広島SF大全14「赤い鳥」

鈴木三重吉と「赤い鳥」― SFとの関係をめぐって

藤元登四郎

  • はじめに

鈴木三重吉(明治15年―昭和11年)は、広島市出身の、児童文学、芸術、教育に輝かしい足跡を残した偉大な文学者である。その業績の中でも、彼の創刊した子どものための雑誌「赤い鳥」は、現在でもますます高く評価され、不滅の輝きを放っている。「赤い鳥」は、「童話と童謡を創作する最初の文学運動」であり、大正後期から昭和初期に渡って、日本の近代児童文学を真に文学に値するように高めたのであった。

三重吉は、自由主義・児童中心主義の教育思想に基づいて、子どもの個性や創造性を尊重することを「赤い鳥」の指導理念とした。第一号の巻頭には、次のような標榜語(モットー)」を掲げている。

「現在世間に流行している子どもの読み物の最も多くは、その俗悪な表紙が多面的に象徴している如く、種々の意味に於いて、いかにも下劣極まるものである。こんなものが子どもの真純を侵害しつつ、あるということは、単に思考するだけでも恐ろしい」

それまでの児童文学は巌谷小波に代表されるように、おとぎ話と呼ばれた説話的なもので、内容も浅く、表現も文学性に乏しかった(参照1)。一方、三重吉の目指す童話は、子どもの真純な心理を描き、生活と密着する芸術であった。

「赤い鳥」は、大正7年に創刊され、昭和11年の鈴木三重吉追悼号まで全196冊が刊行された(この間、昭和4年、48歳の時に休刊したが、再び昭和6年に復刊している)。創刊号の巻頭にかかげられたモットーには、当時の第一線の文学者たち、泉鏡花、小山内薫、徳田秋聲、高浜虚子、野上豊一郎、野上彌生子、小宮豊隆、有島生馬、芥川龍之介、北原白秋、島崎藤村、森森太郎、森田草兵、そして鈴木三重吉など、輝かしい協力者がずらりと並んでいる。

その後にもさらに執筆陣には、西条八十、小川未明、坪田譲二、新美南吉らが加わる。「赤い鳥」に掲載された作品は、芥川龍之介の「杜子春」、有島武郎の「一房の葡萄」などを始め、今日では古典となった薫り高い文学作品がひしめいている。「赤い鳥」運動は全国的に起こり、教育や文化の流れを一変させるほどの大きな影響を与えたのである。

  •   鈴木三重吉  

鈴木三重吉の人生と作品を簡単に振り返っておこう。彼は、五人兄弟の三男であったが、末弟の他はみんな夭折した。九歳のときに母を失い、祖母の手で育てられた。広島一中に入学し、はじめは軍人志望であったが、その後、電気技師になろうと考えたこともあった。第三高等学校を経て、明治三十七年(二十三歳)に東京大学英文科に入学した、夏目漱石の講義を聞き、上田敏に学んだ。東大在学中(明治三十八年(二十四歳))九月に、神経衰弱になり、一年間休学し、広島の家や、瀬戸内海の佐伯郡能美島で保養した。この島を題材とした短編「千鳥」を漱石に送ったところ、推薦の辞とともに「ホトトギス」に掲載された。その後、漱石門下に加わり文学活動にはいった。漱石は、三重吉の耽美・浪漫的傾向を案じて、わざわざ手紙を書いて忠告した。

 「……間違ったら神経衰弱でも気違いでも入牢でも何でもする了見でなくては文学者になれまいと思ふ・・・君の趣味から云ふとオイラン憂ひ式でつまり、自分のウツクシイと思ふ事ばかりかいて、それで文学者だと澄まして居る様になりはせぬかと思ふ」(明治三九年一〇月二六日付の手紙)。

三重吉は浪漫主義から写実主義に移ったが、やがてまた浪漫性へと復帰していった(参照1)。雑誌『赤い鳥』もその流れにあった。三重吉は、大正六年十月頃から資金を集め、大正七年に『赤い鳥』は創刊された。

こうして、子どもたちのために、芸術としての優れた童話や童謡やイラストを創作した雑誌が誕生したのであった。さらにそこには、子どもたちから投稿された綴り方までも掲載され、子どもたちとのしっかりした絆が築かれていた。たとえば、小学三年だった岡本太郎の詩も掲載された。この体験は、芸術家としての出発点であったといっても言い過ぎではないだろう。岡本太郎ばかりではなく、多くの子どもたちの感性が磨かれていったことだろう。『赤い鳥』は、見事に三重吉のもくろみ通りの成果を上げたのであった。このような目的は見事に達成され、三重吉は「十周年を迎えて」で、自らの成果を高く評価した。しかし、「いくたのいまわしい少年少女雑誌が、児童の純性を害毒しつつあることは、いよいよいでて、十年前の状況よりもなおはなだしい」と嘆いている。

  • 「子どもの純性」

三重吉は、『赤い鳥』のモットーにあるように、「子どもの読み物」を「純麗な読み物」、すなわちいい読み物と「下劣きわまりない読み物」、すなわち悪い読み物に分けている。いい読み物は「子どもの純性を保全開発するもの」であり、一方、悪い読み物は「子どもの真純」を侵害するのである。そこで、『赤い鳥』は、第一流の芸術家を結集して、いい読み物をさらに強固なものにする方向へと進んで行った。

しかし、これらのモットーは言葉としての響きは良いが、大ざっぱにいって二つの大きな問題をはらんでいる。まず、いい読み物と悪い読み物を決定するのは誰かということである。この場合は、もちろん、三重吉自身である。それから、子どもの「純性」あるいは「真純」とは何か、果たして、そのようなものが存在するのかという問題である。しかし、三重吉がいい読み物と悪い読み物を決定する基準は、そこに、「子どもの純性を保全開発するもの」があるかないかということにあるだろう。

この二つの問題を検討するために、『赤い鳥』創刊号を見てみよう。ここには、三重吉の目指している童心主義に基づく「いい読み物」が掲載され、それが「子どもの純性を保全開発する」はずである。「赤い鳥」第一号(大正七年七月一日発行)は、表紙、挿絵、飾り絵がすべて清水良雄によるもので、清純、無垢、ファンタジーに満ちた美しい童心主義の雑誌である。特に表紙はエキゾチックで、着飾った王子様と王女様がそれぞれ鈴のついた馬に乗って花の前を進んでいる場面である。この表紙は、耽美・浪漫派である三重吉の好みをはっきり象徴している。内容は、北原白秋の詩「りすりす小栗鼠」、島崎藤村の「二人兄弟」、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、鈴木三重吉の「大いたち」、泉鏡花の「あの紫は」などの作品に加えて、徳田秋聲、小島政二郎、小山内薫、小宮豊隆と、豪華な執筆陣によるものである。この雑誌をリアルタイムで読んだ、子どもたちは何と幸せだっただろうと、うらやましく思われる。

巻頭の北原白秋の「りすりす小栗鼠」は、豊かな自然に囲まれて、木の実を食べる無邪気なリスのイメージが美しい日本語の響きで描かれている。子どもたちは、この詩を読んで自分たちや動物の生きている世界の喜びを感じ取ることができるだろう。これは、まさに三重吉の理想とする「子どもの純性」な心に訴えるものである。

「子どもの純性」のモデルとは、白秋の詩に象徴されるような無垢で自然と共存するものであると考えられる。使用されている言葉の特徴は、不快なものや、不安をかきたてるようなものが注意深く排除されていることである。無心に戯れ、木の実を食べる動物の世界とそれを暖かく見守るまなざしがあり、人間社会の不純さなどは一切うかがうことはできない。思わず微笑が浮かんでくるような、平和と静けさと無垢に満ちている。この詩を読んだ子どもたちは、自分たちの生きる世界の喜びを感じ取ることができるだろう。

続いて、三重吉の「大いたち」を読んでみよう。動物の大いたちが、湖水で泳いでいる鵞鳥や雁や鴨に、にこにこしながら近づいて行って、甘い言葉でうまくだまして大きな袋に入れる。そして毛をむしり、鍋で煮ながら、その横でぐうぐう眠っている。かけすというおしゃべり鳥が、おなかのすいていた土人(原文通り)のところに行って、鳥の煮えていることを知らせる。そこで土人がやって来て、鍋の中のものを全部食べて、骨だけを鍋の中にいれて帰って行く。大いたちは目が覚めて、煮えたころだろうと鍋の中をのぞきこむと、骨だけしか残っていない。がっかりしているところに、かけすがとんできて、「おれが土人に知らせて、全部土人が食べた」とからかう。そこで大いたちも「お前にやろうと思って、大きな身を別にしておいた」と嘘をつく。

これは、悪い大いたちが獲物をかけすのせいで食べ損なったが、虚勢を張るというユーモラスな物語である。そこに描かれている、騙される鵞鳥や雁、鳥を捕まえて嘘をつく見栄っ張りの大いたち、密告者のかけす、大いたちの眠っているすきに煮えた鳥を盗んで食べる土人などには、悪に満ちた社会の姿が象徴的に反映されている。しかし、鳥やかけすや土人は、ユーモラスな語り口で毒を抜かれているが、毒あるいは悪であることは変わりがない。この見事な作品を通じて、三重吉は子どもたちに対して、世の中には大いたちのような悪人がいるので、甘い言葉にだまされないように注意しなさいという教訓を与えたのである。そうすると、純性な子どもたちは、社会の悪に対する抵抗力をつけることができるだろう。

しかし、「子どもの純性」という内的なものを語ろうとしても、結局は、外的な社会的問題を比較対照として加えざるを得ないのである。「大いたち」は、「子どもの純性を保全開発」しようとする試みにもかかわらず、逆に、社会の暗い面が描かれ、それが逆に子どもの好奇心をそそって成立しているのである。そうすると、むしろ、読者の興味は、「子どもの純性」の奥に侵入した社会悪の問題の方へ向かうだろう。不純な外部を純正な内部から排除しようとしても、不純と純性を対比させることなしには達成できない。白秋の詩と違って、童話では、子どもたちを読ませるために、社会の暗い問題を排除することはできないのだ。

こうしてみると、「子どもの純性」とは、本来それ自体としては成立することはできないし、そもそも決定不可能なものであり、単なる三重吉の希望の産物であったといえる。彼の希望がどのような変遷を遂げるかは、この後で見ることにしよう。

精神分析学的にみると、三重吉のいう「純性」という形式主義は根本的な限界に直面する。子どもたちはなぜこれらの詩や童話を喜んで読むのだろうか、「りすりす小栗鼠」と「大いたち」に共通しているのは、「食べる」ということである。そうであるからこそ、子どもたちは興味を持ってこれらの作品を読むのである。そうすると、もちろん浮かび上がってくるのは、フロイトのいう「口唇段階」のことである。食べるという「おとり」によって、「子どもの純性を保全開発」する詩や童話の構造が築き上げられている。なお、「口唇段階」とは、人間存在の性的体制の発展段階の一つであり、将来の性生活を決定する重要なものである。要するに、心理学的にも、子どもはすでに性的存在であり、「純性」はあり得ないのである。

  • 奔放な空想の排除

「赤い鳥」を支持したのは、主として、官吏、教育関係者、銀行員、会社員、弁護士や医師といった、都市中間層の家庭であった(参照2)。したがって、表紙にはそのような家庭の理想とする上品で西洋風の雰囲気が漂っている。しかし、このような階層は、大正9年ごろには、まだ全国民の7-8パーセントを占めるにすぎなかった。掲載されている作品は、このような階層の好みに合わせたもので、日本風あるいは西洋風の昔話か、子どもの生活を描いた生活童話風のものがほとんどであった。

その一方で、奔放な空想的な作品は排除されていた。たとえば、宮沢賢治の童話はまったく無視されて掲載されなかった。三重吉は賢治の「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうであった」を読んで、「ロシアでも持って行った方がよい」という否定的な立場をとったという(参照3)。その理由は、「赤い鳥」は子どもを訓育すべき対象としてとらえている点で、賢治の童話とは異質であったからである。実際、賢治の童話は、教訓を与えるというよりも、途方もない幻想に満ちており、『銀河鉄道の夜』などはSFに分類されている程である。

こうして、三重吉の真純さを基本にした生活童話の理想は次第に増幅されていき、日常生活とかけ離れた空想的な作品は「下劣極まる」ものとして蔑視され、排除されるという風潮を招くことになった。すでにこの時点から、SFは過酷な運命にさらされていたといえよう。

「赤い鳥」は一時的に休刊したが昭和十年に復刊された。復刊第二号からは、三重吉の「希峰口関門の戦闘(実話)」が三か月連載で掲載されている。これは、満州事変中の日本軍の活躍を描いたもので、軍国的なものである。これを見ると、創刊号当時に子どもの「純性を保全開発する」というモットーに基づく、清純、無垢、ファンタジーなどのイメージはすっかり消え去って、リアリズムに変わっている。このことは、本来、三重吉の判断に委ねられていた「純性」が、時代とともに変化していったことを意味している。そして、軍国主義に奉仕する「男らしさ」を特権化し、「女性的なもの」を周縁化するに至っている。

三重吉が子どもの読み物の価値を決定したのであり、彼のいう「純性」によって、「世俗的な下卑た子どもの読み物」が「子どもをけがす」という連想を呼び招くことになった。すなわち、良い読み物と悪い読み物という階層秩序的二項対立が生まれたのである。しかし、「純性」とは、そもそも決定不可能であり、子どもの読み物が「純性」に働きかけようとする場合、不可避的に時代の思潮が入り込んできて「汚す」機能も発揮してしまうのである。以上が示しているように、一般に、教育者は、子どもの読み物に根源的な分割を施す権利を持つ人とみなされているが、結局、彼らのこの錯覚が強力に組織化されて子どもの読み物に大きな影響を与えることになる。児童文学は、それに価値を付与する「おとな」の支配下にはいってしまった。

  • 滑川道夫教授の提案  

東京教育大学教授の滑川道夫は『赤い鳥』に決定的な影響を受けた。彼は次のように書いている。

「児童性の尊重をモットーとする児童中心主義の浸透と同調し、芸術教育運動と手を結んで『赤い鳥』の児童文学運動がすすめられていくのである・・・児童性の尊重は、童心主義を、ひいては童心至上主義をよびこんで傾斜する道をあゆんだ。それは大正期を特色づける児童文学の基調となったばかりではなく、児童教育・児童芸術・児童文化の基調となり発想となって展開する。これは、児童を抑圧から解放する歴史的道程であった」(参照4)。

ここで問題となるのは、「児童性」について何ら考察がなされていないし、「児童を抑圧から解放」という意味もはっきりしない。果たして児童を抑圧するものは何だろうか。要するに、滑川は『赤い鳥』を理想として、「児童教育・児童芸術・児童文化」に十分な考察を加えていない。このような、基本的欠陥のある理念に基づいて、彼は、1955年2月11日付の『朝日新聞』に「青少年読み物を健やかに、出版界への警告と民間勢力結集の提案」を寄稿した。この記事をきっかけに悪書を「見ない読まない買わない運動」という「悪書追放運動」が全国的に展開されることになった。滑川道夫の提案の一部を引用しよう。

 「青少年を対象とする読物が一面において質的向上を示しながらも、半面の俗悪娯楽書の氾濫はひどすぎる。例を影響力の激しい娯楽雑誌にとってみよう。漫画絵物語が平均四二%も占めている。その上に別冊付録としてマンガや絵物語の単行本を添えることが流行している。この内容も大部分が怪奇冒険探偵小説・活劇物語・空想科学小説・講談の類である。怪人・魔人・仮面・怪獣が出没し・原子銃がうなり、火星人が攻めて来る。土人が白人に殺される。がまんできないのは、教育基本法・児童福祉法・児童憲章の精神をふみにじり民主主義の方向と逆になっていることである。人権の無視はおろか人命軽視、暴力と勇気をすりかえ、偶然の幸福を期待させ、もっとも非科学的な科学小説が正常な空想力をゆがませ、せまい前近代的な任きょう(侠)の精神を正義感としてたたえているのが大部分を占めている」(強調は筆者)(6)。

いうまでもなく、明らかにやり玉に挙がっているのはSFであるといえよう。しかし、その後の歴史が明らかにしたように、手塚治虫を筆頭に、SF的漫画は発展の一途をたどったのである。これらの作品は、「教育基本法・児童福祉法・児童憲章の精神をふみにじり民主主義の方向と逆になって」いるはずにもかかわらず、現在、世界を席巻するに至っている。滑川の決めつけた悪書がなぜ批判にもかかわらず、この様に発展したのか、滑川道夫の提案や「悪書追放運動」も含めて、今後検討しなければならない大問題である。ここでは、それについて論ずるつもりはないが、一言だけ、申し述べておきたいことは、児童を抑圧した者は、まさしく教育者であったということである。この意味で、滑川道夫の提案や「悪書追放運動」は、日本におけるモダンからポストモダンへの大きな転回点であったといえる。

  • おわりに

SFは、東京教育大学教授の滑川道夫の提案によって、現代の焚書である、「見ない読まない買わない運動」という「悪書追放運動」による迫害を受けた。しかし、滑川の範であった『赤い鳥』の鈴木三重吉の理想そのものが幻影であったことが示しているように、滑川自身の「悪書」の概念そのものもまた幻影であった。滑川いう、「非科学的な科学小説が正常な空想力をゆがませ」る、という言葉もすでに過去のものとなった。

鈴木三重吉や滑川道夫などの時代の人々にとって、児童文学の理想は、いわゆる子どもらしい健全な精神を育てるために、日常的な言葉を使用して、理想的な登場人物を描きだすことであった。しかし、時代が進んで科学技術が発展し、社会がさらに複雑になっていくにつれて、人々の心も引き裂かれていき、寄る辺ない気分が漂い始めた。

一方では、このような風潮を跳躍台として現れたSFは、伝統的な束縛から逃走し、日常性を超え、一般社会と断然絶した途方もない世界を開いたのであった。SFの魅力は、そこで描かれる世界と社会との間の断絶の深さにある。子どもたちがSFを楽しむのは、SFの世界に完全に引きずり込まれたからではなく、現実との断絶を喜びをもって感じ取っているからである。子どもたちはちゃんと現実を心得て、現実の寄る辺なさを体で感じ取っている。夕食を待つ間の茶の間で、怪獣の出るテレビを見ている子どもたちは、日常的な世界とSFの恐怖の世界との断絶を楽しんでいるのだ。こうして、SFは、子どもたちの想像力をさらに拡大させると同時に、現実の寄る辺なさを征服させ、そして新たな世界に向かって飛躍させるのである。

しかし、鈴木三重吉の「赤い鳥」は、いま読み返しても、新鮮で感動的である。三重吉がそれまで軽視されてきた児童文学を芸術のレベルまで引き上げたことは、日本文学史に燦然と輝いている。何といっても、三重吉は偉大な作家であった。しかし、だからといって「赤い鳥」のジャンル以外の子どもの読み物を排除することは、また行きすぎというべきだろう。それらはそれらで十分な価値を持っているのであり、その証明は、いうまでもなく、日本の漫画が「悪書追放運動」を乗り越えて、世界の子どもたちの共感を呼ぶまでに進化したことである。ここで、鈴木三重吉の『赤い鳥』から引き出すことのできる教訓は、子どもの心は大人の予想を超えて柔軟性があり、子ども彼らの読み物の良し悪しを、作家でもない教育者や親が軽率に判断することはできないというこということであろう。

  • 参照
  1. 福田清人『「赤い鳥」総論』『「赤い鳥」復刻版解説・執筆者紹介』1979、2-11頁。
  2. 河原和枝『子ども観の近代 赤い鳥と「童心」の理想』中公新書、1998、84‐85頁。
  3. 井上寿彦 「賢治、『赤い鳥』への挑戦」菁柿堂、2005、60‐62頁。
  4. 山内修編著『宮沢賢治』河出書房新社、1989、57頁。
  5. 滑川道夫「『赤い鳥』の児童文学史的位置」日本児童文学学会編『赤い鳥研究』、小峰書店、1965、31-32頁。
  6. 滑川道夫「青少年読み物を健やかに、出版界への警告と民間勢力結集の提案」朝日新聞、1955年2月11日。


広島SF大全13 『HIROSHIMA』

広島SF大全12 『HIROSHIMA』 小田 実

 この小説のタイトルは『HIROSHIMA』であって、「ヒロシマ」や「ひろしま」、まさして「広島」ではない。その意味するところは、この作品を読み始めるとすぐに理解できるだろう。

扉にはロス・アラモス科学実験所所長ノリス・E・ブラッドベリーの「武器をつくる目的は人を殺すことにあるのではない。ひとえにそれは誰かが他の手だてを見つけて問題を解決するための時間を稼ぎ出すことにある」との言葉がある。この小説はこの意味を紐解くためのものでもあるのだろう。そして物語が始まる。

それは日本軍のパールハーバー奇襲作戦の寸前に、アメリカ合州国南部の主に牧畜を営む小さな町で始まり、淡々と続いていく。登場人物は多い。白人男性は牧場経営者のジョンと牧場に雇われているジョウ、大牧場主のサム、酒場の主人のジャック、ガソリンスタンドのアル、薬屋のミスター・グリックス、女性は子連れの出戻りスーザン、その妹ペギイ。インディアンがチャックとその甥のロン、ロンの妹のローズ、ジョージ。そして日系人のナカタ一家とタジリ一家。酒場の手伝いをしている黒人ポールとその父親ボッブ。さらに他にも大勢。

ジョウは荒野をいつも駆けている。その荒野の夜明けに、インディアンの伯父チャックが甥のロンに彼らに伝わる天地創造の話をする。それによると現在は三回ほど焼き尽くされたあとの世界なのだという。この第四世界にも終わりが近づいている。やがて選ばれた人々だけがアリ人間の塚に入り、業火を避けることができる。

しかし町は平凡な日常が支配していた。ジョンの牧場がサムに売られ、スーザンはアルと結婚し、ジャックの酒場を手伝っているポールは兵士になり、その仕事を父親ボッブが引き継ぐ。大きな変化がないその日々は、HIROSHIMAを感じさせない。

だが、そこへと至る要素はところどころに存在している。日常のそこかしこにある他者への蔑みは、自分の恐れを払拭しようとする行為でもある。戦いの予感がそれを増幅させていく。頂点に白人がいて、その下にチカーノ、インディアン、日系人、黒人が同じ高さで並んでいる。愚かで、臭く、汚く、ズルく、醜い存在の彼らへのそれは、蔑みの行為である前に当然で、明確で、日常以外の何ものでもない。

そしてある日、戦争が始まり、時間が流れ始める。ある者は軍に志願し、ある者は召集され、町から若者たちの姿が消えていく。そして日常に蔓延していた蔑みは、視線や侮蔑的な言動ではなく、具体的な強制力を行使し始める。日系人の一家はアメリカ国籍の有無に関わらず、収容所に強制移住させられ、居住地の外で暮らすインディアンは退去させられる。

日系の一家の三人の息子たちも事態の推移に選択を迫られる。一人は軍隊に入り欧州で戦うことになる。一人は兵役に就かず日本にも忠誠を誓わないことから、牢屋に収監される。そしてもう一人は日本に帰ることを選ぶ。さらに日系人を蔑む風潮がアメリカ社会をさらに歪にしていく。人々の心に広がっていくそのありようは、いま日本の街頭で行われている在日韓国人・朝鮮人へのヘイト運動にも似ている。

小田実の書く小説は、全体小説と呼ばれている。これもその例にもれない。時代の全体的な動きの中に、人々の生活の機微が丹念に描かれていく。しかしそれらはいわば乾いている。人々は感情を表立って露わにすることない。もちろん彼らの心のうちを描写するが、その理不尽さを声高に批判することはない。ほとんどが時間の流れの中に身を任せている。ただほんの数人がその流れに抗おうとする。例えば、インディアンのホピ族の何人か。もともと平和を意味する部族の彼らは伝統に従って、兵役を拒否する。クエーカー教徒には許されている宗教上の兵役拒否の権利が、彼らには認められておらず、彼らは収監される。そしてまたインディアンの聖地を守るために、立ち退きを拒否する人も現れる。

そういったアメリカ南部の小さな町の人々の描写が、300ページほどの小説の127ページまで続く。ページが進むあいだに登場人物たちは、時代の触手に絡み取られていく。

南部のある日の朝、ロンは巨大な火の玉を目撃して、失明し精神を病む。その光は時代が次の段階には入ったことを示していた。ロンはそのときのことを訴え続ける。しかし人々はそれが何であるのか、まったくわからなかった。

この小説はⅠ、Ⅱ、Ⅲの三部構成になっているが、Ⅰはさらに228ページまで続き、広島で暮らす人々の日常を中心に、太平洋の南の島に進攻してきた南部の町の若者たちの情景がそこに挟み込まれる。ジョウは爆撃機の搭乗員、アルは歩兵、そしてポールは輸送船の乗組員となってその島で一瞬だけ交差する。彼らと、さらにアメリカ南部の町の人たちの様子が、広島の情景に交じり合っていく。

広島に日本で暮らすチョーセンジンと蔑まれる在日朝鮮人の少女乙順(ウルスン)、大阪から縁故疎開して青ビョータンと疎んじられる男の子恵二は、ジョウと同じように走り始める。彼の疎開先の若い女性菊子と友人京子、そしてアメリカから来た、かつてのトミイ、今は富雄である男の子、彼はアメリカではジャップ、日本のスパイと呼ばれ、日本ではアメリカ・スパイと侮蔑され続ける。しかし彼らは気丈にそれらに対していく。

南部の町でも、インディアンの住まいや聖地が暴力的に奪われていく。そこは軍の演習の場になるという。

ポールの輸送船は重要な兵器を運び、帰路に撃沈される。ジョウの爆撃機は撃ち落とされて捕虜となって広島に移送される。

広島の男の子たちは、自分のよって立つ場を見出す。若い女性たちも幸せの場所を掴む。その一人の中には新しい生命が宿る。その直後に彼らの上に強烈な閃光が走る。これでⅠが終わる。

Ⅱでは原爆投下後の広島の惨状が描かれているが、それはたったの8ページのみである。そこでさまよっているのは、捕虜のジョウだった。彼は炎の中で故郷の荒野を見る。焼けただれた彼をアメリカ人だと知ったやはり焼けただれた日本人が囲み、争い、そして折り重なっていく。そのかたまりを黒い雨がたたく。

Ⅲはある病院の一室が描写される。原爆投下の三十年後の世界だ。そこには末期の肺ガンに冒されている老人がいた。彼は自己紹介っぽく平和を重んじるホピ族ではないほうのインディアンで、核燃料の採掘現場で働いていたという。そこに舞う粉が身体に入ったのが病気の原因だった。

その部屋に自分をロンと呼ぶ、ラルフという名の、やはりインディアンの盲目の少年がやってくる。付添いの少女のことを彼はローラというが、実はアンという名前だった。彼もガンに冒されていた。採掘場に近い村にある井戸水を飲んでこうなったのだという。それ以前に川の水を飲んでいた牛や馬や羊も次々と死んでいた。

この井戸水と川の水が連想させるのは、東京電力福島第一原子力発電所の現在である。すさまじい量の核物質がいわば放置されて、そこに毎日400トンもの地下水が曝されている。その行き着く先は、この小説の類を超えたところにあるのかもしれない。

ラルフは老人のことをチャックと呼ぶ。そして伯父と甥であるチャックとロンになったかのように話を始める。ラルフはロンの思い出を語る。火の玉が爆発して、そのまわりで人が踊っていたという出来事。だがアンは、目の見えない彼にそんな記憶があるはずがないという。その病室に白人の将校が入る。彼は度重なる核実験の現場にいて実験台となったアトミック・ソルジャーだった。核物質を採掘する現場で被爆した老人、井戸水に混入した放射性物質で病気になった盲目の少年、そして核実験で被爆した将校、この死の瀬戸際にいる三人が、その病室で体験する幻影が物語の最後を飾っている。

彼らは核によって死んだ多くの人々、インディアン、白人、黒人、アメリカ人、朝鮮人、日本人、あるいは殺した人、殺された人の姿に入れ替わり、または彼らの目の前に現れる。

やがて彼らは将校が調達したヘリコプターに乗って、核実験場から放射性物質を盗み取った。そして天皇の来訪を待つホワイトハウスに、土産のお菓子イエローケーキとして持参しようとする。そのヘリコプターがホワイトハウスに墜落する。そのとき、担当の医師は病室で彼らの死を確認する。そして物語が閉じられる。

このあらすじを見ても明らかなように、この作品の趣旨は原爆の悲惨さだけでなく、そこに至るまでの要素、蔑みや偏見や無知……、その他人間の多くの属性が混沌となり、やがて国家的に規模として、一つの方向にゆっくりと動き出すさまが描かれている。その先に一つの爆心地点がある。

この作品の扉にブラッドベリー博士の言葉が掲げてあったが、結局、そこで開発された武器は時間を作り出すことなく、逆に時間を短縮するという名目の元に、使われることとなった。彼の言葉と対になるように、作品の最後にはホピ族の言葉が引かれている。

「物のことばかり考える人が避難所をつくったりする。心に平和をもつ人は、すでに生命の大きな避難所のなかにいる。悪に対しては何んの避難所もないものだ。黒人であれ、肌色の赤い人、黄色い人であれ、イデオロギーによって世界を分けたりする作業に加わらない人はまちがいなく次の世界に生きることができる。そういう人すべてはひとつになっていて、おたがいが兄弟だ」(ホピ族の予言)

たぶん世界はこの二つの言葉の中で揺れ動いているのだろう。残念ながら、どちらか片方に寄り添っていることは事実なのだが、もう片方があるということが希望であるに違いはない。

(忍澤 勉)

付記:『HIROSHIMA』講談社、1981年。のちに講談社学術文庫、1997年。『The Bomb』として英訳されている。



広島SF大全12 『闇よ、名乗れ』


『闇よ、名乗れ』(天瀬裕康)(2010年・近代文藝社刊)

1945年8月6日の広島への原爆投下、それは世界史上というより人類史上の出来事であった。そのことが、「日本SF第一世代」の作家たちに与えた影響は多大なものがあった。我々はこれからどうなるのだろうか? どうすれば、自身を滅亡させる道から逃れることができるのだろうか? しかも、どうやら我々は、既に他の生物を次々に絶滅へと追いやっているようだ。いったい、我々とは、何なのか?SFは、こういった問いに真摯に答えようとした。本作『闇よ、名乗れ』も、そういった問題意識に基づく作品である。

あとがきによると、21世紀になってから〈広島文藝派〉〈医科芸術〉に分載されたものを、「大幅に書き変え」たものだと言う。作者・天瀬裕康(あませ ひろやす)は、本名の渡辺晋(わたなべ すすむ)名義での活躍の方が広く知られているかもしれない。渡辺晋は〈宇宙塵〉の初期からの同人であった。その活躍から、1969年には、石川喬司らとともに「日本SFファンダム賞」を受賞している。天瀬裕康は、1931年、広島県に生まれた。小松左京と同年の生まれである。その意味では、「日本SF第一世代」である。

主人公の名前は、楠那山彦(くすな やまひこ)という。この日本神話に結びつく名を持つ主人公は、広島に生まれ育つ。その生い立ちや成人後の遍歴を追って、本書は書かれている。それ自体が思考実験のような遍歴である。我々が、今、あるような文明スタイルを持ったのは、偶然なのか? 必然なのか?歴史はリセット可能なのか?

ダンテの『神曲』、弘法大師の真言密教、南方熊楠の日本民俗学、友清歓真の神道、ゲーテの『ファウスト』、天草四郎の「島原の乱」、カーソンの『沈黙の春』……さまざまなものが、「闇」の存在を我々に知らせている。だが、闇は名乗らない。常に、名乗らない。その闇の周りを我々はぐるぐると回る。闇をつついて何とか名乗らせようとするのだ。しかし、その過程において、我々はいつのまにか自らをつついて、自ら闇に名乗り始めてしまう。あるいは、何かをつかもうとして、ただ「手袋」だけをコレクションする結果に終わる。
闇はいつも指の間をすり抜ける。

もちろん、作者は知っている。この作品自身もこの「手袋」のひとつに加えられてしまうであろうことを。だから、あえて『闇よ、名乗れ』と、タイトルに示したのだ。それは、我々自身が闇だからなのか? あるいは、それは不幸な偶然の結果なのか? 我々に未来はあるのか? 闇よ、名乗れ! その叫びは、切実である。(宮野由梨香)



広島SF大全11「タビと道づれ」

たなかのか「タビと道づれ」(マッグガーデン)全6巻

尾道を舞台にした物語をもう一本ご紹介したい。著者は広島県生まれのマンガ家。文字通りご当地作家による作品だ。以前紹介した「扉守」も地元在住者によるものだが、あの作品の中の尾道は外側に向けて開かれた、明るいコミュニティだった。だが本作品の描く尾道はもっと不条理だ。外部と遮断され、延々と同じ一日を繰り返す閉ざされた世界。というといかにも短編めいた設定だが、ご覧の通り全6巻というかなりの大作である。ありふれた閉鎖空間に次々と壮大なアイデアが組み込まれていき、気がつけば非常に大きなスケールをコンパクトな空間に包み込んで鮮やかに着地する。

伏せられている要素が大変に多く、丁寧に説明すれば作品の魅力を削ぐことになってしまうのがなんとも悩ましい。とはいえ何も語らなければ何も伝わらない。少し抽象的になるが、気を配りながら魅力を語ってみよう。

本作品の主人公である15歳の少女・タビは、とても引っ込み思案で気が小さい。人付き合いが苦手なため学校生活が辛く、ある日、子供の頃住んでいたなつかしい尾道(作品内の表記は緒道)へと発作的に旅立ってしまう。そこには、尾道を離れた後もずっと文通を続けていた「航ちゃん」が住んでいるから。「航ちゃん」の言葉こそが、孤独なタビにとって唯一の心の支えだったのだ。

だが久しぶりにたどり着いた緒道は奇妙な法則に支配された異界となっていた。住人たちはごく一部を除いて気付かないまま同じ一日を繰り返し、外部とは隔絶している。異変に気付いた数少ない住人である少年ユキタと駅前の交番に勤務する警官・ニシムラさんは何度も脱出を試みるがうまくいかない。そんな渦中に突然放り出されたタビは、ユキタや ニシムラさんと協力しながら、少しずつ街に隠された秘密を探り出していくことになる。

街の外に出ることができないばかりか、通行不能な道も多く最初は駅前からほとんど移動できない。無理に渡ろうとしても地面が崩れ落ちたり闇の中に沈んだりして大変に危険。やがて通れない道はセキモリという特殊能力を持つ住人たちに管理されていることがわかってくる。通行できる範囲を増やすためにはその道のセキモリからテガタを分けてもらわなければならない。

だがセキモリとは何か。テガタとは何か。緒道はなぜこんな異様な世界に変わってしまったのか。そもそも誰も入ることも出ることもできないはずの場所に、なぜタビは足を踏み入れることができたのか。すべての謎には理由がある。世界の成り立ちの謎が解き明かされていく過程は、これ以上ないほど見事なSFとして結実している。巧妙に張り巡らされた伏線は巧みで、登場人物たちの名前にも重要な意味がある。もちろん「航ちゃん」が誰で、タビと「航ちゃん」が会えるかどうかにも大きな意味がある。

閉じた世界、繰り返す単調な一日、出ることのできない構造。尾道に限らず、地方出身者が必ず抱えるジレンマが具現化しているのが興味深い。生まれ育った土地が好きだという思いと、こんなしがらみだらけの何もない場所から出ていきたいという思い。その二つの間で翻弄される人々。役者を志し「こんな町出ていってやる」と決意したその日に異変に遭遇し、何度も何度もあきることなく脱出を試みるがことごとく失敗するユキタは、その代表格と言えるだろう。

世界から脱出するためには世界を知らなければならない。だが脱出できるほど十分に知った後では、情が生まれ、出て行くことが難しくなってしまうのだ。

だからこそ、この物語の舞台は緒道=尾道でなければならなかった。詩情にあふれた見事な景観はとても印象的で、映画のロケ地として何度も利用されている。だが経済的繁栄からは遠く、若者は時に持って行き場のない閉塞感に苛立ちを感じるだろう。どちらも本当の尾道のいま現在の姿だ。

作品中に詳細に描きこまれた「坂の町」としての緒道の見事な景観は、現実の尾道の風景に基づいており、愛読者によるルポもネット上にたくさんアップされている。単行本を片手に尾道を巡れば、作品そのものの世界が広がっている。その意味では、これほど広島SFの名にふさわしい作品もないだろう。地理的な意味でも心理的な意味でも。

ここでは、作者たなかのか自身によるツイッタールポを挙げておく。
http://togetter.com/li/429557

物語は土地と人とのかかわり、人と人とのかかわりに踏み込んでいく。かわいらしい絵柄が持ち味の作者が大きく作風を変えた転換点となった作品である。

単行本は残念ながら歯抜け状態で何冊か絶版になっており、特に最終六巻はかなりの高値で入手が難しい。だが幸い、各種の電子出版で容易に入手できる。何よりもまず、一度読んでみてほしい。きっと夢中になるはずだ。

この後、現在連載中の最新作「すみっこの空さん」は、カメと少女の哲学的思索をたどった異色作となっている。たなかのかはどこへたどりつくことになるのだろう。これからも目が離せそうもない。(高槻 真樹)

 



広島SF大全10『GOJIRO』

『GOJIRO 南太平洋の巨大トカゲと日本少年の愛と友情の物語』
マーク・ジェイコブスン(角川書店)

 本書はニューヨークでタクシードライヴァーを生業としながら『ヴィレッジ・ヴォイス』などに寄稿するジャーナリスト/コラムニストだった著者が、7年がかりでようやく完成に漕ぎ着け1991年に発表した第一長篇小説である。核時代の黙示録的想像力が、多文化主義と新時代秩序に揺れるアメリカで、サブカルチャーにどっぷり浸かった神秘的救済の喜劇として描かれた本作は、トマス・ピンチョンやトム・ロビンズと並び称されるポストモダン文学、アヴァン・ポップの古典としていまもカルトな人気を誇っている。日本人にとって80年代後半のアメリカといえば何と言っても貿易不均衡に由来する「ジャパン・バッシング」という社会現象を想起される向きが多いだろう。テレビで何度も流された過激派のアメリカ人たちが破壊する東芝のビデオプレイヤーが、実際には韓国工場の製品であったというグローバル時代にありがちな混乱のためにいささか滑稽な様相を呈していたように、本作で描かれる核時代を象徴する土地の名「ヒロシマ」もまた、さまざまな誤謬と混乱を重ねたメディア的記号であって、さまざまな感慨を呼び起こさずにはいない。

物語は、南太平洋のどんな海図にも載っていない「放射能島」からはじまる。放射能によって巨大化したトカゲ・ゴジロは、体長150メートル体重50トンの巨体を誇るモンスターにして、16本の怪獣映画に主演した映画スターである。彼は、広島で原子爆弾のために九年間の昏睡状態に陥り、目覚めた後に科学者となった少年コモドとテレパシーで結ばれた親友となって、放射能の犠牲となって突然変異を起こしたゴジロ映画のファンである「アトム」と呼ばれる子どもたちとともに放射能島で暮している。巨大トカゲのゴジロは、トカゲであるにもかかわらず人間的な知性を有しており、その出自から完全に切り離された孤独感と絶望から自死を望むが、何かにつけて《真の親友》と叫ぶコモドに妨げられる。すったもんだの挙句、《一年という期間が経過したあと、一方が命を絶つことを望んだ場合、他方は誠実に、その試みに助力するよう努めなくてはならない》という約束を交わす。そんな頃、二人の元に映画作家シーラ・ブルックスからゴジロに新作映画『ゴジロVSジョーゼフ・プロメテウス・ブルックス——決断の谷』への出演オファーが届く。ジョーセフ・プロメテウス・ブルックスは、すべての元凶である〈熱源〉の発明者であり、ゴジロの宿敵だ。そしてシーラはその愛娘であった。ゴジロは激怒するが、しかしシーラの映像作品をその作り手に無知なまま観客として愛していえたことも知る。この手紙に運命を感じたコモドはゴジロを説得。彼が発明した薬剤によって小さくなったゴジロはコモドのポケットに入ってアメリカへと旅立つ。死んだはずのジョーセフがまるで幽霊のように生きているという謎や、シーラとコモドのロマンスなどのさまざまな事件を孕み、ハリウッドから原爆発祥の地であるニューメキシコへと巨大トカゲと原爆昏睡少年の旅は続く。果たしてゴジロは絶望から立ち直ることが出来るのか?

巻末解説によると、マーク・ジェイコブスンはインタビューで、ギリシャからはじまった人間の歴史はヒロシマとアウシュビッツで一度終り、人間はみずからを地獄に落としたのではないかと言っている。そして日本人はその悲惨な経験からどうやって立ち直ることができたのかずっと関心を持っていた、と。つまり本作は地獄からよみがえる人間の魂の遍歴を、ゴジロ(ゴジラ)という文化的記号を用いて描いた作品であるということだろう。日本におけるゴジラは、アメリカの水爆実験によって怪獣化した古代生物が東京を襲う最初の『ゴジラ』映画から、さして時を置かず次々に現れる新しい怪獣たちから日本を守る「正義の怪獣」へと変貌する。それはまさにアメリカによって齎された原爆の脅威が、未来のエネルギーとして賞揚される原子力発電へと変貌していくのと軌を一にしているが、その「正義」の源であるはずのアメリカで、ゴジロ(ゴジラ)がみずからの本質を見失い苦悩するモンスターとして描かれる本作は、まさに1980年代のアメリカの状況を忠実に写し取ったものだろう。またそこには、戦後アメリカ文化を吸収して独自に発展を遂げた日本のサブカルチャーが、アメリカに逆輸入されて自然化した多文化主義の時代を象徴する現象を見ることもできる。そもそも映画『ゴジラ』にしたところで、その企画そのものはアメリカ映画『原子怪獣現わる』のヒットにあやかったものだったのだから、ゴジラ映画のアメリカ小説への逆輸入という事態に、バックス・ジャポニカ以後という時代状況を濃厚に見てとることができるだろう。

漫画やポップミュージックなどのさまざまな文化的記号をちりばめ、メディアによって全世界的に配信されるイメージの氾濫を、スラップスティックな文体と錯綜する物語で疾駆し現代の神曲とでもいうべきストレートな生命への讃歌へと昇華してみせる著者の手際は見事の一言に尽きる。核をもって神への問いかけと看做すいかにも西洋人的発想のほとんど楽天的な観念性を背景に、ヒロシマで被爆したにもかかわらず原子力を否定しない日本人科学者の援助を得て、世界の決定的なひずみの象徴である怪物化したトカゲが、みずからの本質に目覚めることで世界を救済するというひたすらポジティヴな物語。ここで描かれる「ヒロシマ」は、どうしても我々日本人が知っている現実の広島からは遠い。それ自体が文化的記号であり、アメリカによって(都合よく?)理想化されたイメージとしての土地、土地の名であるに過ぎないわけだ。しかし物語のなかの記号として刻みつけられる「ヒロシマ」という土地の名は、人類の歴史を「ギリシャ」からはじめてしまうような西洋人の世界に刻みつけられた「他なるもの」の象徴として機能しているのだと考えることもできる。マイナスのカードを集めてプラスに転じるような意味で、ヒロシマこそ日本の突破口であり希望なのかもしれないと考えることは、さして牽強付会ではないはずだ。

ちなみに、ジェイコブスンは本書の成功後もジャーナリストとしての活躍を続け、2007年にはベトナム戦没者の棺にヘロインを隠して輸入しぼろ儲けしたギャング、フランク・ルーカスを取材した記事がハリウッドに売れ、リドリー・スコット監督、デンゼル・ワシントン主演で『アメリカン・ギャングスター』として映画化。公開に合わせて出版された文集『アメリカン・ギャングスター』はハヤカワ文庫で翻訳刊行されている。そこに収録された「ママ、家を売る」という1998年の小文は、多文化主義の洗礼を受けたニューヨークについて書かれたとても美しい文章で、『GOJIRO』が生まれた文化的、精神的背景を想像させてくれるものでもあり一読をオススメ。(渡邊利道)



広島SF大全9『猫のゆりかご』&…

広島SF大全9

『猫のゆりかご』『スローターハウス5』(カート・ヴォネガット・ジュニア)

BY  YOUCHAN

イラストレーターのYOUCHANさまを紹介します。 YOUCHANさまは〈SFマガジン〉の表紙も描いていらっしゃいますし、TOKON10のスタッフでもありましたから、「SFに造詣の深いイラストレーター」としてご存知の方も多いのではないかと思います。昨年、本名の伊藤優子名義で『現代作家ガイド6 カート・ヴォネガット』を編著なさいました。(監修:巽孝之・彩流社・インタビュー記事がこちらにあります)ヴォネガットへの傾倒ぶりが遺憾なく発揮されています。 そのYOUCHANさまに『猫のゆりかご』『スローターハウス5』について書いていただきましたので、お楽しみ下さい。(宮野由梨香)

猫、いますか? ゆりかご、ありますか?——広島、ドレスデン、ヴォネガット 

2011年末で活動休止したムーンライダーズの最新アルバム『Ciao!』に「ハロー マーニャ小母さん」(作詞:鈴木慶一/岡田徹)という曲がある。リリース直後には、その牧歌的なメロディーから受ける印象とは裏腹に意味深な歌詞がファンの間で大きな話題になった。表題にある「マーニャ」とはキュリー夫人の子供時代の名前であり、歌詞にも科学者の名前がいくつか出てくる。「ロバート小父さん」は原爆の父、ロバート・オッペンハイマー。「アルフ小父さん」はアルフレッド・ノーベル。とくれば、「アルベルト小父さん」が誰のことなのかは想像に難くないだろう。

しかしながら、この曲の「事実は一つで 真実はたくさんある」というフレーズにニヤリとしたものである。そして間髪入れずに続く「難しいことは 珍糞漢だよね」というフレーズ。ここにヴォネガット的な突き放し感を覚えずにはいられないのだ。

ヴォネガットの代表作として『猫のゆりかご』を上げるSFファンは少なくない。アメリカ本国におけるヴォネガットの出世作は1969年に発表された『スローターハウス5』である。六年前に書かれた『猫』は発売後すぐに埋もれてしまい、再販の目処がしばらく立たなかった作品だ。日本では『猫』が『スローターハウス』より先に翻訳され、本家の刊行と邦訳のタイミングが入れ違っている。『猫』が長い間支持され続けているのは、伊藤典夫による洗練された訳語が古びないことや、ディストピアSFとしての面白さが堪能できることがあげられるだろう。

『猫』では嘘ばかりが教義に書かれているボコノン教という新興宗教と、ひとりの科学者が生み出した化学物質による世界の滅亡が軸にある。主人公ジョーナは『世界が終末を迎えた日』という本を書くため、広島の原爆投下の瞬間に、アメリカの重要人物が何をしていたかの資料を集めていた。取材対象の一人、原爆開発に携わった科学者フィーリクス・ハニカーについて、息子のニュートはこのように述懐する。

実験が済んで、アメリカがたった一個で都市を消滅させる爆弾を保有したことがはっきりすると、一人の科学者が父のほうをふりかえって言いました、”今や科学は罪を知った” 父がどういう返事をしたかわかりますか? こう言ったのです、”罪とは何だ?”

フィーリクスは、興味の赴くままに、常温でも溶けない物質、アイス・ナインを生み出すが、厳重な管理もしないまま死去する。それが元で世界が滅びることになるのだが、フィーリクスにはそういうことへの危惧も責任も、当然ながら良心の呵責も一切ない。ヴォネガット自身も、そこに主眼を置くことはなかった。縦糸に化学物質による世界の終わりが、横糸に新興宗教のボコノン教が描かれ、世界への滅亡という壮大な「ほら話」が紡がれていくのである。

タイトル『猫のゆりかご』の原題は Cat’s Cradle。それは「あやとり」を意味する。両手の指に絡げられた紐を見つめれば、そこに猫が見えるだろう。しかし、本物の猫などいないのだ。

ボコノン教の「嘘の上にも真実は築ける」に通じ、更に掘り下げれば、ヴォネガットが物語の中で展開する「世界の滅亡」ですら、無害なアルファベットの組み合わせにすぎない。物語とは、壮大な嘘だ。

ヴォネガット自身、兵士として戦場に赴いた経験を持つ。捕虜としてドイツの非武装都市・ドレスデンに移送され、その地で英米連合軍による無差別爆撃を受ける。九死に一生を得、帰国したヴォネガットは、友軍によるこの爆撃が、アメリカ本国で黙殺されていることに驚いた。ドレスデンのことをモチーフにした『スローターハウス5』のヒットにより、結果としてこの爆撃は広く知られることになる。この本の中でヴォネガットは、死者の数を比較して、広島よりドレスデンのほうが被害が大きかったと記述した。訳者あとがきで伊藤典夫は、ヴォネガットが放射能被害のことを念頭に入れていない点を指摘した。それを踏まえた上で伊藤が述べているように、これはあくまでも被害者としてのヴォネガットの見解なのだ。自国に蔑ろにされたことへの批判あるいはあてつけとも言えよう。

ヴォネガットは講演会で、広島の原爆投下の影響で本土侵攻が取りやめとなり、海兵隊員として沖縄に待機していたウィリアム・スタイロンが一命を取り留めた事実をあげ、広島への原爆投下がスタイロンに関しては正当であると述べたことがある。ヴォネガットは更に「ドレスデンの恩恵を受けたのは、誰でもないこのわたしだ」と自虐的に続けた。この講演を収録したエッセイの締めくくりで、誰の上にも爆弾を落とすべきではないという結論には至るのではあるが……。(『タイムクエイク』『死よりも悪い運命』)

『猫』においてヴォネガットは、広島に投下された原爆開発に寄与した科学者にスポットを当て、無垢で無責任な好奇心のせいで、世界が滅亡に向かう物語を書いた。作家が教訓や警鐘を表現する場合、もっと内面的な苦悩を描くだろう。しかしヴォネガットはそれをしない。事実は一つだが、関わった人の数だけ解釈が存在する。この「解釈」は「ハロー マーニャ小母さん」の「真実」と置き換えることが出来るだろう。

個人的な感情を小説に内在させることは、科学の進歩に対する不信を表現する手段にはならない。教訓は内在させず、客観的な事実をつきつけて、あとは読み手に委ねる。読者と物語の間に起こる化学反応をヴォネガットは知っていた。あやとりのどこにも猫などいないのに、そこに猫を見出すことができるように。

 (YOUCHAN)

 



『怪奇大作戦』第5話「死神の子守唄」

日本映画史に不朽の名を残す東宝映画『ゴジラ』の特殊技術を担当したのは、円谷プロダクションの創設者として名高い円谷英二である。円谷プロは『ウルトラQ』『ウルトラマン』などの特撮テレビ番組を次々と世に送り出し、特撮物をテレビ番組のジャンルとして確立することに貢献し、一時代を築いた。

 『ウルトラセブン』の後番組として1968~69年にかけて放映されたのが、円谷プロの最高傑作とも呼ばれる『怪奇大作戦』である。円谷英二の名を監修者の名に持つこの番組は、彼の出世作である『ゴジラ』と深い類縁性を持つ番組である。

 第一に科学的知性が悪を倒すという基本的構図は、『ゴジラ』と『怪奇大作戦』の両作品に共通している。『ゴジラ』では、平田昭彦演じる物理学者芹沢大介博士が開発した「オキシジェン・デストロイヤー」によって、東京を火の海にした無敵のゴジラは滅ぼされる。一方『怪奇大作戦』では、SRI(科学捜査研究所)と呼ばれる特別チームが警視庁の手に負えない犯罪者たちを科学の力で制圧する、という設定になっている。

 第二に、悪を倒すはずの科学者が倒される側の悪に感情移入してしまう、という複雑な陰影が作品を彩り、そこに昭和のある時代の影を反映させている、という点で、『ゴジラ』と『怪奇大作戦』は共通している。ゴジラを倒すヒーロー芹沢は、戦時中に片目を失い、アイパッチをつけた不吉な顔を常に観客に晒しているが、この影を持つ人物を、加藤典洋は「芹沢には、戦後、行き場をなくしたばかりでなく言葉すら失った戦中派の暗さが、よく現れている」(「さようなら、『ゴジラ』たち」)と評している。また加藤は、ゴジラを太平洋戦争で死んだ日本兵の怨霊であるという視点を打ち出しているが、ゴジラと芹沢は戦後日本に対して、屈託あるスタンスを共有しているのだ。ゴジラを倒した芹沢は、命綱であるロープを切断し、海底へと沈んでいくが、このエンディングはゴジラと芹沢の心中とも受け取れる。

 『ゴジラ』での平田昭彦の存在感は際立っている。平田の肉体が湛える独特な虚無は、ゴジラの存在感と拮抗している。クイズ番組「ぴったしカンカン」(久米宏司会による)での「平田のおじさん」しか知らない私にとっては、『ゴジラ』の平田はいささか驚きだった。おそらくは『ゴジラ』を通して平田ファンとなった音楽評論家の片山杜秀は、中学生の時に、帝国劇場出演中の平田の楽屋を訪れ、以後彼と文通を交わすようになるが、片山は平田の戦後史を次のように描いた。「陸軍士官学校在学中に敗戦をむかえ、戦後、東大法学部を卒業するも、もう国家には仕えられないと官僚の道を進まず、民間企業に入るもそれもいやだと辞めてしまい、昔なら賤業の役者に身をやつした」(『音盤博物誌』)そのような平田昭彦における、『ゴジラ』の芹沢博士から「ぴったしカンカン」の「平田のおじさん」への歩みのうちに、日本の戦後の変遷が垣間見られるように思われる。

 『怪奇大作戦』も、『ゴジラ』同様、翳りに同調する傾向を強く持っていた。芹沢の役を担うのは岸田森が演じる牧史郎である。SRIの実質的なリーダーであり、犯罪を読み解く科学推理を一手に引き受けている。いかにも科学者らしい立ち振る舞いを日ごろから見せるが、SRIのメンバーの中で、牧を際立たせているのは、時代の裏側に秘された敗者の恨みに対する感度が極めて高いことにある。影を担える肉体を牧史郎=岸田森は特権的に有しているのである。このような肉体的資質は、戦後生まれという設定の三沢京助(勝呂誉)や野村洋(松山省二)には無いものである。ちなみに牧は1941年生まれの設定になっている。ところで最近、岸田森の目鼻立ちが若い俳優の加瀬亮に似ていることに気づいた。加瀬もまた、翳を担える肉体の持ち主である。加瀬は好青年から犯罪者まで演じ得る奥行きの広さを持っている。

 岸田は、『スタートレック』のスポックのようなエイリアン性をごく自然に身に纏っているが、本人は自分のことをいたって普通人と考えていた。人から「変わっている」と指摘されて、初めて自分の異質性に気づくほどだったという。とはいうものの、樹木希林と結婚していたという事実からも、岸田の特異な存在感がうかがえよう。また、女優の岸田今日子とは従妹の関係に当たる。彼の独特な存在感は、クセのある映画人の感性や想像力を刺激するらしく、実相寺昭雄、岡本喜八、神代辰巳の作品の常連だった。とりわけ山本迪夫が監督した『呪いの館血を吸う眼』でのドラキュラは当たり役で、岸田の名を不動のものとした。吸血鬼の悲哀を見事に表現していると評される(文学座の後輩である長谷川博巳は岸田の崇拝者で、岸田の当たり役ドラキュラを演じることを俳優としての夢にしているという。これほどまでに、俳優や監督を虜にする存在はそうめったにいない)。岸田には正常人と異常人、良市民と犯罪者、この世とあの世のような境界線の危うい領域を、肉体において生きる、という稀有な才能が備わっていた。同年代の山崎努とも通じる狂気を孕んだ肉体の持ち主であった。

 そのような牧の特殊な資質は「悲壮なプロファイラー」と呼ばれもするが、その特徴がよく出ているのが第8話「光る通り魔」、第16話「かまいたち」、第25話「京都買います」のような作品であろう。そしてまた、ここで取り上げる「広島」と関わる第5話「死神の子守唄」も、影と戯れることに成功している作品だ。

 多くの『怪奇大作戦』のストーリーがそうであるように、第5話「死神の子守唄」も夜の闇を背景にしている。『怪奇大作戦』でも冴えた演出を見せつけた実相寺昭雄は、美しい若い女性を夜の闇の中に走らせる。ファーストショットで、実相寺の登録商標とも言える極端なアップが、夜の闇に浮かび上がる女性の恐怖に歪む顔をとらえる。「誰か助けて」と悲鳴を上げる女性の小走りに逃げ惑う姿を横からとらえたショットがそれに続き、再び女性のアップ、拳銃のような道具のアップの後、銃の光線によって冷凍化された女性の肉体が映し出され、緊迫した空気を切り裂くかのように、噴水池にダイヴする氷の肉体の画面が続く。こうした一連の小気味よいショットの連鎖がSRIが追うことになる連続殺人事件の導入となる。

 この陰惨な事件の背後にあるのは、昭和20年の広島への原爆投下による「体内被曝」という重たいテーマである。この問題を物語として語ろうとするならば、子供番組として放映された『怪奇大作戦』の30分番組という枠組みはあまりに短すぎる。物語が成立するには90分ぐらいの尺が必要であろう。じっさい、「死神の子守唄」は物語として見るなら、ご都合主義的であり、おかしな矛盾が散見される作品である。けれどもこの作品がリアルな感触を見るものに伝えるのは、肉体の実在感を確実に映像内に定着させているからだ。

 ところで、この作品を未見の方のために、まずはストーリーを見てみよう。不可解な殺人事件を追うSRIは、事件にスペクトルG線が使用されていることを突き止める。スペクトルG線とは、原爆病を治すことができると言われているが、そのためには原爆以上の熱量が必要なため実現不可能とされている科学技術である。ところがそれを逆転させて、冷凍化の方向で実用することを考えついたのが天才科学者吉野貞夫である。彼の動機は、体内被曝によって、肉体を犯された妹を救うことにある。妹は高木京子という芸名で「死神の子守唄」をヒットさせる歌手だが、三沢京介と淡い恋愛感情を交わすことになるだろう。広島(戦争)の影を引きずる人間の犯罪という物語は、『ゴジラ』や松本清張作品のように衝撃的だが、それにもまして、この作品が印象深いのは、再び言えば、ある恨みの感情に捻じ曲げられた肉体のリアリティをとらえていることにある。

 そしてその肉体のリアリティは、広島の悲劇をも含んだ時代の呻きを正確に伝える類のものであった。『怪奇大作戦』DVDボックスに寄稿された文章で、社会学者の宮台真司は、「平成の希薄さ」と対比される「昭和の濃密さ」を強調しているが、ここに横溢しているのは闇としての肉体である。そしてそれが実在したのは、正確には、昭和全般ではなく、せいぜい昭和40年代までである。上野昂志によれば、それは60年代の終わり(昭和44年)までとなる。上野の『肉体の時代』は「体験的‘60年代文化論」というサブタイトルがある。

 上野は60年代を肉体の時代と規定し、そこに肉体としての大衆の状況を感受していた。例えば、『二匹の牡犬』(64年)の緑魔子に「すでに根を断ち切られ、どこにも行くことができないままに、否応もなく現在を流れていく下層大衆の歪んだ肉体というべきもの」を見いだし、つい最近死去した大島渚の異色作『天草四郎時貞』(62年)に「集団抗争時代劇」が描こうとした「黒々とした死」を感受する。「実際、いま『天草四郎時貞』を想い出してみても、何か、真っ暗ななかを人々が動き回っていたという印象がまずするぐらいに黒々としていた」

 「死神の子守唄」も、同様、黒々とした画面が印象的で、とりわけ最後の犯人逮捕の場面では、夜の中でさらに、機動隊が投下する発煙筒のせいで、画面に何が映っているかわからなくなる瞬間がいくつかある。だがその画面の濃密な力は、今のテレビではなかなか見ることのできないものだ。そしてその60年代的濃密さをさらに決定づけるのが俳優の肉体である。一度聴いたら忘れられない挿入歌を歌う高木京子を演じる深山ユリの憂い顔は、見る者の胸を打たずにはいられない。また、彼女の兄を演じる草野大悟の怒りと哀しみで押しつぶされる直前のような歪んだ表情と肉体は、岸田森を凌ぐ強度を持ち得ている。警察官に取り押さえられ、妹に向かって「京子、後は麻生博士に頼め」と叫ぶ時の表情はなんとも素晴らしい。

 草野大悟は吉野貞夫のような役をよく演じる俳優で、常田富士男や新しいところでは稲川淳二の系列に属するが、昭和の匂いをぷんぷん匂わせる名役者である。彼の肉体なくしては「死神の子守唄」は成立しなかったであろうと思う。そして彼の肉体は戦後のもうひとつの肉体の正確な陰画と成り得ている。「戦後のもうひとつの肉体」とは、坂井義則の肉体のことである。

 「坂井義則」と聞いてもぴんと来ない人も多いかとは思う。東京オリンピックの聖火最終ランナーで、開会式で聖火を灯した人物と言えば、ほとんどの人は思い浮かぶだろう。早稲田大学の陸上部員で、オリンピック出場を目指していたが、最終選考で落ちてしまう。その彼が最終聖火ランナーに選ばれた理由は、彼が昭和20年8月6日という運命的な日に広島県三次市に生まれたからである。坂井義則の肉体は戦後日本の復活と同時に、広島の悲劇を乗り越える=忘却する象徴としてあったのである。東京オリンピックが開催された1964年は、よく言われるように、戦争(広島)が風化し始める年であった(であるがゆえに小松左京は『日本アパッチ族』と『日本沈没』をこの年に書いた)。そして現在においても、安部晋三総理や猪瀬直樹東京都知事によって、「輝ける60年代日本」が無理やり反復させられようとしている。

60年代において戦後日本は「坂井義則」の肉体の方へと大きく舵を切っていったのである。「死神の子守唄」における吉野貞夫とその妹京子の肉体は、それへのアンチとしてあった。忘却される者の抵抗としてあった。そして彼らの肉体は、60年代を生きていたほかの肉体の状況と呼応するものであった。『怪奇大作戦』が放映された1968~69年は闇としての肉体が最後の主張を許された時代であった。であるがゆえに、「死神の子守唄」においてSRIの牧は、吉野を「吉野君」と友人扱いし、彼の絶望の傍らにに優しげに並んで立ったのである。

 上野昂志は次のように80年代半ばに書いた。「六〇年代が、さまざまな制度から肉体が意識的、無意識的にはぐれだした時代であったとすれば、八〇年代のいまは、そのはぐれた肉体を改めて囲い込む時代なのだ。そして、この先には、電子的メディア環境における肉体の消滅と、生命科学による肉体の解体・再構成が眼前の事実として迫っている」昭和と平成を隔てる大きなポイントはここにあるだろう。結局のところ平成のSFは肉体の消滅と嬉々と戯れたSFであった。例外的に『盤上の夜』(宮内悠介)は昭和的である。立法者の欲望を呼び込むことで、肉体の囲い込みに抗っているからだ。制度(法)には容易く馴致されない欲望を生きようとする不実な肉体の活力を漲らせている。制度(法)を執行停止に追い込み、新たなるシステム=法を設立しようとする企てを擁護する『盤上の夜』には、懐かしき昭和の魅力が満ち満ちている。

 最後に広島の風化問題についてひとこと。毎年8月6日の記念日があることによって、広島は原爆の風化に抗っている。この日がなければ、原爆の問題はとっくに忘れられているだろう。「3・11」直後、経済効率優先の生き方を改めるべきだ、と言いながら、それを風化させ、「アベノミクス」という言葉と嬉々と戯れているのがこの国の現状なのだから(そしてまた「3・11」はすぐ風化するから商品にならない、とSF関係者が口にしてしまうのだから)。平成日本は罪深いほどにヘルシーなのである。ルーマニア人の思想家シオランは「私はシャツを着がえるようにして絶望を変えてきた」と言っているが、絶望は日々更新されなければ壊死してしまう運命にある。真の絶望から生まれる真の祈りもまた、健康の本性上、風化される運命にある。絶望=祈りの壊死に抗うことは文学の倫理のはずだが、SFはその倫理に同調するのだろうか?それともそれを解体することに価値を見いだすのだろうか?(石和義之)



広島SF大全7 『影が重なる時』

 小松左京『影が重なる時』(1964年)

小松左京『影が重なる時』とPTSD(外傷後ストレス障害)

藤元登四郎

  • 小松左京の『影と重なる時』が現在と重なる時

『影が重なる時』は、SFマガジンに掲載された短編である(一九六三年十月号、第四八号;『自選恐怖小説集 霧が晴れた時』角川文庫に収録)。そこでは、真鍋博のイラストがあり、「この世に、突然、幽霊の実在が確認されたのだ。人間ばかりか動物も、いや自動車も列車まで! まるで、実体とその影のように」と表書きがある。 この作品の語り口は見事なもので、私は非常に強い印象を受けたが、時がたつにつれて忘れてしまった。それから約半世紀近くもたってから不思議なことが起こった。「小松左京マガジン」の代表取締役の乙部順子さんと初めてお会いしたとき、ただ、挨拶を交わしただけであったが、『影が重なる時』がその挿絵までも一緒にありありと浮んできたのである。その時私は、この作品がひっそりと影のように自分につきまとっていたことを感じた。それからしばらくして小松左京の死が伝えられた。

なぜ私は、これほどの傑作を忘れてしまったのであろうか、そしてなぜ半世紀もたって突然その細部までよみがえったのであろうか。私はどうしても、この作品について書かなければならないと思った。実際、大変な傑作であるにもかかわらず、『影が重なる時』は不当に埋もれてしまう傾向がある。これもまた不思議なことである。

『影が重なる時』は原子爆弾の恐怖を描いた「究極ホラー」である。実際、これ以上のホラーはあり得ない。この作品が興味深い理由の一つは、発表された時期が原子爆弾を歴史化し始めた頃であったということである。すなわち、時代はガラスのような透明な壁を作り上げて被爆の事実は見えるが、その悲劇を切り離そうとしていた。心理学的な観点からは、急速に成長していった日本経済の背景に、その悲劇を一つの歴史として客観化して、忘れてしまいたいという強力なベクトルが作用していたのである。こうして時代は抑圧に成功したようであった。すなわち、社会は安定し制度は確立され、表面的には戦争の心の傷跡は消えた。ところが、この原子爆弾という厳然とした事実は、たとえ歴史化されて分離されとしても、感情的には決して修正されたり変形されたりすることなく日本人の心の底に生き続けていたのである。

このような風潮の中で『影が重なる時』は執筆された。この作品は、小松左京の人柄を見ると、彼が広島に落ちた原子爆弾の悲劇を抑圧することなく、いかに悩み続けていたかを反映している。例えば、乙部順子の「秘書が見た小松左京」によれば、『虚無回廊』を執筆中に阪神大震災があったので、彼は急遽、その取材に切り替えたが、すっかり疲れ切って「うつ」になったという、(参照1)。このことは、彼が悲しい出来事をまっすぐ見つめ、しかも人格全体で受け止める誠実な人柄であったことを示している。したがって、『影が重なる時』にもまた、原子爆弾から受けた彼の深刻なショックを読み取ることができるといえるだろう。

実は、精神医学的にみると、『影が重なる時』はPTSD(外傷後ストレス障害、posttraumatic stress disorder)を連想させる構造を持っている。もちろんこれはSFであるから、小松左京自身がPTSDにかかっていたのかどうかはわからない。しかし、それほどに彼は人間存在の根底を揺るがす原子爆弾の恐怖を深刻に受け止め、そしてそれをこの作品の中に見事に表現しているのである。こういう次第でここでは、この作品をPTSDと関連させて、精神医学的に考えることにしよう。

  • PTSD―フラッシュバック―PTSDの治療

ここで簡単にPTSDについて説明しておこう。トラウマとは、戦争、災害、重度な事故、レイプ、暴行など生命や身体を危険にさらされた時に受ける精神的ショック、あるいはまた非常に残酷で凄惨な状況や、身近な人々の受けた大きな被害を見た時に受ける精神的ショックである。この精神的ショックがトラウマとなりPTSDを引き起こす。

PTSDにかかると、トラウマが視覚的、聴覚的、そしてその他の身体的現実性を持って、その人の人生に侵入し続ける。しかし、トラウマ性の出来事を体験した人がすべて、PTSDになるわけではない。東日本大震災のときに実際に救助や避難誘導に当たった岩手、宮城、福島の消防団員は、一年半たっても五人に一人(二〇・一パーセント)がPTSDにかかったことが報告された。また、この三県の消防本部の職員一七・四パーセントがかかり、階級が高くより責任が重いほど割合が高かった。このことは、トラウマの原因となった出来事が身近であればあるほど、PTSDにかかりやすい傾向があることを示している。また、その人の心持ち方あるいは性格もPTSDにかかる要因となるようである。

PTSDの症状には、多様な感覚器官における出来事の再体験(フラッシュバック)、トラウマを思い出させるものの回避、自律神経症状における慢性的な過覚醒状態がある。なお、フラッシュバックは、歴史的にみると、LSDやメスカリンなどの幻覚性物質の中毒となって、中毒を離脱した後に生じ、様々な幻視が現れることに対して用いられた。PTSDのフラッシュバックは、事件当時の体験が、幻覚か現実か区別ができないほど身体反応を伴って体験される。このとき起こる過覚醒状態とは、緊張した時に体験するように、心拍増加、冷や汗、呼吸が早くなる、動悸、警戒感、驚愕反応などが起こることである。それが慢性化すると、睡眠障害、食欲不振、性的機能障害、集中力の低下などが起こる(参照2)。さらにここに不安が加わる。

PTSDの治療法は様々であり成書をご参照いただきたいが、要点だけを述べておこう(参照3)。基本的には、トラウマとなる事件があってからなるべく早く、心理的デブリーフィングを行うことである。心理的デブリーフィングとは、その事故が起こってからすぐ、その状況を誰か上司、心理士、医師などに詳しくショックの体験を打ち明けることである。しかし、治療は、しばらく時間がたってPTSDが発症してから開始されることが多い。その場合、薬物療法とともに心理療法がおこなわれる。心理療法は様々あるが、認知行動療法が主流である。認知行動療法は、その事件に対する心の持ち方を修正しようとするものである。PTSDの人は、その事件に対して、悲しみや怒りや恐怖など様々な激しい否定的な感情が起こってきて、極端すぎる不正確な自動思考に陥ってしまう。そこで、これらの自動思考を徐々に変えていって、論理的で役立つ思考に置き換えるように導いていくのである。

認知行動療法と並んで芸術療法もある。芸術療法の理論は、トラウマの経験とそれに関連するスキーマ(注1)は非言語的な形で記憶されるが、芸術の象徴的媒体はそれらに対して治療的な効果を示すという概念に基づいている。芸術療法では、トラウマの内容を審美的な表現方法に関連付けることによって、非言語的なスキーマを修正し、自尊心や希望を与え、恥辱感や罪悪感を軽減させる。

  • 「人影の石」― 謎の七時十九分三十秒

『影が重なるとき』で連想されるのは、爆心地から二百六十メートルのところにある石段についた「人影の石」である。その影の人は、住友銀行広島支店の入り口にある石の階段にいたが、原爆の強烈な熱線を受けてその場で死亡した。周りの石段は白っぽく変化したが、その人のいた部分は黒い影のように残った。小松左京は原爆の悲惨さを象徴的に示しているその石の影に大きなショックを受けたのだろう。それは、原爆の強大なエネルギー、すなわち一瞬にしてその人を溶かしてしまった悲惨なエネルギーを象徴しているからである。それが、小松左京の心とつながり、『影が重なる時』として表現されたのだろう。

この「人影の石」に座っていた人は一体誰だろう。小松左京は、その影から延長線を引いて、時間をさかのぼり、その人がどのような生活をしていたかを想像した。その人は、どのような過程を経て最終的にその石のところに来たのだろうか。

小松左京は、石がT市にある、ある会社の玄関として設定した。その人を連想させる津田という人物が登場する。津田は、深夜に野村からの電話で呼び出された。津田がかけつけると、彼には見えなかったが、野村だけに見えて触ることのできるもう一人の野村がいた。この影、すなわち幽霊あるいはドッペルゲンガーはその本人だけにしか存在せず、第三者にはまったく感じられなかった。客観的に確認する方法は、横から見ていて、その人間だけがどうしても入り込めない空間があるということだけだった。さらに、その奇妙な影は、津田のアパートでも、約半数のところに現れた。しかも、人間ばかりではなく、動物にはその動物の、汽車にはその汽車の影が出現した。ただし、それが出現するのは、T市を中心に半径三十キロの円内に限られていた。そしてついに影は、津田にまで現れたのであった。彼は驚愕と恐怖に陥った。

「よく見ると、それには何だかひどくあいまいな所があった。視覚像としては、奇妙に新鮮さを欠いており、何だか記憶像や、幻覚のように、心理的な映像みたいに見えた。輪郭もぼんやりしたところがあり、時々むこうの風景がすけて見えた。にもかかわらず―彼のはいることのできない空間としては、厳然と存在していた」。

その影が一体何であるのか、すっかり津田は考え込んでいたが、ある日精神病の男と出会った。その男がこの異様な現象のことを理論的に説明したのである。

「時間軸を考えないと、間違いを起こしますよ。―あなたはあなたの幽霊がしめている空間に、はいりこめないのではなくて、時間的にへだたっているから、その幽霊とかさなりあうことができないのです」

この男の謎めいた言葉は単なるでまかせでもなく、狂ったものでもなかった。この男は、一般常識、あるいは固定観念に縛られてはいなかった。一般に私たちは、時間と空間は一致している。たとえば旅行アルバムを見るとき、それは何年前の何時頃であったかという記憶が付いて回る。ところが、その時間を無視すると、私たちは今、旅行した場所にいるということもいえるだろう。ここでいう影とは、時間のルールを破り、時間に先回りして現れた空間のである。(この影は、いわゆる過去の出来事のフラッシュバックではなくて、未来の出来事のフラッシュバックともいえるだろう。)

津田は、その影がなぜ本人にしか見えないのかと尋ねた。その男は
「あなただけに見えて、他の者には絶対見えないものは何ですかな? 夢の中の自分の姿のようなものは」
と答えた。
すべての人々が恐怖におびえていた。
「一度自分自身の幽霊にあった人々はつきつめた表情をしていた。その眼は自己自身の内面を通して、めいめいの幽霊をたえず見つめつづけているようであり、何だかすでに半分死んでいるようにも見えた...それは―恐怖だ!いや、単なる恐怖ではない。自分が他の一切の人々から隔絶されているということを、絶えず内心にささやかれている冷たい恐怖感」。

この影が、決定的な究極の恐怖そのものでなくして何だろう。津田は、その影のはめている腕時計が午後七時二十分頃をさしているのを確認した。さあ、この時間は何を意味するのだろうか? その時間が次第に近づいてきた。街は死の影に覆われて、被爆直後のヒロシマそっくりに見えた。

ついに七時十九分三十秒!となった。突然、天の一角に騒音が巻き起こった。津田は建物の中なら助かると思って、社の玄関に向かって突進した。鼻先にあの幽霊の背中があり、どしんとぶつかった。しかし彼は何の抵抗もなく、幽霊の体の中にすっぽりとはまり込んだ。すべての街の物体が一瞬その影と重なった。同時に、某国の核弾頭が、事故を起こしてその町の上で爆発した。爆心地より三十キロの地域と、何の罪ない人々をはるか時空の外に吹き飛ばした。

  • 影とは何か―究極のホラー― 未来の出来事のフラッシュバック

『影の重なる時』は、これ以上あり得ない究極のホラーである。そこで、まず影についての一般的な考えを述べてから、「人影の石」の影について考えることにしよう。なぜならば、それは、一般にいう影とはまったく質の異なるものであるから。小松左京は、「人影の石」の人影に、津田という人物を設定したが、津田はまた小松左京の分身であるといえるだろう。この分身、すなわちドッペルゲンガーについては、オットー・ランクの有名な研究がある(参照4)。ランクは、ミュッセの詩『十二月の夜』を引用している。

お前の最後の日まで
お前の行くところに必ず私はついて行くだろう
その日には、お前の墓石の上に座りに行くだろう

「お前」というのは影であり分身のことである。分身は、死の意味作用と同時に自体愛(ナルシシズム)と密接な関係を持っている。若い「お前」は鏡に映る美しい青年の姿であり、女性と戯れたりして青春を謳歌している。自我はそんな美しい自分の姿を愛している。しかし次第に年老いていき、最後には墓石にたどり着くのである。普通には、その人と影とは対立してはいるが、共存してうまくやっていくのである。

ところが、自我と影との間に対立が起こると厄介な事件が起こる。自分とそっくりさんの分身が目の前に現れてくるのである。これは、エドガー・アラン・ポーが『ウィリアム・ウィルソン』に見事に示している通りである。ランクはポーの作品を分析して、瓜二つの分身はなぜ現れるのかを検討している。彼によれば、自我は、自分の姿の美しさを保とうと願っているが、一方、鏡に映る分身は冷酷に現実を映し出している。そこで自分の映像に対する憎しみが募っていく。「鏡は真実を映していない、私は若いのだ」というわけである。そうすると、心理学的には奇妙な逆転が起こる。今度は、自分自身がその映像にいじめられているという意識が起こってくる。つまり、映像は年取っているが、自我は相変わらず若さを保ったままであるというわけであり、自我と影とは仲たがいをして分裂してしまう。こうして影は独立して、分身が実際に独立して現れて来る。

しかしながら、「人影の石」の「影」は、ランクのいうような「影」とはまったく質的に異なっている。この石の「影」は科学の力によって生み出されたものである。そして、人間と「影」との存在論的関係を根本的に破壊し、虚無化して現れたものである。これは、人間性の根源的な無視である。人間性に対するこれ以上の悪はあり得ず、その意味で究極のホラーなのである。

『影が重なる時』では、津田に現れる「影」は未来が過去へ戻ってきて、未来完了で現れたのだった。しかし、津田は無邪気に何も知らなかったし、実際、知ることもできなかった。彼は高熱で溶かされる瞬間に、その影が自分の未来であったことを知ったであろう。あるいはそのことを知る時間もなかったのかもしれない。こうしてみると、究極のホラーとは恐ろしい未来が、まったく意味不明の影の姿でつきまとう未来の出来事のフラッシュバックなのである。津田は、小松左京の極限的絶望を反映している。

  • おわりに

原子爆弾は日本人にとって大きなトラウマとなった。特に、その時代に生きた作家たちが、いかにしてそのトラウマを乗り越えていったかは、彼らの小説によく反映されている。小松左京の場合は、『影が重なる時』を執筆して、原子爆弾を非人間的な政治的歴史的レベルから、津田という個人レベルに引き戻した。このポストモダンのパラダイムは、原子爆弾が人間性否定そのものであり、極限のホラーに他ならないという事実が浮かび上がらせるものである。

小松左京は、原子爆弾の悲劇を一人の人間として深刻に受け止めたが、特に「人影の石」にはショックを受けた。これは受容することもできないし、かといって忘却することもできない。彼は、この宙吊り状態を『影と重なる時』としてSF化し、原子爆弾の恐怖を、時間を越える未来完了の影である未来の出来事のフラッシュバックとして表現したのであった。こうして、彼の原子爆弾のトラウマは、SFを通じて未来を信ずる力へと変容していったのである。現在では、3・11を始め、全世界の悲劇的な事件がリアルな映像とともに次々と報道されてくる。私たちはショックを受け続けるのだが、つつがなく生活するためにはそれを抑圧して、歴史化して行かざるを得ない。しかし、抑圧は必ず反作用を及ぼしてくる。すなわち、現在日本では、うつ病の患者が増え、新型うつ病として話題になっているが、これは、悲劇的事件に関する心理的抑圧がその大きな原因の一つとなっていると考えられる。

小松左京は抑圧することなく現実を直視したのであり、未来を作る若者たちを信じていた(参照5)。ここでもう一度SFは、小松左京が『影が重なるとき』で創始したパラダイムを継続し、現実から逃避することなく、人間性を回復させるべき使命を確認すべきであろう。

  1. スキーマ:ある対象や状況を認知したり、記憶したり、再生するときなどに働きかける土台となる図式的知識であり、また行動計画としても働く
  • 参照文献
  1. 乙部順子「秘書が見た小松左京」『追悼 小松左京』河出書房新社、二〇一一、. 八〇‐八六頁。
  2. エドナ・B・フォア、テレンス・M・キーン、マシュー・J・フリードマン、飛鳥井 望他訳『PTSD治療ガイドライン』金剛出版、二〇〇五。
  3. エドナ・B・フォア、エリザベス・A・ヘンブリー、バーバラ・O・ロスバウム、金 吉晴他訳『PTSDの持続エクスポージャー療法―トラウマ体験の情動処理のために』星和書店、二〇〇九。
  4. オットー・ランク、有内嘉宏訳『分身 ドッペルゲンガー』人文書院、一九八八。
  5. 最相葉月『小松左京 地球の上に朝が来る』SFマガジン、二〇一一、四月号、二一七-二二三頁。


広島SF大全6 『夕凪の街 桜の国』

正月早々、このページを覗いてくださった筋金入りのSFファンのみなさま

あけましておめでとうございます!

今年もどうぞ、こいこんと、広島SF大全をよろしくお願い申し上げます。

新年最初の記事は、こうの史代さんの有名な漫画、『夕凪の街 桜の国』です。めでたい元旦から読むにしては、ちょっと重たい内容かもしれませんけれども、そこは何というか、この記事を書いている人間がネクラだからそうなってしまうだけで、原作はとてもさわやかで、優しい気持ちになれる漫画です。これを機会に、ぜひ手にお取りになってみてはいかがでしょうか。(横道仁志)

 

『夕凪の街 桜の国』(双葉社 Action comics) こうの史代

終戦から10年。平野皆実は、会社づとめをしながら、原爆ドームの北側にあるスラムで母親と暮らしている。雨が降ると、雨漏りがするどころか、なめくじが出て家中が「ぴかぴか」になるようなあばらやで、切り詰めた生活を送りながらも、お金を貯め、いつか水戸にいる弟に会いにいくことを目標にしている。

とまあ、こんな風に物語の出だしだけ文字にしてみると、まるでゆううつな話という印象を未読のひとに与えてしまうかもしれない。けれども、この漫画を一ページでもめくってみるなら一目でわかるとおり、作品全体にただよう雰囲気はほがらかで、たとえ悲しい出来事を描いているさなかでさえ、そこに屈折した感情は見当たらない。それは、こうの史代の優しい絵柄のおかげでもあるだろうし、登場人物たちがだれもみな、たくましく生きているからでもあるのだろう。

しかし、本作は、原爆投下のあとに生きのこったひとびとの人生をテーマにしているのだから、広島の悲惨にどうにか向き合い、それをかたちにしようとする試みでもある。作者本人が、あとがきでこんなことを言っている。

原爆はわたしにとって、遠い過去の悲劇で、同時に「よその家の事情」でもありました。怖いということだけ知っていればいい昔話で、何より踏み込んではいけない領域であるとずっと思ってきた。しかし、東京に来て暮らすうち、広島と長崎以外の人は原爆の惨禍について本当に知らないのだという事にも、だんだん気付いていました。わたしと違ってかれらは、知ろうとしないのではなく、知りたくてもその機会に恵まれないだけなのでした。だから、世界で唯一(数少ない、と直すべきですね「劣化ウラン弾」を含めて)の被爆国と言われて平和を享受する後ろめたさは、わたしが広島人として感じていた不自然さより、もっと強いのではないかと思いました。 (102ページ)

短い言葉ではあるけれども、現代のひとが原爆に対して抱えている複雑な葛藤が、よく言い表されていると思う。原爆は、現代のわたしたちにとって「よその家の事情」なので、わが身のことと感じられない。同時に、「踏み込んではいけない領域」でもあるので、原爆についておいそれとは語れない。何かを口に出すこと自体が、冒涜を犯しているような気分を生んでしまう。そして何より、わたしたちは原爆のことについて何も知らない――長崎と広島の人を除いては。だからわたしたちは、原爆のことに無知なまま、現に平和に生きているけれども、それは後ろめたいことでもある。

この「後ろめたさ」という気持ちは、『夕凪の街 桜の国』の全編をつらぬいているメインテーマと言えるかもしれない。『夕凪の街』の主人公・平野皆実は、原爆によって父と姉と妹を失っている。そして母親は、原爆症に苦しみ、水戸に疎開した弟は、広島に帰ってくるのをいやがってそのまま疎開先の家庭の養子になった。原爆を体験した多くの広島・長崎のひとびとがそうであったように、平野皆実もすべてを失ったわけだけれども、彼女が感じている「後ろめたさ」はむしろ、なぜ自分はすべてを失ってなお生き延びているのかという疑問に根ざしている。彼女は、次のように独白する。

ぜんたい この街の人は 不自然だ
誰もあのことを言わない いまだにわけが わからないのだ
わかっているのは「死ねばいい」と 誰かに思われたということ
思われたのに生き延びているということ
そしていちばん怖いのは あれ以来
本当にそう思われても仕方のない
人間に自分がなってしまったことに
自分で時々 気づいてしまう ことだ (15〜16ページ)

原爆は、それを体験した当事者にとってさえ理解できない出来事だった。そして現在進行形で、理解できない出来事であり続けている。なぜなら原爆症は、いつどんなかたちで現われてくるか予測できないからである。誰が生き延びて、誰が死んでいくかもわからない。生き延びたと思った人が突然あっけなく死んでしまういっぽうで、重い原爆症に苦しみながらもずっと生きながらえる人もいる。しかし、ひとつだけ確かなことがある。原爆は「悪意」によって引き起こされた。そしてその悪意は、ほんらい被害者であるはずの被爆者たちでさえ、道連れにしないではおかなかった。平野皆実は、自分が生き延びるために、他の被爆者たちを見殺しにするしかなかった。焼けただれた死体たちに慣れてしまうより他なかった。状態の良い死体から靴を盗む知恵を身につけずにはいられなかった。

原爆は、とうてい受け容れられない現実のなかに、生存者たちを放り込む。被爆者は、自分が他の犠牲者たちを尻目に生きのこったのだと自覚するそのたびに、自分がこのとうてい受け容れられない現実のなかでいまも現に生きていることを実感する。人間は、理解できない現実を前にして、それに何とか対処するために、自分なりの説明をこしらえて、それを現実にあてはめようとする。平野皆実の場合、原爆という対処不可能の悲惨な現実に対処しようとして、彼女は、自分のことを「しあわせになってはいけない人間」と説明するようになった。

しあわせだと思うたび 美しいと思うたび
愛しかった都市のすべてを 人のすべてを思い出し
すべてを失った日に 引きずり戻される
おまえの住む世界は ここではないと
誰かの声がする (25ページ)

自分の有罪を確認するためにこしらえたフィクションで自分の有罪を確認する。この自縄自縛の果てしない堂々めぐりが、平野皆実の感じている「後ろめたさ」である。しかし、原爆は悪意から落とされたという現実は、死者からの呼びかけを前に立ちすくむ以外の選択を、生き残りたちに許さない。だから、すべてを失った日、皆実がほんとうに失ったものとは、「未来を選択する権利」に他ならない。悪意に虐殺された死者たちの声を耳にしてしまうと、ひとは、自分がしあわせになる可能性など、とても信じられなくなるのである。このような逃げ場のない状況のなかで、どうすれば人間は、「後ろめたさ」を克服できるのだろうか。この問いへのアンサーは、『夕凪の街』から50年後の世界を描いた『桜の国』のなかで語られる。

『桜の国』では、「後ろめたさ」というテーマは、被爆二世の問題に引き継がれる。原爆の悪意は、被爆の影響が遺伝する「かもしれない」という科学的説明の見かけをまとい、50年後の人間をなおも縛りつけ、未来の可能性を圧し潰して、しあわせから遠ざかろうとする態度を選ばせる。この負の連鎖からの「救い」はどのようにありえるのかという問題については、しかしながら、じっさいに作品を読んで、読者のみなさんに考えてもらいたい。

ただ、ひとつだけ指摘しておきたいことがある。『夕凪の街』の平野皆実は、過去から目を背けさえするなら、自分の罪悪感も消えてしまうと気付いていた。にもかかわらず、彼女は、原爆の記憶を、それがどれだけ残酷な記憶だろうと、忘れようとはしなかった。

わたしが忘れてしまえばすんでしまう事だった (26ページ)

このモノローグとともに、平野皆実が見上げるのが原爆ドームである。そして、『桜の国』でも、桜並木の町の風景が描かれるたび、さりげなくその背景に、原爆ドームに似た建物が描かれている。もちろん、そっくりそのままの造型というわけではない(だったら出来過ぎというものだ)。しかし、読者の連想をほのかに刺激するような作者の手つきの裏に、いったいいかなる意図が隠れているのかを想像してみることは、けして意味のないことではない。それはきっと、原爆にまつわる記憶を、全部忘れて、無かったことにしてしまうのではなく、かと言って、辛い思い出で自分自身をさいなむのでもなく、しあわせな選択として受け容れる『桜の国』の主人公の態度と切っても切り離せない。最後に、原爆ドームについてのこうの史代自身の言葉を引用して、本稿を締めくくりたい。

このまんがを描くにあたって気付いたのは、被爆直後からの写真を追うにつれ、原爆ドームが崩れ、小さくなっていた事でした。あの日の惨状を思い出すので壊して欲しい、という声も多かったのですが、結局、核兵器の惨禍を後世に伝えるという使命を帯びて保存される事が、昭和四一年に決まりました。皆実の時代には、まだただの廃墟でしかなかったのだけれど、保存を決めた多くの被爆者の葛藤の末の勇気の象徴として、この建物は描きました。 (100ページ)

 

 



広島SF大全5 光原百合「扉守」

 

光原百合「扉守」(文春文庫)

さて、ここまで広島市の歴史を踏まえた硬派な作品が続いたが、もちろん広島SFはそれだけではない。ここで少し視点を変えて、広島県内の他の都市を見てみよう。呉、竹原、福山、尾道…いずれも古い歴史を持ち、独自の文化の蓄積を誇る。それぞれに別の顔を持つ別の街なのだ。もちろんそんな街には時にSFめいた不思議があれこれと潜んでいるものだ。

今回紹介するのはそんなうちのひとつ尾道市。作品中では「潮ノ道」となっているが、描かれる景観・地理・歴史は尾道そのものだ。
著者・光原百合は尾道在住のミステリ作家で、尾道大学芸術文化学部准教授という顔も持つ。他にも詩集・絵本・童話など多彩に活動しており、本書はそんな光原が手がけた郷土愛に満ちた地方都市ファンタジーである。

尾道に限らず、歴史ある地方都市に住むことは、独特の楽しみがある。自分の場合ならば高松・舞鶴あたりに住んでいたころがそうだろうか。
地方都市のコミニュティは小さく、文化人のサークルはさらにまた小さい。だが歴史ある街では「文化を絶やしてはいけない」という意識が強く、ひそかな一芸を持つ人々が網の目のようにネットワークを張り、独自の世界を形作っている。八百屋の主人が書道の名手であったり、電気屋のおかみさんが見事なフラメンコを踊ったり、市役所の広報係長が思いがけない前衛アートの大家であったり…そんな街では文化人の垣根が低く、ふらりと出かけた画廊喫茶で店主と話をしているうちに、気付けばネットワークに組み入れられていたりするものである。
古い街では「えっあの人がそんなことを」と驚くような意外な顔にいつも出くわす。別に隠しているわけではないのだろうが、昨晩のコンサートで喝采を受けたバイオリン奏者が翌日、近所のラーメン屋でネギを刻んでいたりするのを見るとなんとも不思議な気分になる。あなたのすぐそばにいる人々が、実は別の顔を持っている。そんな眩暈のような不思議な感覚。

本書の場合、そんなささやかな文化人たちをつなぐ拠点の役割を果たしているのが、山手にある持福寺の住職を務める了斎。どこの街でもこういう拠点はあるものだ。尾道に潜む様々な不思議を知り尽くしているが、あくまで飄々とマイペース。けっして慌てず動じず、笠智衆演じた「御前様」のような雰囲気である。全7篇から成る連作短編すべてに登場するのは了斎ただ一人であるが、前面には出ず狂言回しに徹している。

潮ノ道=尾道では、ひなびた地方都市の裏側に、様々な不思議が隠されている。名物飲み屋「雁木亭」が守る奇妙な古井戸の伝説とは? 定期的に巡ってくる劇団「天音」に所属する俳優サクヤが持つ奇妙な力とは? 喫茶店セルベルの青年店主が手がける「裏稼業」とは? 街へやってきた「写想家」が引き起こしたひと騒動とは?
いずれも尾道という歴史ある地方都市ならあるかもしれぬと思える絶妙な匙加減で配合されたファンタジー風味がすばらしい。特に表題作「扉守」は、作りこまれた世界観に裏打ちされた、限りなくSFに近い物語である。自分の体験に照らしてみても、大いに納得できる。人々はこのようにこっそりと別の「裏稼業」を持っているものなのだ。実は別に秘密でもなんでもないのだが、普段はしれっと無関係を装っているのは、地方民のシャイな一面のせいなのかもしれない。尋ねれば「ええ、実は」と照れながら答えてくれる。それもまた魅力である。

だが各編の主人公はいずれも高齢化した地方都市では浮いた存在である若者たち。当然地方都市ならではの常識や約束事を知らず、不用意に怪異の中に迷い込んでしまう。
つまり本書は尾道という街を抜きにしては成立しない。怪異はすべて尾道の風土や歴史に根ざして起きており、いわばローカルシティ・ファンタジーというべきもの。尾道の街こそが真の主役といえるかもしれない。

ちなみに本書は、2010年、県内の書店員有志が集まって選出した「広島本大賞」の栄えある第1回受賞作でもある。「広島本大賞」はネット上でかなり話題にもなったようだ。本書の文庫版刊行にあたっては「第1回広島本大賞受賞作」と帯に刷り込まれ、解説は選考委員を務めた広島の書店員・児玉憲宗氏が担当したほどだ。
東京、静岡、北海道と続いてきたご当地SF大全であるが、地元住民によるご当地作品が選出されている事例を目撃するのは初めてだ。これは広島人独自のメンタリティによる可能性があるという。このあたりは、本大会のパネルでいずれくわしく紹介することになるだろう。ご当地SFには必ずつきまとうことでもあるが、今回は特に「内側からの視点」を注意して見て行く必要がありそうだ。
「広島本大賞」は今も継続して開催されている。第三回のこのたびはコミックに絞った選考なのだそうで、西島大介や山岸涼子がノミネートされている。SFファンとしても今後の展開も目が離せないことになりそうだ。(高槻 真樹 )



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