『怪奇大作戦』第5話「死神の子守唄」

日本映画史に不朽の名を残す東宝映画『ゴジラ』の特殊技術を担当したのは、円谷プロダクションの創設者として名高い円谷英二である。円谷プロは『ウルトラQ』『ウルトラマン』などの特撮テレビ番組を次々と世に送り出し、特撮物をテレビ番組のジャンルとして確立することに貢献し、一時代を築いた。

 『ウルトラセブン』の後番組として1968~69年にかけて放映されたのが、円谷プロの最高傑作とも呼ばれる『怪奇大作戦』である。円谷英二の名を監修者の名に持つこの番組は、彼の出世作である『ゴジラ』と深い類縁性を持つ番組である。

 第一に科学的知性が悪を倒すという基本的構図は、『ゴジラ』と『怪奇大作戦』の両作品に共通している。『ゴジラ』では、平田昭彦演じる物理学者芹沢大介博士が開発した「オキシジェン・デストロイヤー」によって、東京を火の海にした無敵のゴジラは滅ぼされる。一方『怪奇大作戦』では、SRI(科学捜査研究所)と呼ばれる特別チームが警視庁の手に負えない犯罪者たちを科学の力で制圧する、という設定になっている。

 第二に、悪を倒すはずの科学者が倒される側の悪に感情移入してしまう、という複雑な陰影が作品を彩り、そこに昭和のある時代の影を反映させている、という点で、『ゴジラ』と『怪奇大作戦』は共通している。ゴジラを倒すヒーロー芹沢は、戦時中に片目を失い、アイパッチをつけた不吉な顔を常に観客に晒しているが、この影を持つ人物を、加藤典洋は「芹沢には、戦後、行き場をなくしたばかりでなく言葉すら失った戦中派の暗さが、よく現れている」(「さようなら、『ゴジラ』たち」)と評している。また加藤は、ゴジラを太平洋戦争で死んだ日本兵の怨霊であるという視点を打ち出しているが、ゴジラと芹沢は戦後日本に対して、屈託あるスタンスを共有しているのだ。ゴジラを倒した芹沢は、命綱であるロープを切断し、海底へと沈んでいくが、このエンディングはゴジラと芹沢の心中とも受け取れる。

 『ゴジラ』での平田昭彦の存在感は際立っている。平田の肉体が湛える独特な虚無は、ゴジラの存在感と拮抗している。クイズ番組「ぴったしカンカン」(久米宏司会による)での「平田のおじさん」しか知らない私にとっては、『ゴジラ』の平田はいささか驚きだった。おそらくは『ゴジラ』を通して平田ファンとなった音楽評論家の片山杜秀は、中学生の時に、帝国劇場出演中の平田の楽屋を訪れ、以後彼と文通を交わすようになるが、片山は平田の戦後史を次のように描いた。「陸軍士官学校在学中に敗戦をむかえ、戦後、東大法学部を卒業するも、もう国家には仕えられないと官僚の道を進まず、民間企業に入るもそれもいやだと辞めてしまい、昔なら賤業の役者に身をやつした」(『音盤博物誌』)そのような平田昭彦における、『ゴジラ』の芹沢博士から「ぴったしカンカン」の「平田のおじさん」への歩みのうちに、日本の戦後の変遷が垣間見られるように思われる。

 『怪奇大作戦』も、『ゴジラ』同様、翳りに同調する傾向を強く持っていた。芹沢の役を担うのは岸田森が演じる牧史郎である。SRIの実質的なリーダーであり、犯罪を読み解く科学推理を一手に引き受けている。いかにも科学者らしい立ち振る舞いを日ごろから見せるが、SRIのメンバーの中で、牧を際立たせているのは、時代の裏側に秘された敗者の恨みに対する感度が極めて高いことにある。影を担える肉体を牧史郎=岸田森は特権的に有しているのである。このような肉体的資質は、戦後生まれという設定の三沢京助(勝呂誉)や野村洋(松山省二)には無いものである。ちなみに牧は1941年生まれの設定になっている。ところで最近、岸田森の目鼻立ちが若い俳優の加瀬亮に似ていることに気づいた。加瀬もまた、翳を担える肉体の持ち主である。加瀬は好青年から犯罪者まで演じ得る奥行きの広さを持っている。

 岸田は、『スタートレック』のスポックのようなエイリアン性をごく自然に身に纏っているが、本人は自分のことをいたって普通人と考えていた。人から「変わっている」と指摘されて、初めて自分の異質性に気づくほどだったという。とはいうものの、樹木希林と結婚していたという事実からも、岸田の特異な存在感がうかがえよう。また、女優の岸田今日子とは従妹の関係に当たる。彼の独特な存在感は、クセのある映画人の感性や想像力を刺激するらしく、実相寺昭雄、岡本喜八、神代辰巳の作品の常連だった。とりわけ山本迪夫が監督した『呪いの館血を吸う眼』でのドラキュラは当たり役で、岸田の名を不動のものとした。吸血鬼の悲哀を見事に表現していると評される(文学座の後輩である長谷川博巳は岸田の崇拝者で、岸田の当たり役ドラキュラを演じることを俳優としての夢にしているという。これほどまでに、俳優や監督を虜にする存在はそうめったにいない)。岸田には正常人と異常人、良市民と犯罪者、この世とあの世のような境界線の危うい領域を、肉体において生きる、という稀有な才能が備わっていた。同年代の山崎努とも通じる狂気を孕んだ肉体の持ち主であった。

 そのような牧の特殊な資質は「悲壮なプロファイラー」と呼ばれもするが、その特徴がよく出ているのが第8話「光る通り魔」、第16話「かまいたち」、第25話「京都買います」のような作品であろう。そしてまた、ここで取り上げる「広島」と関わる第5話「死神の子守唄」も、影と戯れることに成功している作品だ。

 多くの『怪奇大作戦』のストーリーがそうであるように、第5話「死神の子守唄」も夜の闇を背景にしている。『怪奇大作戦』でも冴えた演出を見せつけた実相寺昭雄は、美しい若い女性を夜の闇の中に走らせる。ファーストショットで、実相寺の登録商標とも言える極端なアップが、夜の闇に浮かび上がる女性の恐怖に歪む顔をとらえる。「誰か助けて」と悲鳴を上げる女性の小走りに逃げ惑う姿を横からとらえたショットがそれに続き、再び女性のアップ、拳銃のような道具のアップの後、銃の光線によって冷凍化された女性の肉体が映し出され、緊迫した空気を切り裂くかのように、噴水池にダイヴする氷の肉体の画面が続く。こうした一連の小気味よいショットの連鎖がSRIが追うことになる連続殺人事件の導入となる。

 この陰惨な事件の背後にあるのは、昭和20年の広島への原爆投下による「体内被曝」という重たいテーマである。この問題を物語として語ろうとするならば、子供番組として放映された『怪奇大作戦』の30分番組という枠組みはあまりに短すぎる。物語が成立するには90分ぐらいの尺が必要であろう。じっさい、「死神の子守唄」は物語として見るなら、ご都合主義的であり、おかしな矛盾が散見される作品である。けれどもこの作品がリアルな感触を見るものに伝えるのは、肉体の実在感を確実に映像内に定着させているからだ。

 ところで、この作品を未見の方のために、まずはストーリーを見てみよう。不可解な殺人事件を追うSRIは、事件にスペクトルG線が使用されていることを突き止める。スペクトルG線とは、原爆病を治すことができると言われているが、そのためには原爆以上の熱量が必要なため実現不可能とされている科学技術である。ところがそれを逆転させて、冷凍化の方向で実用することを考えついたのが天才科学者吉野貞夫である。彼の動機は、体内被曝によって、肉体を犯された妹を救うことにある。妹は高木京子という芸名で「死神の子守唄」をヒットさせる歌手だが、三沢京介と淡い恋愛感情を交わすことになるだろう。広島(戦争)の影を引きずる人間の犯罪という物語は、『ゴジラ』や松本清張作品のように衝撃的だが、それにもまして、この作品が印象深いのは、再び言えば、ある恨みの感情に捻じ曲げられた肉体のリアリティをとらえていることにある。

 そしてその肉体のリアリティは、広島の悲劇をも含んだ時代の呻きを正確に伝える類のものであった。『怪奇大作戦』DVDボックスに寄稿された文章で、社会学者の宮台真司は、「平成の希薄さ」と対比される「昭和の濃密さ」を強調しているが、ここに横溢しているのは闇としての肉体である。そしてそれが実在したのは、正確には、昭和全般ではなく、せいぜい昭和40年代までである。上野昂志によれば、それは60年代の終わり(昭和44年)までとなる。上野の『肉体の時代』は「体験的‘60年代文化論」というサブタイトルがある。

 上野は60年代を肉体の時代と規定し、そこに肉体としての大衆の状況を感受していた。例えば、『二匹の牡犬』(64年)の緑魔子に「すでに根を断ち切られ、どこにも行くことができないままに、否応もなく現在を流れていく下層大衆の歪んだ肉体というべきもの」を見いだし、つい最近死去した大島渚の異色作『天草四郎時貞』(62年)に「集団抗争時代劇」が描こうとした「黒々とした死」を感受する。「実際、いま『天草四郎時貞』を想い出してみても、何か、真っ暗ななかを人々が動き回っていたという印象がまずするぐらいに黒々としていた」

 「死神の子守唄」も、同様、黒々とした画面が印象的で、とりわけ最後の犯人逮捕の場面では、夜の中でさらに、機動隊が投下する発煙筒のせいで、画面に何が映っているかわからなくなる瞬間がいくつかある。だがその画面の濃密な力は、今のテレビではなかなか見ることのできないものだ。そしてその60年代的濃密さをさらに決定づけるのが俳優の肉体である。一度聴いたら忘れられない挿入歌を歌う高木京子を演じる深山ユリの憂い顔は、見る者の胸を打たずにはいられない。また、彼女の兄を演じる草野大悟の怒りと哀しみで押しつぶされる直前のような歪んだ表情と肉体は、岸田森を凌ぐ強度を持ち得ている。警察官に取り押さえられ、妹に向かって「京子、後は麻生博士に頼め」と叫ぶ時の表情はなんとも素晴らしい。

 草野大悟は吉野貞夫のような役をよく演じる俳優で、常田富士男や新しいところでは稲川淳二の系列に属するが、昭和の匂いをぷんぷん匂わせる名役者である。彼の肉体なくしては「死神の子守唄」は成立しなかったであろうと思う。そして彼の肉体は戦後のもうひとつの肉体の正確な陰画と成り得ている。「戦後のもうひとつの肉体」とは、坂井義則の肉体のことである。

 「坂井義則」と聞いてもぴんと来ない人も多いかとは思う。東京オリンピックの聖火最終ランナーで、開会式で聖火を灯した人物と言えば、ほとんどの人は思い浮かぶだろう。早稲田大学の陸上部員で、オリンピック出場を目指していたが、最終選考で落ちてしまう。その彼が最終聖火ランナーに選ばれた理由は、彼が昭和20年8月6日という運命的な日に広島県三次市に生まれたからである。坂井義則の肉体は戦後日本の復活と同時に、広島の悲劇を乗り越える=忘却する象徴としてあったのである。東京オリンピックが開催された1964年は、よく言われるように、戦争(広島)が風化し始める年であった(であるがゆえに小松左京は『日本アパッチ族』と『日本沈没』をこの年に書いた)。そして現在においても、安部晋三総理や猪瀬直樹東京都知事によって、「輝ける60年代日本」が無理やり反復させられようとしている。

60年代において戦後日本は「坂井義則」の肉体の方へと大きく舵を切っていったのである。「死神の子守唄」における吉野貞夫とその妹京子の肉体は、それへのアンチとしてあった。忘却される者の抵抗としてあった。そして彼らの肉体は、60年代を生きていたほかの肉体の状況と呼応するものであった。『怪奇大作戦』が放映された1968~69年は闇としての肉体が最後の主張を許された時代であった。であるがゆえに、「死神の子守唄」においてSRIの牧は、吉野を「吉野君」と友人扱いし、彼の絶望の傍らにに優しげに並んで立ったのである。

 上野昂志は次のように80年代半ばに書いた。「六〇年代が、さまざまな制度から肉体が意識的、無意識的にはぐれだした時代であったとすれば、八〇年代のいまは、そのはぐれた肉体を改めて囲い込む時代なのだ。そして、この先には、電子的メディア環境における肉体の消滅と、生命科学による肉体の解体・再構成が眼前の事実として迫っている」昭和と平成を隔てる大きなポイントはここにあるだろう。結局のところ平成のSFは肉体の消滅と嬉々と戯れたSFであった。例外的に『盤上の夜』(宮内悠介)は昭和的である。立法者の欲望を呼び込むことで、肉体の囲い込みに抗っているからだ。制度(法)には容易く馴致されない欲望を生きようとする不実な肉体の活力を漲らせている。制度(法)を執行停止に追い込み、新たなるシステム=法を設立しようとする企てを擁護する『盤上の夜』には、懐かしき昭和の魅力が満ち満ちている。

 最後に広島の風化問題についてひとこと。毎年8月6日の記念日があることによって、広島は原爆の風化に抗っている。この日がなければ、原爆の問題はとっくに忘れられているだろう。「3・11」直後、経済効率優先の生き方を改めるべきだ、と言いながら、それを風化させ、「アベノミクス」という言葉と嬉々と戯れているのがこの国の現状なのだから(そしてまた「3・11」はすぐ風化するから商品にならない、とSF関係者が口にしてしまうのだから)。平成日本は罪深いほどにヘルシーなのである。ルーマニア人の思想家シオランは「私はシャツを着がえるようにして絶望を変えてきた」と言っているが、絶望は日々更新されなければ壊死してしまう運命にある。真の絶望から生まれる真の祈りもまた、健康の本性上、風化される運命にある。絶望=祈りの壊死に抗うことは文学の倫理のはずだが、SFはその倫理に同調するのだろうか?それともそれを解体することに価値を見いだすのだろうか?(石和義之)



【グルメ】ご当地グルメその1 お好み焼き

広島に来たら食べたいご当地グルメをご紹介します!

広島人に「どこのお好み焼きがおいしい?」と聞いたら、ほとんどの人が「うちの近所のお好み焼き」と答えてしまうぐらい、広島のソウルフード「お好み焼き」。
お好みソースだって、オタフクソース・カープソース・センナリ・ミツワと各種のソースが存在します。お店によって使っているソースが違っていたり、ソースをブレンドしてオリジナルのソースに仕上げていたりするので、元気のある方は食べ比べてみるのもいいかもしれません。

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星雲賞参考候補作募集

第44回星雲賞の参考候補作に推したい作品、人物、事象等の募集を開始しました。

年次SF大会の実行委員会は、慣例として日本SFファングループ連合会議加入団体として扱われており「第52回日本SF大会”こいこん”実行委員会」も参考候補作推挙の権利を持っています。
大会参加者から寄せられた作品等は、第52回日本SF大会実行委員会が集計し、日本SFファングループ連合会議加入団体の一つとして推挙いたします。
最終的な参考候補作は、各連合会議加入団体からの推挙を集計、日本SFファングループ連合会議より発表されます。

これらの募集は、こいこん参加登録がお済みの方のみ対象となっております。

下記の規定をお読みの上、対象となる作品等をお寄せください。
年次日本SF大会におけるSF賞選定に関する規定

なお、募集の締め切りは2月26日です。

募集フォームはこちらから
公式サイト上部メニュー>星雲賞>参考候補作募集

 

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今年最初のスタッフ会議

2013年最初のスタッフ会議は

1月27日(日) 13:00~17:00
アステールプラザ4F 美術工芸室

にて行います。

飛び入り参加もOKですよ~。



広島スポット紹介:シネコン

これまで続けて広島市内のミニシアターを紹介して来ましたが、シネコンだってあります。

・ ワーナー・マイカル・シネマズ広島
・ 広島バルト11
・ TOHOシネマズ緑井
・ 109シネマズ広島

の4つで、合計35スクリーン。いずれも広島市内中心部から車で30分程度の距離にあり、都市の規模からするとかなり恵まれた環境にあるといえるでしょう。



ワーナー・マイカル・シネマズ広島
http://www.warnermycal.com/cinema/hiroshima/

1997年10月に広島市内で最初に出来たシネコンです。
運営は、イオングループの株式会社ワーナー・マイカル。
広島段原ショッピングセンター(旧広島サティ)の6階にあり、スクリーン数は7。
こいこん会場のアステールプラザからは、約3.0Km東に位置します。徒歩だと30分くらいでしょうか。
車を使うとしたら、平和大通り(100m道路)を西に向かい、比治山トンネルを抜けると目の前です。(ただし右折侵入できないので注意)
交通機関を使うなら、一旦広島駅に出て、バスで約5分の「段原中央」停留所が一番でしょう。


広島バルト11
http://wald11.com/index.html

アステールプラザから約6Km東のイオンモール広島府中の4階にあります。スクリーン数は名前が示すように11。
東映グループの株式会社ティ・ジョイと、TOHOシネマズが共同で運営しています。
私見ですが、どちらかというとティ・ジョイ色が強く、アニメや特撮はここでしか上映されないこともしばしば。
厳密には広島市内ではなく安芸郡府中町にあるのですが、感覚的にはほとんど市内ですね。駐車場も広いので車で行くのですが、広すぎてどこに止めたかわからなくなるので注意が必要です。
市内中心部からそう遠くないのでほとんど使うことはないでしょうが、遠方から車を使う場合には広島高速2号線府中出口が最寄り出口となります。
交通機関を使うなら、JR呉線天神川駅から徒歩5分。広島市内からなら、広島駅新幹線口から出ている無料シャトルバスの方がが便利です。2004年3月開業ですから、もうすぐ10年になりますね。


TOHOシネマズ緑井
http://www.tohotheater.jp/theater/019/institution.html

2004年10月に開業したシネコン。場所は市内中心部からはやや遠く、アステールプラザから北に約10Km、フジグラン緑井の3階にあります。スクリーン数は8。
名前のとおり、東宝系列のTOHOシネマズが運営。広島市内では、『紙兎ロペ』はここでしか観ることができません。(TOHOシネマズ制作ですからね)
ここは駐車場が完全無料なのが嬉しい所。(他3箇所も、映画鑑賞には十分な無料サービスや延長サービスがありますが、ハシゴしたり買い物したりするとうっかり有料になることもあります。by経験者)
交通機関利用時は、JR可部線「緑井駅」で降りれば目の前です。
車で行く場合は、山陽自動車道を広島ICが最寄り出口。混まなければ3分程度で着くでしょう。(夕方などは混むので注意) 市内中心部からなら、国道183号線(旧54号線)を使うのがわかりやすいけれど、この道もわりと混むので注意。


109シネマズ広島
http://109cinemas.net/hiroshima/

2009年4月に開業した、市内ではもっとも新しいシネコンです。スクリーン数は9。
アステールプラザからは約6Km西、アルパーク北棟3階にあります。
このシネコンの運営は、東急レクリエーション。ああ、だから「109」なのか、と感心した記憶があります。
交通機関を使うなら、JR山陽本線「新井口駅」 あるいは 広島電鉄宮島線「商工センター入口駅」から徒歩3分です。
車だと、宮島街道(旧国道2号線)を西に向かいます。大変広い平面駐車場なので、混んでいる時には駐めてから少し歩く覚悟が必要です。


上映作品やサービス自体は、他の地域にあるシネコンと大差はありません。それがシネコンの利点の一つとも言えますしね。
加えて、(他地域のシネコンと同じく)4館ともショッピングモールの中にあります。
他地域のシネコンはよく存じ上げないのですが、広島のシネコンが入っているモールには、比較的大きな本屋さんが入っています。(緑井のみ、普通の書籍売り場くらい)
大きな本屋さんがある、というのはSF者にとっては大きなメリットかもしれません。

こいこんの時期、もしかしたら見逃した映画や地元には配給予定のない映画が、4つのシネコンのどこかで上映されているかもしれません。
事前のチェックをお忘れなく!



広島SF大全7 『影が重なる時』

 小松左京『影が重なる時』(1964年)

小松左京『影が重なる時』とPTSD(外傷後ストレス障害)

藤元登四郎

  • 小松左京の『影と重なる時』が現在と重なる時

『影が重なる時』は、SFマガジンに掲載された短編である(一九六三年十月号、第四八号;『自選恐怖小説集 霧が晴れた時』角川文庫に収録)。そこでは、真鍋博のイラストがあり、「この世に、突然、幽霊の実在が確認されたのだ。人間ばかりか動物も、いや自動車も列車まで! まるで、実体とその影のように」と表書きがある。 この作品の語り口は見事なもので、私は非常に強い印象を受けたが、時がたつにつれて忘れてしまった。それから約半世紀近くもたってから不思議なことが起こった。「小松左京マガジン」の代表取締役の乙部順子さんと初めてお会いしたとき、ただ、挨拶を交わしただけであったが、『影が重なる時』がその挿絵までも一緒にありありと浮んできたのである。その時私は、この作品がひっそりと影のように自分につきまとっていたことを感じた。それからしばらくして小松左京の死が伝えられた。

なぜ私は、これほどの傑作を忘れてしまったのであろうか、そしてなぜ半世紀もたって突然その細部までよみがえったのであろうか。私はどうしても、この作品について書かなければならないと思った。実際、大変な傑作であるにもかかわらず、『影が重なる時』は不当に埋もれてしまう傾向がある。これもまた不思議なことである。

『影が重なる時』は原子爆弾の恐怖を描いた「究極ホラー」である。実際、これ以上のホラーはあり得ない。この作品が興味深い理由の一つは、発表された時期が原子爆弾を歴史化し始めた頃であったということである。すなわち、時代はガラスのような透明な壁を作り上げて被爆の事実は見えるが、その悲劇を切り離そうとしていた。心理学的な観点からは、急速に成長していった日本経済の背景に、その悲劇を一つの歴史として客観化して、忘れてしまいたいという強力なベクトルが作用していたのである。こうして時代は抑圧に成功したようであった。すなわち、社会は安定し制度は確立され、表面的には戦争の心の傷跡は消えた。ところが、この原子爆弾という厳然とした事実は、たとえ歴史化されて分離されとしても、感情的には決して修正されたり変形されたりすることなく日本人の心の底に生き続けていたのである。

このような風潮の中で『影が重なる時』は執筆された。この作品は、小松左京の人柄を見ると、彼が広島に落ちた原子爆弾の悲劇を抑圧することなく、いかに悩み続けていたかを反映している。例えば、乙部順子の「秘書が見た小松左京」によれば、『虚無回廊』を執筆中に阪神大震災があったので、彼は急遽、その取材に切り替えたが、すっかり疲れ切って「うつ」になったという、(参照1)。このことは、彼が悲しい出来事をまっすぐ見つめ、しかも人格全体で受け止める誠実な人柄であったことを示している。したがって、『影が重なる時』にもまた、原子爆弾から受けた彼の深刻なショックを読み取ることができるといえるだろう。

実は、精神医学的にみると、『影が重なる時』はPTSD(外傷後ストレス障害、posttraumatic stress disorder)を連想させる構造を持っている。もちろんこれはSFであるから、小松左京自身がPTSDにかかっていたのかどうかはわからない。しかし、それほどに彼は人間存在の根底を揺るがす原子爆弾の恐怖を深刻に受け止め、そしてそれをこの作品の中に見事に表現しているのである。こういう次第でここでは、この作品をPTSDと関連させて、精神医学的に考えることにしよう。

  • PTSD―フラッシュバック―PTSDの治療

ここで簡単にPTSDについて説明しておこう。トラウマとは、戦争、災害、重度な事故、レイプ、暴行など生命や身体を危険にさらされた時に受ける精神的ショック、あるいはまた非常に残酷で凄惨な状況や、身近な人々の受けた大きな被害を見た時に受ける精神的ショックである。この精神的ショックがトラウマとなりPTSDを引き起こす。

PTSDにかかると、トラウマが視覚的、聴覚的、そしてその他の身体的現実性を持って、その人の人生に侵入し続ける。しかし、トラウマ性の出来事を体験した人がすべて、PTSDになるわけではない。東日本大震災のときに実際に救助や避難誘導に当たった岩手、宮城、福島の消防団員は、一年半たっても五人に一人(二〇・一パーセント)がPTSDにかかったことが報告された。また、この三県の消防本部の職員一七・四パーセントがかかり、階級が高くより責任が重いほど割合が高かった。このことは、トラウマの原因となった出来事が身近であればあるほど、PTSDにかかりやすい傾向があることを示している。また、その人の心持ち方あるいは性格もPTSDにかかる要因となるようである。

PTSDの症状には、多様な感覚器官における出来事の再体験(フラッシュバック)、トラウマを思い出させるものの回避、自律神経症状における慢性的な過覚醒状態がある。なお、フラッシュバックは、歴史的にみると、LSDやメスカリンなどの幻覚性物質の中毒となって、中毒を離脱した後に生じ、様々な幻視が現れることに対して用いられた。PTSDのフラッシュバックは、事件当時の体験が、幻覚か現実か区別ができないほど身体反応を伴って体験される。このとき起こる過覚醒状態とは、緊張した時に体験するように、心拍増加、冷や汗、呼吸が早くなる、動悸、警戒感、驚愕反応などが起こることである。それが慢性化すると、睡眠障害、食欲不振、性的機能障害、集中力の低下などが起こる(参照2)。さらにここに不安が加わる。

PTSDの治療法は様々であり成書をご参照いただきたいが、要点だけを述べておこう(参照3)。基本的には、トラウマとなる事件があってからなるべく早く、心理的デブリーフィングを行うことである。心理的デブリーフィングとは、その事故が起こってからすぐ、その状況を誰か上司、心理士、医師などに詳しくショックの体験を打ち明けることである。しかし、治療は、しばらく時間がたってPTSDが発症してから開始されることが多い。その場合、薬物療法とともに心理療法がおこなわれる。心理療法は様々あるが、認知行動療法が主流である。認知行動療法は、その事件に対する心の持ち方を修正しようとするものである。PTSDの人は、その事件に対して、悲しみや怒りや恐怖など様々な激しい否定的な感情が起こってきて、極端すぎる不正確な自動思考に陥ってしまう。そこで、これらの自動思考を徐々に変えていって、論理的で役立つ思考に置き換えるように導いていくのである。

認知行動療法と並んで芸術療法もある。芸術療法の理論は、トラウマの経験とそれに関連するスキーマ(注1)は非言語的な形で記憶されるが、芸術の象徴的媒体はそれらに対して治療的な効果を示すという概念に基づいている。芸術療法では、トラウマの内容を審美的な表現方法に関連付けることによって、非言語的なスキーマを修正し、自尊心や希望を与え、恥辱感や罪悪感を軽減させる。

  • 「人影の石」― 謎の七時十九分三十秒

『影が重なるとき』で連想されるのは、爆心地から二百六十メートルのところにある石段についた「人影の石」である。その影の人は、住友銀行広島支店の入り口にある石の階段にいたが、原爆の強烈な熱線を受けてその場で死亡した。周りの石段は白っぽく変化したが、その人のいた部分は黒い影のように残った。小松左京は原爆の悲惨さを象徴的に示しているその石の影に大きなショックを受けたのだろう。それは、原爆の強大なエネルギー、すなわち一瞬にしてその人を溶かしてしまった悲惨なエネルギーを象徴しているからである。それが、小松左京の心とつながり、『影が重なる時』として表現されたのだろう。

この「人影の石」に座っていた人は一体誰だろう。小松左京は、その影から延長線を引いて、時間をさかのぼり、その人がどのような生活をしていたかを想像した。その人は、どのような過程を経て最終的にその石のところに来たのだろうか。

小松左京は、石がT市にある、ある会社の玄関として設定した。その人を連想させる津田という人物が登場する。津田は、深夜に野村からの電話で呼び出された。津田がかけつけると、彼には見えなかったが、野村だけに見えて触ることのできるもう一人の野村がいた。この影、すなわち幽霊あるいはドッペルゲンガーはその本人だけにしか存在せず、第三者にはまったく感じられなかった。客観的に確認する方法は、横から見ていて、その人間だけがどうしても入り込めない空間があるということだけだった。さらに、その奇妙な影は、津田のアパートでも、約半数のところに現れた。しかも、人間ばかりではなく、動物にはその動物の、汽車にはその汽車の影が出現した。ただし、それが出現するのは、T市を中心に半径三十キロの円内に限られていた。そしてついに影は、津田にまで現れたのであった。彼は驚愕と恐怖に陥った。

「よく見ると、それには何だかひどくあいまいな所があった。視覚像としては、奇妙に新鮮さを欠いており、何だか記憶像や、幻覚のように、心理的な映像みたいに見えた。輪郭もぼんやりしたところがあり、時々むこうの風景がすけて見えた。にもかかわらず―彼のはいることのできない空間としては、厳然と存在していた」。

その影が一体何であるのか、すっかり津田は考え込んでいたが、ある日精神病の男と出会った。その男がこの異様な現象のことを理論的に説明したのである。

「時間軸を考えないと、間違いを起こしますよ。―あなたはあなたの幽霊がしめている空間に、はいりこめないのではなくて、時間的にへだたっているから、その幽霊とかさなりあうことができないのです」

この男の謎めいた言葉は単なるでまかせでもなく、狂ったものでもなかった。この男は、一般常識、あるいは固定観念に縛られてはいなかった。一般に私たちは、時間と空間は一致している。たとえば旅行アルバムを見るとき、それは何年前の何時頃であったかという記憶が付いて回る。ところが、その時間を無視すると、私たちは今、旅行した場所にいるということもいえるだろう。ここでいう影とは、時間のルールを破り、時間に先回りして現れた空間のである。(この影は、いわゆる過去の出来事のフラッシュバックではなくて、未来の出来事のフラッシュバックともいえるだろう。)

津田は、その影がなぜ本人にしか見えないのかと尋ねた。その男は
「あなただけに見えて、他の者には絶対見えないものは何ですかな? 夢の中の自分の姿のようなものは」
と答えた。
すべての人々が恐怖におびえていた。
「一度自分自身の幽霊にあった人々はつきつめた表情をしていた。その眼は自己自身の内面を通して、めいめいの幽霊をたえず見つめつづけているようであり、何だかすでに半分死んでいるようにも見えた...それは―恐怖だ!いや、単なる恐怖ではない。自分が他の一切の人々から隔絶されているということを、絶えず内心にささやかれている冷たい恐怖感」。

この影が、決定的な究極の恐怖そのものでなくして何だろう。津田は、その影のはめている腕時計が午後七時二十分頃をさしているのを確認した。さあ、この時間は何を意味するのだろうか? その時間が次第に近づいてきた。街は死の影に覆われて、被爆直後のヒロシマそっくりに見えた。

ついに七時十九分三十秒!となった。突然、天の一角に騒音が巻き起こった。津田は建物の中なら助かると思って、社の玄関に向かって突進した。鼻先にあの幽霊の背中があり、どしんとぶつかった。しかし彼は何の抵抗もなく、幽霊の体の中にすっぽりとはまり込んだ。すべての街の物体が一瞬その影と重なった。同時に、某国の核弾頭が、事故を起こしてその町の上で爆発した。爆心地より三十キロの地域と、何の罪ない人々をはるか時空の外に吹き飛ばした。

  • 影とは何か―究極のホラー― 未来の出来事のフラッシュバック

『影の重なる時』は、これ以上あり得ない究極のホラーである。そこで、まず影についての一般的な考えを述べてから、「人影の石」の影について考えることにしよう。なぜならば、それは、一般にいう影とはまったく質の異なるものであるから。小松左京は、「人影の石」の人影に、津田という人物を設定したが、津田はまた小松左京の分身であるといえるだろう。この分身、すなわちドッペルゲンガーについては、オットー・ランクの有名な研究がある(参照4)。ランクは、ミュッセの詩『十二月の夜』を引用している。

お前の最後の日まで
お前の行くところに必ず私はついて行くだろう
その日には、お前の墓石の上に座りに行くだろう

「お前」というのは影であり分身のことである。分身は、死の意味作用と同時に自体愛(ナルシシズム)と密接な関係を持っている。若い「お前」は鏡に映る美しい青年の姿であり、女性と戯れたりして青春を謳歌している。自我はそんな美しい自分の姿を愛している。しかし次第に年老いていき、最後には墓石にたどり着くのである。普通には、その人と影とは対立してはいるが、共存してうまくやっていくのである。

ところが、自我と影との間に対立が起こると厄介な事件が起こる。自分とそっくりさんの分身が目の前に現れてくるのである。これは、エドガー・アラン・ポーが『ウィリアム・ウィルソン』に見事に示している通りである。ランクはポーの作品を分析して、瓜二つの分身はなぜ現れるのかを検討している。彼によれば、自我は、自分の姿の美しさを保とうと願っているが、一方、鏡に映る分身は冷酷に現実を映し出している。そこで自分の映像に対する憎しみが募っていく。「鏡は真実を映していない、私は若いのだ」というわけである。そうすると、心理学的には奇妙な逆転が起こる。今度は、自分自身がその映像にいじめられているという意識が起こってくる。つまり、映像は年取っているが、自我は相変わらず若さを保ったままであるというわけであり、自我と影とは仲たがいをして分裂してしまう。こうして影は独立して、分身が実際に独立して現れて来る。

しかしながら、「人影の石」の「影」は、ランクのいうような「影」とはまったく質的に異なっている。この石の「影」は科学の力によって生み出されたものである。そして、人間と「影」との存在論的関係を根本的に破壊し、虚無化して現れたものである。これは、人間性の根源的な無視である。人間性に対するこれ以上の悪はあり得ず、その意味で究極のホラーなのである。

『影が重なる時』では、津田に現れる「影」は未来が過去へ戻ってきて、未来完了で現れたのだった。しかし、津田は無邪気に何も知らなかったし、実際、知ることもできなかった。彼は高熱で溶かされる瞬間に、その影が自分の未来であったことを知ったであろう。あるいはそのことを知る時間もなかったのかもしれない。こうしてみると、究極のホラーとは恐ろしい未来が、まったく意味不明の影の姿でつきまとう未来の出来事のフラッシュバックなのである。津田は、小松左京の極限的絶望を反映している。

  • おわりに

原子爆弾は日本人にとって大きなトラウマとなった。特に、その時代に生きた作家たちが、いかにしてそのトラウマを乗り越えていったかは、彼らの小説によく反映されている。小松左京の場合は、『影が重なる時』を執筆して、原子爆弾を非人間的な政治的歴史的レベルから、津田という個人レベルに引き戻した。このポストモダンのパラダイムは、原子爆弾が人間性否定そのものであり、極限のホラーに他ならないという事実が浮かび上がらせるものである。

小松左京は、原子爆弾の悲劇を一人の人間として深刻に受け止めたが、特に「人影の石」にはショックを受けた。これは受容することもできないし、かといって忘却することもできない。彼は、この宙吊り状態を『影と重なる時』としてSF化し、原子爆弾の恐怖を、時間を越える未来完了の影である未来の出来事のフラッシュバックとして表現したのであった。こうして、彼の原子爆弾のトラウマは、SFを通じて未来を信ずる力へと変容していったのである。現在では、3・11を始め、全世界の悲劇的な事件がリアルな映像とともに次々と報道されてくる。私たちはショックを受け続けるのだが、つつがなく生活するためにはそれを抑圧して、歴史化して行かざるを得ない。しかし、抑圧は必ず反作用を及ぼしてくる。すなわち、現在日本では、うつ病の患者が増え、新型うつ病として話題になっているが、これは、悲劇的事件に関する心理的抑圧がその大きな原因の一つとなっていると考えられる。

小松左京は抑圧することなく現実を直視したのであり、未来を作る若者たちを信じていた(参照5)。ここでもう一度SFは、小松左京が『影が重なるとき』で創始したパラダイムを継続し、現実から逃避することなく、人間性を回復させるべき使命を確認すべきであろう。

  1. スキーマ:ある対象や状況を認知したり、記憶したり、再生するときなどに働きかける土台となる図式的知識であり、また行動計画としても働く
  • 参照文献
  1. 乙部順子「秘書が見た小松左京」『追悼 小松左京』河出書房新社、二〇一一、. 八〇‐八六頁。
  2. エドナ・B・フォア、テレンス・M・キーン、マシュー・J・フリードマン、飛鳥井 望他訳『PTSD治療ガイドライン』金剛出版、二〇〇五。
  3. エドナ・B・フォア、エリザベス・A・ヘンブリー、バーバラ・O・ロスバウム、金 吉晴他訳『PTSDの持続エクスポージャー療法―トラウマ体験の情動処理のために』星和書店、二〇〇九。
  4. オットー・ランク、有内嘉宏訳『分身 ドッペルゲンガー』人文書院、一九八八。
  5. 最相葉月『小松左京 地球の上に朝が来る』SFマガジン、二〇一一、四月号、二一七-二二三頁。


【グルメ】サッカー好きならここへ行け!

サッカーに命をかけているスタッフから、サッカーに関する広島のお店情報が届きました。
どちらもサッカー好きな人にはオススメのお店らしいです。

一応「Soccer Fan」で「SF」ということにしておきますね(´ー`)

 

<ずしお>

広島サッカーファンにはよく知られた名店(迷店)のひとつ。つうかSFはどうした。鉄板焼きはそこそこいけるらしいのだが、お好み焼きが伝説となるほど正直○○○。情報通にいわせれば、鉄板焼きの店がお好み焼きを出したらとても○○○○○○が出たらしい。これ以上詳しくは書けないというか自分の責任で確かめていただきたい。これ以上の情報は「広島、サッカー、お好み焼き」にググってください。
http://blog.livedoor.jp/domesoccer/archives/51648207.html

 

<レストランストヤノフ>

広島サッカーにはよく知られた名店。しつこいようだがSFはどうしたw元千葉・広島・岡山にいたブルガリア代表ストヤノフのお店。普通においしい、お値段も高いワインさえ飲まなきゃとてもリーズナブル。4000円くらい。きちんと焼きもしくは煮たものがサーブされるお店。大会の会場からもタクシーで10分程度。サッカーの好きなSFファンにお勧め。○げてないストヤノフの写真に囲まれて、おいしいブルガリア料理で宴会できます。ストヤノフ本人もレジに立っているのでサインもらうのもよし、世間話するのもよしです。
http://r.gnavi.co.jp/6427187/

 

情報提供者:ハンカク



【グルメ】汁なし担々麺のお店 <きさく>

うちのスタッフにもファンの多い「汁なし担々麺」のお店のレポが届きました。

<きさく>

広島の汁なし坦々麺の名所の一つ。楽天でも通販で販売されており、坦々麺においてトップクラスの販売実績を誇る。いつもは通販で食べてるのだけど、広島に行ったときくらいは本店で食べるのも悪くありません。会場から徒歩10分で舟入電停に行き、そこから二駅合計15分でたどりつけます。しかしながら、お昼は30分くらい待つそうで大会期間中の食事にはあまりお勧めできません。大会終了後ぜひ行ってみてください。
http://tabelog.com/hiroshima/A3401/A340101/34000159/

 

情報提供者:ハンカク



初詣と成功祈願

皆さんあけましておめでとうございます。

新年を迎えこいこんの準備もこれから佳境です。

今年の初詣はこいこんの成功祈願も込めて厳島神社にお参りして来ました。

冬コミから帰って一息ついた後、その足で夜中に宮島へ。

お参りを済ませた後、成功祈願の御祈祷もしてもらい御札をいただきました。

実は厳島神社への初詣も初めてですが、神社で御祈祷をしてもらったのも初めて(^^;)

年の初めに良い経験をさせて貰いました。

成功祈願の御札



広島SF情報【フライトシミュレーター】

広島のSFスポットや広島土産・観光施設・飲食店情報等広島情報を広島からSFなみなさんにお伝えする広島SF情報。

不定期につらつらとお伝えしていきますので、広島にお越しの際にはご参考にしていただければと思います。

今回は空の玄関口広島空港に設置している「フライトシミュレーター」をご紹介します!
飛行機FANの間では随分と話題になっており、ご存知の方もいらっしゃるとは思います。
仙台・成田・静岡・鹿児島空港に続き、中・四国空港では初の設置になり、今では、このシミュレーターを目当てに広島空港に遊びに来る方もいるそうです。
このシミュレーターは、実際に飛行訓練で使っているものと同等の物を使用しているそうです。
現在、シミュレーターは2台設置されており、利用料金は初級(約2分半)が100円、中級以上(約5分)が200円となっております。

クラス 離陸 着陸 利用料 利用時間
1

初級 広島空港 100円 2分30秒程度
中級 仙台空港 広島空港 200円 5分程度
中級 広島空港 那覇空港 200円 5分程度
中級 広島空港 羽田空港 200円 5分程度
上級 新千歳空港 広島空港 200円 5分程度
2

初級 広島空港 100円 2分30秒程度
中級 広島空港 成田国際空港 200円 5分程度
中級 広島空港 仁川空港(韓国) 200円 5分程度
中級 上海浦東国際空港(中国) 広島空港 200円 5分程度
上級 羽田空港 広島空港 200円 5分程度

(広島空港のWEBより)
広島へお越しの際には、是非一度体験をしてみてください。
★設置場所 2階国内線出発ロビー ビジネスラウンジ前 (JALチケットカウンターの奥です。)

 

広島空港からのおしらせ

2012年7月24日(火)からフライトシミュレータ設置!
2012年07月19日 更新

広島空港国内線出発ロビービジネスラウンジ前(イベントスペース)にフライトシミュレータを設置します。
例年「空の日秋まつり」のイベントで設置しておりましたが、好評を得ており、常備設置することになりました。
国内空港では仙台・成田・静岡・鹿児島空港に続き、中・四国空港では初となります。

小学生から大人まで、すべての方に楽しんでいただけるフライトシミュレータをぜひ体験してください。

 

 

本当に一番近い空の玄関口は錦帯橋空港かもしれない。という事はキミとワタシの秘密ですww

 

 



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