広島SF大全7 『影が重なる時』

 小松左京『影が重なる時』(1964年)

小松左京『影が重なる時』とPTSD(外傷後ストレス障害)

藤元登四郎

  • 小松左京の『影と重なる時』が現在と重なる時

『影が重なる時』は、SFマガジンに掲載された短編である(一九六三年十月号、第四八号;『自選恐怖小説集 霧が晴れた時』角川文庫に収録)。そこでは、真鍋博のイラストがあり、「この世に、突然、幽霊の実在が確認されたのだ。人間ばかりか動物も、いや自動車も列車まで! まるで、実体とその影のように」と表書きがある。 この作品の語り口は見事なもので、私は非常に強い印象を受けたが、時がたつにつれて忘れてしまった。それから約半世紀近くもたってから不思議なことが起こった。「小松左京マガジン」の代表取締役の乙部順子さんと初めてお会いしたとき、ただ、挨拶を交わしただけであったが、『影が重なる時』がその挿絵までも一緒にありありと浮んできたのである。その時私は、この作品がひっそりと影のように自分につきまとっていたことを感じた。それからしばらくして小松左京の死が伝えられた。

なぜ私は、これほどの傑作を忘れてしまったのであろうか、そしてなぜ半世紀もたって突然その細部までよみがえったのであろうか。私はどうしても、この作品について書かなければならないと思った。実際、大変な傑作であるにもかかわらず、『影が重なる時』は不当に埋もれてしまう傾向がある。これもまた不思議なことである。

『影が重なる時』は原子爆弾の恐怖を描いた「究極ホラー」である。実際、これ以上のホラーはあり得ない。この作品が興味深い理由の一つは、発表された時期が原子爆弾を歴史化し始めた頃であったということである。すなわち、時代はガラスのような透明な壁を作り上げて被爆の事実は見えるが、その悲劇を切り離そうとしていた。心理学的な観点からは、急速に成長していった日本経済の背景に、その悲劇を一つの歴史として客観化して、忘れてしまいたいという強力なベクトルが作用していたのである。こうして時代は抑圧に成功したようであった。すなわち、社会は安定し制度は確立され、表面的には戦争の心の傷跡は消えた。ところが、この原子爆弾という厳然とした事実は、たとえ歴史化されて分離されとしても、感情的には決して修正されたり変形されたりすることなく日本人の心の底に生き続けていたのである。

このような風潮の中で『影が重なる時』は執筆された。この作品は、小松左京の人柄を見ると、彼が広島に落ちた原子爆弾の悲劇を抑圧することなく、いかに悩み続けていたかを反映している。例えば、乙部順子の「秘書が見た小松左京」によれば、『虚無回廊』を執筆中に阪神大震災があったので、彼は急遽、その取材に切り替えたが、すっかり疲れ切って「うつ」になったという、(参照1)。このことは、彼が悲しい出来事をまっすぐ見つめ、しかも人格全体で受け止める誠実な人柄であったことを示している。したがって、『影が重なる時』にもまた、原子爆弾から受けた彼の深刻なショックを読み取ることができるといえるだろう。

実は、精神医学的にみると、『影が重なる時』はPTSD(外傷後ストレス障害、posttraumatic stress disorder)を連想させる構造を持っている。もちろんこれはSFであるから、小松左京自身がPTSDにかかっていたのかどうかはわからない。しかし、それほどに彼は人間存在の根底を揺るがす原子爆弾の恐怖を深刻に受け止め、そしてそれをこの作品の中に見事に表現しているのである。こういう次第でここでは、この作品をPTSDと関連させて、精神医学的に考えることにしよう。

  • PTSD―フラッシュバック―PTSDの治療

ここで簡単にPTSDについて説明しておこう。トラウマとは、戦争、災害、重度な事故、レイプ、暴行など生命や身体を危険にさらされた時に受ける精神的ショック、あるいはまた非常に残酷で凄惨な状況や、身近な人々の受けた大きな被害を見た時に受ける精神的ショックである。この精神的ショックがトラウマとなりPTSDを引き起こす。

PTSDにかかると、トラウマが視覚的、聴覚的、そしてその他の身体的現実性を持って、その人の人生に侵入し続ける。しかし、トラウマ性の出来事を体験した人がすべて、PTSDになるわけではない。東日本大震災のときに実際に救助や避難誘導に当たった岩手、宮城、福島の消防団員は、一年半たっても五人に一人(二〇・一パーセント)がPTSDにかかったことが報告された。また、この三県の消防本部の職員一七・四パーセントがかかり、階級が高くより責任が重いほど割合が高かった。このことは、トラウマの原因となった出来事が身近であればあるほど、PTSDにかかりやすい傾向があることを示している。また、その人の心持ち方あるいは性格もPTSDにかかる要因となるようである。

PTSDの症状には、多様な感覚器官における出来事の再体験(フラッシュバック)、トラウマを思い出させるものの回避、自律神経症状における慢性的な過覚醒状態がある。なお、フラッシュバックは、歴史的にみると、LSDやメスカリンなどの幻覚性物質の中毒となって、中毒を離脱した後に生じ、様々な幻視が現れることに対して用いられた。PTSDのフラッシュバックは、事件当時の体験が、幻覚か現実か区別ができないほど身体反応を伴って体験される。このとき起こる過覚醒状態とは、緊張した時に体験するように、心拍増加、冷や汗、呼吸が早くなる、動悸、警戒感、驚愕反応などが起こることである。それが慢性化すると、睡眠障害、食欲不振、性的機能障害、集中力の低下などが起こる(参照2)。さらにここに不安が加わる。

PTSDの治療法は様々であり成書をご参照いただきたいが、要点だけを述べておこう(参照3)。基本的には、トラウマとなる事件があってからなるべく早く、心理的デブリーフィングを行うことである。心理的デブリーフィングとは、その事故が起こってからすぐ、その状況を誰か上司、心理士、医師などに詳しくショックの体験を打ち明けることである。しかし、治療は、しばらく時間がたってPTSDが発症してから開始されることが多い。その場合、薬物療法とともに心理療法がおこなわれる。心理療法は様々あるが、認知行動療法が主流である。認知行動療法は、その事件に対する心の持ち方を修正しようとするものである。PTSDの人は、その事件に対して、悲しみや怒りや恐怖など様々な激しい否定的な感情が起こってきて、極端すぎる不正確な自動思考に陥ってしまう。そこで、これらの自動思考を徐々に変えていって、論理的で役立つ思考に置き換えるように導いていくのである。

認知行動療法と並んで芸術療法もある。芸術療法の理論は、トラウマの経験とそれに関連するスキーマ(注1)は非言語的な形で記憶されるが、芸術の象徴的媒体はそれらに対して治療的な効果を示すという概念に基づいている。芸術療法では、トラウマの内容を審美的な表現方法に関連付けることによって、非言語的なスキーマを修正し、自尊心や希望を与え、恥辱感や罪悪感を軽減させる。

  • 「人影の石」― 謎の七時十九分三十秒

『影が重なるとき』で連想されるのは、爆心地から二百六十メートルのところにある石段についた「人影の石」である。その影の人は、住友銀行広島支店の入り口にある石の階段にいたが、原爆の強烈な熱線を受けてその場で死亡した。周りの石段は白っぽく変化したが、その人のいた部分は黒い影のように残った。小松左京は原爆の悲惨さを象徴的に示しているその石の影に大きなショックを受けたのだろう。それは、原爆の強大なエネルギー、すなわち一瞬にしてその人を溶かしてしまった悲惨なエネルギーを象徴しているからである。それが、小松左京の心とつながり、『影が重なる時』として表現されたのだろう。

この「人影の石」に座っていた人は一体誰だろう。小松左京は、その影から延長線を引いて、時間をさかのぼり、その人がどのような生活をしていたかを想像した。その人は、どのような過程を経て最終的にその石のところに来たのだろうか。

小松左京は、石がT市にある、ある会社の玄関として設定した。その人を連想させる津田という人物が登場する。津田は、深夜に野村からの電話で呼び出された。津田がかけつけると、彼には見えなかったが、野村だけに見えて触ることのできるもう一人の野村がいた。この影、すなわち幽霊あるいはドッペルゲンガーはその本人だけにしか存在せず、第三者にはまったく感じられなかった。客観的に確認する方法は、横から見ていて、その人間だけがどうしても入り込めない空間があるということだけだった。さらに、その奇妙な影は、津田のアパートでも、約半数のところに現れた。しかも、人間ばかりではなく、動物にはその動物の、汽車にはその汽車の影が出現した。ただし、それが出現するのは、T市を中心に半径三十キロの円内に限られていた。そしてついに影は、津田にまで現れたのであった。彼は驚愕と恐怖に陥った。

「よく見ると、それには何だかひどくあいまいな所があった。視覚像としては、奇妙に新鮮さを欠いており、何だか記憶像や、幻覚のように、心理的な映像みたいに見えた。輪郭もぼんやりしたところがあり、時々むこうの風景がすけて見えた。にもかかわらず―彼のはいることのできない空間としては、厳然と存在していた」。

その影が一体何であるのか、すっかり津田は考え込んでいたが、ある日精神病の男と出会った。その男がこの異様な現象のことを理論的に説明したのである。

「時間軸を考えないと、間違いを起こしますよ。―あなたはあなたの幽霊がしめている空間に、はいりこめないのではなくて、時間的にへだたっているから、その幽霊とかさなりあうことができないのです」

この男の謎めいた言葉は単なるでまかせでもなく、狂ったものでもなかった。この男は、一般常識、あるいは固定観念に縛られてはいなかった。一般に私たちは、時間と空間は一致している。たとえば旅行アルバムを見るとき、それは何年前の何時頃であったかという記憶が付いて回る。ところが、その時間を無視すると、私たちは今、旅行した場所にいるということもいえるだろう。ここでいう影とは、時間のルールを破り、時間に先回りして現れた空間のである。(この影は、いわゆる過去の出来事のフラッシュバックではなくて、未来の出来事のフラッシュバックともいえるだろう。)

津田は、その影がなぜ本人にしか見えないのかと尋ねた。その男は
「あなただけに見えて、他の者には絶対見えないものは何ですかな? 夢の中の自分の姿のようなものは」
と答えた。
すべての人々が恐怖におびえていた。
「一度自分自身の幽霊にあった人々はつきつめた表情をしていた。その眼は自己自身の内面を通して、めいめいの幽霊をたえず見つめつづけているようであり、何だかすでに半分死んでいるようにも見えた...それは―恐怖だ!いや、単なる恐怖ではない。自分が他の一切の人々から隔絶されているということを、絶えず内心にささやかれている冷たい恐怖感」。

この影が、決定的な究極の恐怖そのものでなくして何だろう。津田は、その影のはめている腕時計が午後七時二十分頃をさしているのを確認した。さあ、この時間は何を意味するのだろうか? その時間が次第に近づいてきた。街は死の影に覆われて、被爆直後のヒロシマそっくりに見えた。

ついに七時十九分三十秒!となった。突然、天の一角に騒音が巻き起こった。津田は建物の中なら助かると思って、社の玄関に向かって突進した。鼻先にあの幽霊の背中があり、どしんとぶつかった。しかし彼は何の抵抗もなく、幽霊の体の中にすっぽりとはまり込んだ。すべての街の物体が一瞬その影と重なった。同時に、某国の核弾頭が、事故を起こしてその町の上で爆発した。爆心地より三十キロの地域と、何の罪ない人々をはるか時空の外に吹き飛ばした。

  • 影とは何か―究極のホラー― 未来の出来事のフラッシュバック

『影の重なる時』は、これ以上あり得ない究極のホラーである。そこで、まず影についての一般的な考えを述べてから、「人影の石」の影について考えることにしよう。なぜならば、それは、一般にいう影とはまったく質の異なるものであるから。小松左京は、「人影の石」の人影に、津田という人物を設定したが、津田はまた小松左京の分身であるといえるだろう。この分身、すなわちドッペルゲンガーについては、オットー・ランクの有名な研究がある(参照4)。ランクは、ミュッセの詩『十二月の夜』を引用している。

お前の最後の日まで
お前の行くところに必ず私はついて行くだろう
その日には、お前の墓石の上に座りに行くだろう

「お前」というのは影であり分身のことである。分身は、死の意味作用と同時に自体愛(ナルシシズム)と密接な関係を持っている。若い「お前」は鏡に映る美しい青年の姿であり、女性と戯れたりして青春を謳歌している。自我はそんな美しい自分の姿を愛している。しかし次第に年老いていき、最後には墓石にたどり着くのである。普通には、その人と影とは対立してはいるが、共存してうまくやっていくのである。

ところが、自我と影との間に対立が起こると厄介な事件が起こる。自分とそっくりさんの分身が目の前に現れてくるのである。これは、エドガー・アラン・ポーが『ウィリアム・ウィルソン』に見事に示している通りである。ランクはポーの作品を分析して、瓜二つの分身はなぜ現れるのかを検討している。彼によれば、自我は、自分の姿の美しさを保とうと願っているが、一方、鏡に映る分身は冷酷に現実を映し出している。そこで自分の映像に対する憎しみが募っていく。「鏡は真実を映していない、私は若いのだ」というわけである。そうすると、心理学的には奇妙な逆転が起こる。今度は、自分自身がその映像にいじめられているという意識が起こってくる。つまり、映像は年取っているが、自我は相変わらず若さを保ったままであるというわけであり、自我と影とは仲たがいをして分裂してしまう。こうして影は独立して、分身が実際に独立して現れて来る。

しかしながら、「人影の石」の「影」は、ランクのいうような「影」とはまったく質的に異なっている。この石の「影」は科学の力によって生み出されたものである。そして、人間と「影」との存在論的関係を根本的に破壊し、虚無化して現れたものである。これは、人間性の根源的な無視である。人間性に対するこれ以上の悪はあり得ず、その意味で究極のホラーなのである。

『影が重なる時』では、津田に現れる「影」は未来が過去へ戻ってきて、未来完了で現れたのだった。しかし、津田は無邪気に何も知らなかったし、実際、知ることもできなかった。彼は高熱で溶かされる瞬間に、その影が自分の未来であったことを知ったであろう。あるいはそのことを知る時間もなかったのかもしれない。こうしてみると、究極のホラーとは恐ろしい未来が、まったく意味不明の影の姿でつきまとう未来の出来事のフラッシュバックなのである。津田は、小松左京の極限的絶望を反映している。

  • おわりに

原子爆弾は日本人にとって大きなトラウマとなった。特に、その時代に生きた作家たちが、いかにしてそのトラウマを乗り越えていったかは、彼らの小説によく反映されている。小松左京の場合は、『影が重なる時』を執筆して、原子爆弾を非人間的な政治的歴史的レベルから、津田という個人レベルに引き戻した。このポストモダンのパラダイムは、原子爆弾が人間性否定そのものであり、極限のホラーに他ならないという事実が浮かび上がらせるものである。

小松左京は、原子爆弾の悲劇を一人の人間として深刻に受け止めたが、特に「人影の石」にはショックを受けた。これは受容することもできないし、かといって忘却することもできない。彼は、この宙吊り状態を『影と重なる時』としてSF化し、原子爆弾の恐怖を、時間を越える未来完了の影である未来の出来事のフラッシュバックとして表現したのであった。こうして、彼の原子爆弾のトラウマは、SFを通じて未来を信ずる力へと変容していったのである。現在では、3・11を始め、全世界の悲劇的な事件がリアルな映像とともに次々と報道されてくる。私たちはショックを受け続けるのだが、つつがなく生活するためにはそれを抑圧して、歴史化して行かざるを得ない。しかし、抑圧は必ず反作用を及ぼしてくる。すなわち、現在日本では、うつ病の患者が増え、新型うつ病として話題になっているが、これは、悲劇的事件に関する心理的抑圧がその大きな原因の一つとなっていると考えられる。

小松左京は抑圧することなく現実を直視したのであり、未来を作る若者たちを信じていた(参照5)。ここでもう一度SFは、小松左京が『影が重なるとき』で創始したパラダイムを継続し、現実から逃避することなく、人間性を回復させるべき使命を確認すべきであろう。

  1. スキーマ:ある対象や状況を認知したり、記憶したり、再生するときなどに働きかける土台となる図式的知識であり、また行動計画としても働く
  • 参照文献
  1. 乙部順子「秘書が見た小松左京」『追悼 小松左京』河出書房新社、二〇一一、. 八〇‐八六頁。
  2. エドナ・B・フォア、テレンス・M・キーン、マシュー・J・フリードマン、飛鳥井 望他訳『PTSD治療ガイドライン』金剛出版、二〇〇五。
  3. エドナ・B・フォア、エリザベス・A・ヘンブリー、バーバラ・O・ロスバウム、金 吉晴他訳『PTSDの持続エクスポージャー療法―トラウマ体験の情動処理のために』星和書店、二〇〇九。
  4. オットー・ランク、有内嘉宏訳『分身 ドッペルゲンガー』人文書院、一九八八。
  5. 最相葉月『小松左京 地球の上に朝が来る』SFマガジン、二〇一一、四月号、二一七-二二三頁。