広報局です

広報局です。

昨日は宣伝用のチラシを置かせてもらう為市内のホビーショップや書店へ御挨拶とお願いに回りました。
暑い中歩いてお願いに回った結果、何件かのお店で置かせていただく事になりました。
お店の方から「良いイベントにして下さいね」と言われた時には思わず心が熱くなりました。
あのお店の方の言葉を胸に今日も準備作業は続きます。



実行委員長挨拶

みなさま、お初にお目にかかります、実行委員長の宮崎耕平と申します。
ほとんどの方は僕の名前をご存知ないと思います。
「広島でSF大会が出来れば良いなあ」と周囲に言っていて、気が付いたら実行委員長になっておりました。
若輩者ではありますが日本SF大会の開催を名乗り出て、先頭に立ち準備を進めております、なにとぞ「第52回日本SF大会 こいこん」へお越しください。
このたび、「こいこん」を開催するのは、広島です。広島と言えば、大河ドラマでご存知(2012年限定)の通り、西日本の交通の要衝でした。またつい最近であれば、大本営が設けられた地でもあり陛下がお住まいになった時期もありました。
みなさまは、広島についてどのような印象を持っておられるでしょう? カープとお好み焼き? それだけではないということを、ご体感いただけると思います。本当は牡蠣もご紹介したかったのですが、時期の関係で難しそうなのが残念です。
会場は、世界遺産の原爆ドームから徒歩15分のところにある「アステールプラザ」を借り切って行います。企画については例年通りのもの、新しいものと、いろいろ準備してゆく予定です。そういった進み具合やご当地情報などを、このプログレスブログで小出しにしてゆきたいと思います。今後ともお付き合いの程お願いいたします。



【広島交通情報】岩国空港について

今年の12月13日より岩国空港の民間利用が始まります。ANAが羽田空港との便を開設します。
岩国と広島では少々距離があり、広島空港を利用するほうが便利ですが、東京から広島への移動手段として選択肢が増えました



総務局です。

総務局です。
受付確認葉書の準備中でs。
さて、受付確認葉書は広島市内中心部の郵便局まで出しに行くことになっています。
しかし、私は広島市の住人ではありません。
郵便局のあたりにも、実は行ったことがありません。
そのうえひどい方向音痴。
さて、無事に投函できますかどうか。



広島SF大全第1回 宮内悠介「盤上の夜」(東京創元社)

さて、というわけで広島SFの第1回をお送りする。「もう?」という声もあるかもしれないが、今日、広島は一年で一番大切な日を迎えた。やはり私た ちもここからスタートしたい。

もちろん、広島のイメージを原爆だけで語るのは賢明ではない。だが広島という都市を語るにあたって、避けることはできない要素だ。「ヒロシマ」とカタ カナで語られる被爆のイメージは世界全体に広く浸透しており、国内のみならず海外においてもたくさんのSF作品が発表されている。小説だけでなく、コミ ック・映画も多い。現在、リストアップが進められており、そのいくつかは今後大会までの間に徐々に紹介されていくことになるだろう。

では栄えある一回目は何にしよう?私たちはリストを何度も見返して議論を重ねた。どうせならプロパーSF、しかも誰もが知る作品がいい。そんな中、驚 くべきニュースが飛び込んできた。宮内悠介「盤上の夜」が直木賞候補にノミネート!残念ながら受賞は逃したが、プロパーのSF作家がデビュー作で直木賞 候補になるというのは近年まれにみる画期的な出来事だった。これを機会にプロパーSFが、熱心なファンだけでなく、幅広く読書家に楽しまれる時代への足 がかりとなればいい。

盤上の夜 (創元日本SF叢書) [単行本] / 宮内 悠介 (著); 東京創元社 (刊)

こうして一気に注目を集めたこの作品、実は広島を舞台にしている。正確にいうと表題作「盤上の夜」のラストシーンと末尾の作品「原爆の局」の半分ほど が広島で展開される。だがこの2本の短編ではなく短編集全体をここで取り上げることにしたのは、本作品が、短編集というよりは連作長編というべき側面も 持っているからだ。

6本の短編は、碁・将棋・麻雀・チェッカーなどすべて何らかのボードゲームを題材にしている。そしてさらには、ほぼすべての作品が「わたし」という名 前のないジャーナリストによって書かれた手記もしくは記事という体裁を取っている。ただひとつの例外は「象を飛ばした王子」だが、これもまた「すべての ゲームの源流」というプロローグ的役割を持ち、作品中で適切な位置に収まっている。プロローグでありながら冒頭ではなく4番めというのがミソである。本 書は「どの物語から読んでもよい」タイプの短編集ではない。短編ではありながら冒頭から順にきちんとたどっていくことで初めて、最後にひとつの絵が浮か び上がる。

それは「ゲームを通して世界を認識する」ということであるように思える。もちろんそれは冒頭の表題作「盤上の夜」の大テーマでもあるのだが、本書を構 成する物語を順番に追体験することによって、読者にも天才棋士・由宇の感じた世界のあり方を直接感じ取ることができるようになる。それが、最終話「原爆 の局」のクライマックスで登場したフラッシュバック的な宇宙像ではなかろうか。

世界の姿は感じ取る方法の違いによって大きく異なる。SFファンならば「当然のことだ」と思うかもしれない。だが、ちょっとしたことで事実が事実とし て感じ取れなくなるとしたらどうか?

本書はフィクションであるが、驚くほどノンフィクション的な事実の割合が大きい。例えば、2番めのエピソード「人間の王」では冒頭のただし書きに、チェッカーの完全解が2007年に証明された、とある。なるほど、それは知らなかった。そんなことがあったのか。まずはそう感じる。本文中でも触れられている通り、チェッカーは日本ではマイナーな競技である。チェスでチャンピオン・カスパロフを破った、コンピュータ・ディープ・ブルーのエピソードほどには知られていない。だがチェッカーでもコンピュータと人間の対決があったらしい。その過程で完全解が発見されてしまったのだと。

「双方が最善を尽くした場合、必ず引き分けに至ることが証明された」(42ページ)

特に疑う理由もないのでとりあえず事実であるとの前提のもとに読み進める。

登場人物たちが架空のキャラクターであったら特に何も引っかからなかったはずだ。だがここで描かれているのは、実際にあったとされるコンピュータとチャンピオンの対決の当事者たちの物語である。しかも実名で、SF的要素を微妙に加えながら語られていく。チェッカーの対戦プログラムシヌークの対戦相手であったティンズリーは四十年間ほとんど無敗という伝説のチャンピオンであり、高名な数学者でもあった。しかもコンピュータに負けた後、ガンで急死してしまう…

あまりにドラマチックな展開が、畳み掛けるように描かれていく。いくらなんでも話が面白すぎる。だんだん眉唾な気分になってきてしまうとしても無理はない。

ひょっとするとチェッカーの完全解とはフィクションであり、宮内の創作ではないのか?と。だが、その後調べてみると、本書に登場するチェッカーがらみのエピソードはほとんどが事実であった。ティンズリーは本当にほぼ無敗のチャンピオンであり、数学者でもあったのだ。なんということであろう。嘘のことを本当のように描くのがフィクションの王道であるが、本当のことを嘘のように描くこともできるのだ。世界は変わる。ほんのちょっとした仕掛けだけで。

だとしたら、第一話のラストシーンと最終話の舞台に広島が選ばれたのもまた、意味のあることなのだろう。いったいそれはどのような意図に基づくものなのだろうか。

第一話と最終話のみ主人公が共通している。あの奇妙な女性棋士・灰原由宇だ。由宇という、ありふれてはいるがいささか意味ありげな名前が気にかかる。

ひょっとして「由宇=U」ではないのか?たわむれにそう仮定してみる。

決してこじつけとも言い切れないはずだ。実際にこの物語は広島から始まり、ヒロシマに終わる。実際のUの字のごとく、元の場所に戻ったつもりでも、実際に着地する場所は少しずれている。

第一話「盤上の夜」に登場する広島市は、原爆と直接関係してくることのない、静寂の支配する都市だ。これは、実際に私が知る広島の姿ととても近い。アニメ好きでもある私は、当地で開かれる「広島国際アニメーションフェスティバル」に参加するために、二年に一度、ほぼ二十年にわたって通いつめた。それはいつも原爆の日から少し後の、八月中〜下旬。都市の規模は非常に大きく、商店街や百貨店は常に多くの人でごったがえしている。とても活気のある都市だ。だがここには、大阪や東京のような典型的大都市にみられる喧騒がない。どんな雑踏でも、そこにあるのは静寂なのである。ゆったりと広い道路に整然と植えられた街路樹からは、セミの鳴き声が響き渡る。だがその鳴き声は耳に突き刺さることなく、青空へと溶けていく。広島はそんな街だ。

そのことを踏まえた上で、最終話「原爆の局」を見てみよう。原爆投下当日に指された本因坊戦の実録的エピソード(これは史実)と、世界最初の原爆実験が行われた米ホワイトサンズ砂漠で由宇たちが打った対局(これはフィクション)が交互に描かれていく。
結局のところこういうことではないだろうか。原爆が投下されたという事実とは関係なく囲碁にすべてを賭ける人々がいる。その一方で囲碁一筋の棋士たちといえども、原爆投下の現実から逃げられるわけではない。逆に囲碁も原爆も存在を否定することはできず、お互いは不本意であったとしても複雑に絡み合い、現実を構成する要素のひとつとなっている。

あるいは、こう言ってもいい。広島は原爆だけではないが、原爆を排除して広島の都市像を語るのも不自然だ。広島がかくも静寂の支配する大都市であるのは、きっと原爆の影響も大きい。中心部に平和公園という厳粛な祈りの空間を持ち、すべてが焼き尽くされた後に計画的に作り直された都市であるからではないだろうか。広い緑地もゆったりとした道路も原爆による破壊から生まれたものだ。

平和公園を歩くと、普通の緑地として散歩を楽しむ市民が多いことに気付く。もちろん日々祈る人もいる。そのふたつが同居する光景、それが今の広島の肖像なのだろう。一見対立する複数の要素がお互いに影響を及ぼし合い、共存し、全体としてひとつの光景として焦点を結ぶ。

最終話「原爆の局」においても、一見すると、原爆投下日の本因坊戦の描写と、米ホワイトサンズ砂漠での由宇たちの対局が無関係なまま終わっているようにも見える。だがこのふたつの土地を結びつけるのが原子爆弾なのであり、その結果生まれてくるのがクライマックスのフラッシュバック的な宇宙図なのである。原爆も囲碁も世界を構成する一要素である。どちらか一方を選択してもう一方を否定することはできない。それよりもむしろ、内部に独自の秩序と構造を持つ囲碁は、世界を理解するための手段として役に立つ。利用しない手はない。

SFは、広島を、そしてヒロシマをどう語るべきなのか。ひとつの解がここにある。SFもまた囲碁同様、内部に独自の秩序と構造を持つからだ。原爆がすべてではない。だが原爆を否定して広島を語ることもできない。まずは対象を分割せず全体像として眺めること。それほど広島という街は広く深い。まずはここから始めよう。そのためにSFという手段はきっと頼りになる手がかりになるはずだ。(高槻 真樹)



「広島SF大全」スタートのお知らせ

はじめましての方には、はじめまして。
すっかりおなじみの方には、どうもこんちわ、またぼくたちです。

というわけで、今回の第52回日本SF大会「こいこん」でも、開催地にまつわるSF作品についての評論記事をアップしていく、「広島SF大全」の企画をやらせていただくことになりました。

企画を推進するのは、主に、「SF評論賞」の受賞者からなる「SF評論賞チーム」のメンバーです。とはいえ、場合によっては意外なサプライズゲストが、いきなり魔が差して、産みたてほやほやの活きの良い記事を投稿したりしてくれるかもしれません。してくれないかもしれません。予定は未定です。

この「ご当地SF」の企画、考えてみれば、最初は2010年の「TOKON10」から始まったわけですから、2011年の「ドンブラコン」、2012年の「Varicon」と来て、もう四度目になるわけですね。SF大会常連の方たちには、そろそろ評論賞グループの顔ぶれも(一部の有名どころはもとより)ご記憶いただけるようになった頃合いなのではないでしょうか。

もっとも、その中には、何度も同じことを繰り返している割にはいっこうに文章が上達しない、開催地の土地柄に密着していない、もっとプロパーSFの作品を論じて欲しいなどなど、企画の内容に対して、色んなご不満をおもちの向きもいらっしゃるかもしれません。でもまあ、考えてみて下さい。落語の寄席だって、同じ噺を百回高座にかけて、はじめて一人前の芸になると言います。その伝でいけば、ぼくたちだって、第149回日本SF大会が開催されるそのときまでは、ちょっとしたモラトリアムを主張させてもらったっていいんじゃないですか?

さりとて、ぼくたちだって、何ものんべんたらりと手をこまねいているわけではありません。じつは、「ドンブラコン」のブログで連載された「静岡SF大全」の記事の一部を元にして、静岡の出版社・創碧社から『しずおかSF 異次元の扉〜SF作品に見る魅惑の静岡県〜』というタイトルの本が出版されました。これは自画自賛なのですけれど、収録されている原稿はどれも粒ぞろいの名篇な上に、YOUCHANさんがデザインされたキュートな表紙は一見の価値ありです。おまけに値段はたったの500円と超リーズナブル! これはもう買うっきゃない!

とまあ、宣伝はさておいても、SF大会が開かれるたび、その土地をモチーフにしたSF作品のデータを集計して、土地の風土と作品の趣向との関係を問うという作業自体は、けして無意味ではない――というより、大いに意義のあることだと、少なくともぼくはそう思います。何と言っても、SFを好きでいることも、地方に密着して生きることも、周縁へのまなざし、みたいなものをその根っこにもっているはずですからね。

さてそこで今回の「こいこん」です。これまで「ご当地SF」の企画が、東京、静岡、北海道と論じてきた中でも、今度の広島は、また一段と複雑な土地なのは言うまでもありません。

もちろん、太平洋戦争が残した爪痕、原爆の問題があります。ご存知の方もいらっしゃることと思いますけれど、第一回SF評論賞で特別賞を受賞された鼎元亨さんは、同じく原爆に見舞われた都市、長崎のご出身で、被爆者の苦悩については誰よりも真剣に考え続けている人です。ひょっとしたら、鼎さんは、この方向から、広島に切り込んだ記事を書いてくれるかもしれません。

それに、原爆というテーマは、3・11以降の原子力発電、そして放射能汚染の問題を、当然ながら連想させます。この問題に関しては去年、藤田直哉さんと海老原豊さんが『3・11の未来――日本・SF・創造力』という評論集の編集にたずさわったことが未だ記憶に新しいのではないでしょうか。同書では、石和義之さんも座談会に参加というかたちで、ご自身の所見を語っていました。そして、最近さまざまな分野で活動の幅を広げている岡和田晃さんもまた、この問題に関心をお持ちです。評論のアクチュアリティというものに鋭敏なこれらの方たちが、広島に目を向けるとき、いったいどんな論考が生まれてくるのか? ぼくは個人的にとてもたのしみにしているのですけれど、みなさんはいかがですか?

とはいえ、こういう誰もがすぐ思いつくテーマを挙げることしかできていない時点で、このあいさつは、あまり良いイントロダクションになっていないかもしれませんね。過去への責任とか負い目とかに縛られず、もっと色んな角度から広島を論じる評論だってあって良い。その上で、既存の社会通念を打ち破るような、ダイナミックな記事を書くことができたなら、それこそ評論家冥利に尽きるというものでしょう。いずれにせよ、これからスタートしようとするこの企画は、まだ未来に向けて開かれていて、まっさらな白紙です。この白紙の上に、はたしていかなる批評の足跡が刻まれていくのか? もしよろしければ、ぼくたちと共にその道行きをたどって、そして一緒に楽しんでいただけるなら、「広島SF大全」担当者一同、欣快の至りです。(横道仁志)