広島SF大全3 『ラザロ・ラザロ』

10月31日…ハロウィンである。
人間と精霊、生者と死者との間にある垣根が取り払われる日だ。
このような日には、この作品がふさわしい。

広島SF大全3 『ラザロ・ラザロ』(図子慧)
(集英社・1988年→ハヤカワ文庫・2008年7月)
(文中の引用及びページ数はハヤカワ文庫版による)

 

 

「生き返らせたい」……切実かつ不可能な夢だ。
『ラザロ・ラザロ』というタイトルが死者を甦らせたイエスの奇蹟に基づくことは、物語が始まる前のエピグラフ、聖書の引用でもって示されている。
そして、冒頭の一文はこうだ。

一年して、斑猫【ルビ:はんみょう】は研究所に舞いもどった。(P7)

ルミネ研究所に斑猫は戻った。そこは彼が末期がん患者に「奇跡」を施してきた場所なのだ。

読者は、廣田という人物の視点から斑猫の人生を解き明かしていく。
廣田は「奇跡」の謎の解明を任務として課されている。廣田は容姿端麗である。しかし、「どこからみても、廣田さんてハンサムね。ほんとに綺麗な顔してる」(P393)と19歳の少女に迫られても、「きみはおれの顔が好きなのか」と返してしまうような人格の持ち主、しかもストレート(もちろん、彼は男からも迫られる)なので、なかなか難儀である。

斑猫は、ミチシルベという別称を持つあの昆虫ハンミョウのごとく、追われると逃げる。逃げては、また研究室に舞いもどる。そう、彼はルミネ研究室に戻らなくてはならなかった。 そこには蓉子がいるから。

「蓉子のすべてが、自分の分身のように感じられ」(P78)る彼にとって、その研究所のある場所は、世界で唯一の特別な土地なのだ。

ルミネ研究所……老人専用の終身介護施設。それは、蓉子の父親が遺した医院を夫が改装して出来上がった。一人娘の蓉子は「家つきのお嫁さん」(P120)であった。(註)お定まりのように、父の死後、夫は他所に女をつくった。そして、蓉子は斑猫と出会った。

蓉子は美しかった。美しすぎて幸福になれなかった女だった。幼いころから際立って可愛らしく、特別扱いを受けながら、容姿以外では評価されなかった。美しさによって、ねじ曲げられ貶められてきた蓉子のいびつな精神構造は、斑猫を強く引きつけた。
『わたしのことをどう思う?』
 はじめて引き合わされてから五分後に、蓉子はそう聞いた。夫である理事長はほかの客を迎えにいって、その場にいなかった。
『頭がよさそうにはみえないでしょう。主人はいつもわたしのいうことを無視するの。そうしてもいいと思っているのよ。わたしが何も感じないと思っているの』
今でもあの一言を思い出すたび、斑猫の胸を薄い剃刀で切られたような痛みが走る。彼女の歪んだ唇、涙と嘲笑の間にひっかかったような、ねじれた笑いを彼は長く忘れることができなかった。(P78)

この蓉子の設定は、廣田の設定とセットになっている。どちらも容姿端麗ならではの難儀を背負っている。そして、それは「若返り」「生き返り」を扱ったこの物語のテーマと深く結びついている。
美しいことは、幸せと直結するのか?
若く見えれば、それでいいのか?
物理的に死んでいなければ、それは生きているということになるのか?
斑猫が「治療したなかでもっとも成功した、末期ガンの患者」である男は、斑猫に向かってこのように言う。

「先生は、わたしを治療して、昔どおりの身体をくれた。しかし、先生、年を取るってのも自分の一部なのさ。自分をなくして若い自分に戻ったところで、なにも残ってやしない。なんにもできないんだよ」(P532)

「『若返り』とは、それまでの人生を否定することだ」という強いメッセージがここにはある。
蓉子の「若返りたい」という願いは、夫と結ばれた人生を否定したいという思いから発したものだった。「きっと、叶えてあげるよ」(P215)と応えた斑猫は、夫と結ばれる前の蓉子を得たかった。「そんなことを考えるよりも、さっさと二人で逃避行でもすればいい」と思うのだが、斑猫と蓉子は関係を持ってからも一緒に逃げることはなかった。それは、「家つきのお嫁さん」たる蓉子が、研究所のある土地と一体化した存在であるからなのだろう。その土地の名は、522ページ(本文全体は551ページ)になって、ようやく次のような廣田のセリフによって示される。

「これから急いで広島までいかなきゃならないんで。あとの始末はよろしく」(P522)

もちろん、研究所がどこにあるかに関するヒントは最初から示されていた。地元に土地勘のある者なら、「国道二号線」にまつわる描写が示された時点(P12)でわかる。交わされる言葉も、あからさまにならない程度に「広島弁」である。多分、一般的に流布した概念でもって土地が把握されることに、図子慧は違和感を抱いている。ここに、広島で青春の日々を過ごした作者・図子慧の広島に対する愛を見ることができるだろう。

広島をただ地形だけで見ることも、歴史だけで見ることも正しくない。それは、蓉子を容貌だけで見たり、経歴だけで見たりすることと同じだ。そして、蓉子をただ若返らせても、それは彼女を救うことにはならない。『ラザロ・ラザロ』に「広島」という地名は一回しか出てこない。しかし、だからこそ、この作品はきわめて重要な「広島SF」なのである。
(宮野由梨香)

(註)家つきのお嫁さん「蓉子」は、同じ作者の作品『晩夏』にも登場する。こちらは造り酒屋の娘であり、同じ運命を背負っている。

 



広島スポット紹介:横川シネマ

ミニシアター受難の時代、だそうです。
シネコンの増加によりスクリーン数が増え、これまでミニシアターで上映されていた番組もシネコンで上映されるようになったことや、デジタル化が進んで既存の上映施設では対応できなくなっていることなどが原因といわれています。
と言ってもまだまだ日本全国にはミニシアターと呼ばれる映画館はたくさんあり、各館ともシネコンにはない独自の特色を生かしつつ頑張っておられます。

こいこんの地”広島”にも、いくつかミニシアターがあります。今回はその一つ「横川シネマ」を紹介いたします。
横川シネマは、1999年11月27日オープンした映画館です。支配人の溝口さんは、98年閉館した広島ステーションシネマで多くの自主上映レイトショーをされていた方です。
個人的な話になりますが、ステーションシネマのレイトショウで『マウス・オブ・マッドネス』を観た時の記憶は今でも忘れられません。(観客自分だけで観た上、帰路誰もいない駅ビルの中が怖かったこと怖かったこと)

実を言うと、「横川シネマ」には、SFファンとしては見逃せないポイントがあるのです。
もともと、モギリから上映はおろかパンフレットの販売まで、溝口支配人一人でされていたのですが、昨年より時々「バイトくん」がお手伝いに入ることがあります。
このバイトくん、その正体は『Young, Alive, in Love』の刊行も記憶に新しいマンガ家の西島大介さんなのです。西島さんと言えば、Jコレ「凹村戦争」でデビューし、SFマガジンにも多数寄稿されている生粋のSF者。横川シネマでSF映画がたくさんかかるというわけではないのですが、(一部の)SFファンの琴線に触れる作品も多数上映されています。

上映ラインナップは、関東で言えば「ポレポレ東中野」関西で言えば「第七藝術劇場」のような、単館系の中でもアングラ色の強い作品が中心です。
さらに、各種イベントにも力を入れていて、監督さんや役者さんを迎えてのティーチインはもちろん、爆音上映からトークショウ、果てはライブ演奏までと、いわゆるサブカルチャーの溜まり場的場所になっています。
近いところでは、11月に「刺激的かつアットホームなイベント【Viii】」が、2つのイベント(トークショウ)を開催する予定です。

単なる映画館ではなく、確実に文化発信基地として根付きつつある「横川シネマ」は、こいこん会場アステールプラザから徒歩10分+路面電車12分のJR横川駅そばにあります。
雑誌やインディーズCD(もちろん西島-DJまほうつかい-大介さんのも)等、物販も充実していますので、ぜひ一度足を運んでみてください。

横川シネマHomePage : http://yokogawa-cine.jugem.jp/
Viii HomePage : http://viii8.net/