を交わす。そんな頃、二人の元に映画作家シーラ・ブルックスからゴジロに新作映画『ゴジロVSジョーゼフ・プロメテウス・ブルックス——決断の谷』への出演オファーが届く。ジョーセフ・プロメテウス・ブルックスは、すべての元凶である〈熱源〉の発明者であり、ゴジロの宿敵だ。そしてシーラはその愛娘であった。ゴジロは激怒するが、しかしシーラの映像作品をその作り手に無知なまま観客として愛していえたことも知る。この手紙に運命を感じたコモドはゴジロを説得。彼が発明した薬剤によって小さくなったゴジロはコモドのポケットに入ってアメリカへと旅立つ。死んだはずのジョーセフがまるで幽霊のように生きているという謎や、シーラとコモドのロマンスなどのさまざまな事件を孕み、ハリウッドから原爆発祥の地であるニューメキシコへと巨大トカゲと原爆昏睡少年の旅は続く。果たしてゴジロは絶望から立ち直ることが出来るのか?

巻末解説によると、マーク・ジェイコブスンはインタビューで、ギリシャからはじまった人間の歴史はヒロシマとアウシュビッツで一度終り、人間はみずからを地獄に落としたのではないかと言っている。そして日本人はその悲惨な経験からどうやって立ち直ることができたのかずっと関心を持っていた、と。つまり本作は地獄からよみがえる人間の魂の遍歴を、ゴジロ(ゴジラ)という文化的記号を用いて描いた作品であるということだろう。日本におけるゴジラは、アメリカの水爆実験によって怪獣化した古代生物が東京を襲う最初の『ゴジラ』映画から、さして時を置かず次々に現れる新しい怪獣たちから日本を守る「正義の怪獣」へと変貌する。それはまさにアメリカによって齎された原爆の脅威が、未来のエネルギーとして賞揚される原子力発電へと変貌していくのと軌を一にしているが、その「正義」の源であるはずのアメリカで、ゴジロ(ゴジラ)がみずからの本質を見失い苦悩するモンスターとして描かれる本作は、まさに1980年代のアメリカの状況を忠実に写し取ったものだろう。またそこには、戦後アメリカ文化を吸収して独自に発展を遂げた日本のサブカルチャーが、アメリカに逆輸入されて自然化した多文化主義の時代を象徴する現象を見ることもできる。そもそも映画『ゴジラ』にしたところで、その企画そのものはアメリカ映画『原子怪獣現わる』のヒットにあやかったものだったのだから、ゴジラ映画のアメリカ小説への逆輸入という事態に、バックス・ジャポニカ以後という時代状況を濃厚に見てとることができるだろう。

漫画やポップミュージックなどのさまざまな文化的記号をちりばめ、メディアによって全世界的に配信されるイメージの氾濫を、スラップスティックな文体と錯綜する物語で疾駆し現代の神曲とでもいうべきストレートな生命への讃歌へと昇華してみせる著者の手際は見事の一言に尽きる。核をもって神への問いかけと看做すいかにも西洋人的発想のほとんど楽天的な観念性を背景に、ヒロシマで被爆したにもかかわらず原子力を否定しない日本人科学者の援助を得て、世界の決定的なひずみの象徴である怪物化したトカゲが、みずからの本質に目覚めることで世界を救済するというひたすらポジティヴな物語。ここで描かれる「ヒロシマ」は、どうしても我々日本人が知っている現実の広島からは遠い。それ自体が文化的記号であり、アメリカによって(都合よく?)理想化されたイメージとしての土地、土地の名であるに過ぎないわけだ。しかし物語のなかの記号として刻みつけられる「ヒロシマ」という土地の名は、人類の歴史を「ギリシャ」からはじめてしまうような西洋人の世界に刻みつけられた「他なるもの」の象徴として機能しているのだと考えることもできる。マイナスのカードを集めてプラスに転じるような意味で、ヒロシマこそ日本の突破口であり希望なのかもしれないと考えることは、さして牽強付会ではないはずだ。

ちなみに、ジェイコブスンは本書の成功後もジャーナリストとしての活躍を続け、2007年にはベトナム戦没者の棺にヘロインを隠して輸入しぼろ儲けしたギャング、フランク・ルーカスを取材した記事がハリウッドに売れ、リドリー・スコット監督、デンゼル・ワシントン主演で『アメリカン・ギャングスター』として映画化。公開に合わせて出版された文集『アメリカン・ギャングスター』はハヤカワ文庫で翻訳刊行されている。そこに収録された「ママ、家を売る」という1998年の小文は、多文化主義の洗礼を受けたニューヨークについて書かれたとても美しい文章で、『GOJIRO』が生まれた文化的、精神的背景を想像させてくれるものでもあり一読をオススメ。(渡邊利道)