「広島SF」リスト

【小説】

小松左京「黄色い泉」(比婆山)1973
    「影が重なるとき」1963 広島SF大全第7回(藤元登四郎)
光瀬龍『紐育、宜候』1984 広島SF大全第4回(宮野由梨香)
   『百億の昼と千億の夜』1965 広島SF大全第15回(宮野由梨香)
重松清「いとしのヒナゴン」(庄原市西城町)2004
映画版「ヒナゴン」(渡邊孝好監督) 2005もあり
赤川次郎「ふたり」(尾道市)1989大林宣彦監督版の映画1991もあり
小田実『HIROSHIMA』 1981 広島SF大全第13回(忍澤勉)
津原泰水「ブラバン」2006
    「天使解体」 2004
道浦母都子「光の河」2012~「パンプキン」連載中 (広島)
光原百合「扉守」2009 (尾道) 広島SF大全第5回(高槻真樹)
うえむらちか「灯籠」2012 広島SF大全第19回(宮野由梨香)
大庭みな子「浦島草」1977「寂兮寥兮」1982
山田正紀「弥勒戦争」1975 広島SF大全第20回(宮野由梨香)
    「ファイナル・オペラ」2012(ラストシーンが広島)
宮内悠介「盤上の夜」2012 広島SF大全第1回(高槻真樹)
風見潤「広島地図にない村幽霊事件」2003
司修「魔法のぶた」 1985(広島)
香山滋「ゴジラ」1954 (広島)
日野啓三の作品 (広島)
岡本綺堂 「怪獣」1934(三原)「深見夫人の死」1930(福山・呉) 広島SF大全第18回(高槻真樹)
那須正幹のヒロシマ三部作 (広島)
佐々木裕一「もののけ侍伝々 京嵐寺平太郎」 2011(広島藩)
織田兄弟「EX!」 2007
村上龍「歌うクジラ」 2010
天瀬裕康『闇よ、名乗れ』2010(広島) 広島SF大全第12回(宮野由梨香)
『峠三吉バラエティー帖 ―原爆詩人の時空における多次元的展開―』2012
図子慧『ラザロラザロ』1998 広島SF大全第3回(宮野由梨香)
徳川夢声「連鎖反応 ヒロシマ・ユモレスク」1952 (広島)
原民喜「心願の国」 1951(広島)
   「鎮魂歌」 1949(広島)
鈴木三重吉と『赤い鳥』1918 広島SF大全第14回(藤元登四郎)
マーク・ジェイコブソン「GOJIRO」1995 (広島) 広島SF大全第10回(渡邊利道)
カート・ウォネガット・ジュニア
   『猫のゆりかご』1963 
   『スローターハウス5』1969 広島SF大全第9回(YOUCHAN)

ジェイムズ・モロウ「ヒロシマをめざしてのそのそと」2009 (広島)
ブライアン・オールディス「リトルボーイふたたび」1966 (広島)
キム・スタンリー・ロビンスン「ラッキー・ストライク」1984 (広島)
エド・ブライアント「バク」1987 (広島)
浜野輝「H・G・ウェルズと日本国憲法」1985 (広島)
H・G・ウェルズ「解放された世界」 1914(広島)
ロード・ダンセイニ「ビリヤード・クラブの戦略討議」1931 (広島)

 

【公募アンソロジー】

宮島★文庫」(広島アニメーションシティ)広島を舞台にしたラノベを公募、アンソロジーを刊行している

 

【映画】

アラン・レネ監督「ヒロシマ・モナムール(二十四時間の情事)」 1959(広島)
本多猪四郎監督「フランケンシュタイン対地底怪獣」 1965(広島)
大林宣彦監督「時をかける少女」1983(尾道市)
大林宣彦監督「転校生」(尾道市)1982
田﨑竜太監督「サルベージ・マイス」2011(広島制作のご当地アクション映画)
松山善三監督「ふたりのイーダ」1976 (広島)
篠田正浩監督「悪霊島」1981(原作は岡山) (広島)
黒木和雄監督「とべない沈黙」1966 (広島)
ニコラス・ローグ監督「マリリンとアインシュタイン」1985 (広島) 広島SF大全第21回(高槻真樹)
ケビン・ラファティ監督「アトミック・カフェ」1982 (広島)
ローランド・ジョフィ監督「シャドー・メーカーズ」1989 (広島)
亀井文夫監督「世界は恐怖する」1957 (広島)
辻吉朗監督「弥次喜多善光寺参り」1921(宮島)
秋原正俊監督「白椿」2007夢野久作の同題原作を福山でロケ撮影

 

【テレビドラマ】

ウルトラセブン12話「遊星より愛をこめて」1967 (広島)
怪奇大作戦5話「死者の子守唄」1968(広島) 広島SF大全第8回(石和義之)
ウルトラマンA第1話 1972 (舞台は福山で、主人公二人は福山出身と推測される)

 

【戯曲】

井上ひさし「父と暮らせば」1994(広島市)黒木和雄監督の映画版2004も (広島) 広島SF大全第17回(横道仁志)
つかこうへい「広島に原爆を落とす日」 1986(広島)

 

【ノンフィクション】

Chim↑Pom、 阿部 謙一「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」2009 (広島)
スコット・スロヴィック他著「エコトピアと環境正義の文学 日米より展望する広島からユッカマウンテンへ」2008晃洋書房 (広島)

 

【コミック】

日渡早紀「グローバルガーデン」2005
山岸涼子「夏の寓話」1976
宇河弘樹「朝霧の巫女」2007(三次市)同題アニメ版2002(森山雄治監督)もあり
方條ゆとり「学園ナイトメア」2009(備北)
水木しげる「木槌の誘い」1999(三次市、稲生物怪録の翻案)
たなかのか「タビと道づれ」2010(尾道市) 広島SF大全第11回(高槻真樹)
小だまたけし「平成イリュージョン」2000(戦争が現代まで続く平行世界の広島)
杜野亜希「碧のミレニアム」2002(広島市)
明智抄『一町八反日記』 2012電子書籍版発行  広島SF大全第16回(宮野由梨香)
小林尽「夏のあらし!」2010(呉市)新房昭之監督のアニメ版2009も
吉富昭仁「BLUE DROP」2006(呉市)
杜野亜希「屍活師 女王の法医学」2010~
西島大介「すべてがちょっとずつ優しい世界」2012
こうの史代「夕凪の街 桜の国」2003 広島SF大全第6回(横道仁志)

 

【アニメ】

宮崎駿監督「崖の上のポニョ」2008(鞆の浦) 広島SF大全第22回(横道仁志)
沖浦啓之監督「ももへの手紙」2012(大崎下島)
篠原俊哉監督「ガンパレード・オーケストラ」2005(ゲーム版2006もあり、緑の章が広島を舞台にする)
舛成孝二監督「かみちゅ!」2005(尾道市)
佐藤順一監督「たまゆら」2010,2011(竹原市)
杉島邦久監督「陰の王」2008(尾道市)
「サイボーグ009」TVアニメ第1作最終回「平和の戦士は死なず」1968 広島SF大全第2回(宮野由梨香)
「蒼穹のファフナー」2004舞台の浦島島のモデルは福山・尾道

 

【ゲーム】

「タイムリープ」2007(尾道)
「夢見師」2006(尾道)
「ルーンロオド」2010(尾道)

 

【古文書】

「稲生物怪録」1749(三次市)

 

【自主映画】

奥一浩監督「ライダーヒロシマ」(97年あきこんで上映)
 

(制作:高槻真樹)


広島SF大全22「崖の上のポニョ」

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崖の上のポニョ(2008)

 宮崎駿監督が長篇映画からの引退を発表するいっぽうで、現在公開中の『風立ちぬ』が100億円の興行成績をおさめたことがニュースになるなど、いまスタジオジブリの動向は大いに世間に賑わせているようです。考えてみれば、前作の『崖の上のポニョ』が上映されていた時期も、鞆の浦の埋立て架橋計画の論争が微妙な局面に差しかかっていたことと相まって、いろいろな話題に事欠きませんでした。ところで、その『ポニョ』ですけれど、興行的に世界規模で成功を収めたにもかかわらず、ブームの波が去った現在から振り返ってみると、映画作品としての評価は「難解」という意見が多く目立つようで、必ずしも芳しいものではないみたいです。じつのところ、宮崎監督自身は、「ルールが何にも分からなくても分かる映画を作ろうと思った」という気持ちで『ポニョ』を制作したと発言しているだけに、作り手の側と観客の側のあいだの見解のズレはいっそう不思議に思えます。

 そこで考えてみたいのは、「ルールが何にも分からなくても分かる映画」という宮崎駿の発言の意図です。そもそも「映画のルール」とはいったい何でしょうか? もちろんぼくは、映画については素人も良いところなので、「映画とはこれこれこういうものである!」だなんて偉そうに講釈できるだけの才覚も知識も持ち合わせていません。でも、ひとつわかることがあります。宮崎駿は、ルールを知っていなければ理解できないような種類の映画が存在すると考えているということです。では逆に、ルールを知らなくても理解できるような映画とは、どんな映画でしょうか。それは、きっとスクリーンの中ですべてが語り尽くされているような映画、作品の外に助けを求めなくても理解できるような映画ということになるでしょうね。とは言っても、それはたいていの映画にあてはまることのはずです。なら、発想を逆にして考えてみましょう。「ルールが何にも分からなくても分かる」と強調することで、宮崎駿は、『ポニョ』という作品の中で、とくにどんなところに注目して欲しかったのか。その点を掘り下げてみるのです。

 じつはその答えは、冒頭のワンシーンの内に、堂々と宣言されています。みなさんは、『ポニョ』がどんなシーンから始まるか覚えていますか? それはこんな場面です――満月の夜、曲線を描く水平線にぷかぷかと波に揺れる船。夜空にはクレヨンで描いたような雲がぽっかりと浮かんでいる――どうでしょう、この画面からみなさんは何を連想しますか? ぼくはこの最初のワンカットから、絵本でよく描かれるような風景、あるいは幼稚園児のお絵描きなんかを連想します。そしてこのお絵描きのような風景からそのままカメラが海面下に移動すると、水中で生き生きと活動する海の生き物たちのすがたが画面いっぱいに広がって、『ポニョ』の物語は始まります。「子供の絵」から「アニメーション」へ。『崖の上のポニョ』とは、「子供」と「アニメ」の関係を主題に据えた映画なのです。

 みなさんもご存知かもしれませんが、「アニメ」という言葉はその由来をたどれば、ラテン語で「魂」を意味する言葉、アニマに行き着きます。アニマを所有するモノは、アニマルです。単なる物とは区別される物、動物です。このアニマという名詞に「〜化」を意味する語尾の「—tion」が組み合わさると、アニメーションという言葉が生まれます。要するにアニメとは、静止画に動きを与え、魂を吹き込む仕事だというわけですね。魂とは、自発的な運動の源です。だから、『ポニョ』が、海の生き物たちがめまぐるしく乱舞する光景から始まるのはけっして偶然ではありません。だって、何と言っても海は生命の故郷なのですから。スクリーンの中で海の動物たちが生き生きと動くこと。それは、アニメーションという概念の根底にある発想、動きにいのちを見いだす発想の比喩でもあるのです。そう考えるなら、冒頭のシーンのクラゲたちの形態がじつに多種多様で、まるでプランクトンのような奇妙なかたちをしている理由もわかります。冒頭のクラゲたちは、見た目の上では原初的な生命のシンボルでもあるということです。言い換えると、画面の中の絵を見て、「あ、これはクラゲだな」と判断してしまうとき、ぼくたちはすでに映画に対して一種の偏見を持ち込んでいます。素直にスクリーンの中で展開する光景を眺めるなら、海の中でダンスしているのは、クラゲでも、生命の原形質でもあるのです。おそらく、そういうフィルムの見かたが、宮崎駿の言う「ルール」の要らない映画鑑賞法なのではないでしょうか。

 さて、そんな海の生き物たちの中で、人面魚のポニョだけは、海の上の世界に興味を持ち、父親のフジモトの住まいから逃げ出します。『ポニョ』をご覧になった方ならおわかりのとおり、ポニョが人間になれるかどうかという問題がシナリオの軸になって、この映画は進行していくことになります。ではそのポニョは、いったいどんな道のりを経て人間に変化していくのでしょうか。この問いを考える上で、ひとつのヒントになるのは「言葉」です。ポニョがフジモトのアジトから家出するとき、彼女の妹たちが周りにむらがりながら、口々に声をかけるという場面があります。しかし、人面魚であるポニョの妹たちが発するのは、音節として聴き取りづらい、まるで子猫の鳴き声のような声なのです。(最近の宮崎アニメはプロの声優を使わないから演技が棒読みだ、という評判をよく耳にしますが、少なくともポニョの妹たちのセリフの演技はじつによく計算されています)。つまり、自然の世界である海に属するものたちは、音節言語を持たない、言葉未満の鳴き声しか持たないというわけですね。いっぽう、海の上に出たポニョは、崖の上にある一軒家の子供・宗介に拾われ、大切に保護されます。そして、宗介から「ポニョ」という名前を与えられ、彼から人間の言葉を学ぶようになるのですけれど、それははたしてどんな方法によるのか。ポニョが最初に発する言葉。それは「そーすけ」という名前です。ポニョが「そーすけ、ポニョ」と言うと、宗介はうなずいて、「ポニョ、そーすけ」と繰り返す。ポニョと宗介は、お互いの言葉を真似し合うことで、最初のコミュニケーションを成立させるのですね。そして、ポニョは言います。「ポニョ そーすけ スキ」。お互いを真似し合うところに言葉のコミュニケーションが成立します。言葉のコミュニケーションがあるところには「愛」が生まれるのです。

 言葉を持たない動物であるポニョが、名前を与えられ、お互いの名前を呼び交すことで言葉を獲得する。ここのところに、『ポニョ』という作品のもうひとつのテーマである「子供」が関係してきます。そもそも子供とは、いったいどんな存在でしょうか。自然のままの動物ではなく、だからと言って人間の社会に完全に馴染み切ってもいない存在。それが子供です。子供は、大人の真似をしながら、少しずつ人間社会の習慣に慣れ親しんでいくものですね。じっさい、宗介の家にやって来たポニョは、宗介や、宗介の母のリサの行動を模倣しながら、少しずつ人間の流儀を学び始めます。たとえば、はちみつをスプーンですくい、コップに入れてかきまぜる理沙の手つきを、ポニョは食い入るように見つめます。なぜだかわかりますか? これまでずっと動物として生きてきたポニョには、自分の身体がすべてだったからです。だから、スプーンをあつかうリサの手つき――身体の動きを拡張して、「道具」を自由にあつかう手つき――が、ポニョにはまるで「魔法」に見えるのです。しかしながら、ほんとうに人間に成り切っていないポニョには、リサや宗介の行動の裏にある「意味」までは未だ理解できません。だから、宗介は、ポニョに熱い飲み物の冷ましかたを教えるために「フー、フー」とコップに息を吹きかけるのですけれど、ポニョは、宗介の行動の上っ面しか真似ることができなくて「ブー、ブー」とコップにつばを飛ばしてしまうのですね。

 この意味で、動物的な存在から半魚人の状態を経て、人間に変貌していくポニョのすがたは、人間の子供が成長していくすがたと鏡映しの関係にあります。言い換えると、『ポニョ』が「子供」をメインテーマに据えている理由は、単にこの映画が児童向けを目指した作品であるだけではなく、宮崎がこれまで繰り返しあつかってきた問題――自然と人間の関係――を思索するための切り口に、これを選んだということでもあるのです。たとえば、この映画の中では、縦軸のアングルがひんぱんに画面に導入されています。これもまた、自然と人間の関係を「子供」を切り口にして考えることの例のひとつです。ぼくが言いたいのは、ポニョが、海の底から水面を見上げたり、海面から崖の上の家を見上げたりするシーンのことですけれど、これは、要するに、子供が大人を見上げたり、大人の世界を眺めたりする視点とパラレルなのですよね。自然の世界である海と人間の世界である陸上の町とのあいだの高低差が、そのまま子供の世界と大人の世界の目線の高低差に重ねられているということです。だから、魚であるポニョが人間に変身することで、「自然」と「人間社会」の区別が見失われてしまい、ふたつの世界が共に消失の危険にさらされるとき、海と陸の高低差もまた消え失せます。それが、物語の後半で、月が地球に接近して、町が水没してしまう理由です。

 でも、人間世界の崩壊の危機は、この『ポニョ』という作品の中では、まるで悲壮感を感じさせません。それどころか、じつになごやかな雰囲気の中で、宗介とポニョのふたりは、ポンポン船に乗って「冒険」の旅に乗り出します。ふたりが航海する世界、自然と人間社会が溶け合った世界は、とてもメルヘンチックです。洗濯物を干しているアパートの真上を、太古の魚たちが悠々と泳ぎ回る風景。似たような光景は『天空の城ラピュタ』でも描かれていましたね。けれども、『ポニョ』の場合、宮崎駿は、単に綺想の光景を描くことを目的にしているわけではありません。このことは、宗介とポニョが航海の途中で出会う大人たちの態度を見ればわかります。大人たちは、ふたりのことを「対等な存在」としてあつかっているからです。自然と文明とが溶け合った世界、魔法の世界は、お祭りの世界です。日常の世界では、大人は「目上」の立場から子供に社会のルールをしつけるのに対して、お祭りの世界では、おもちゃのポンポン船を「良い船だなあ」と褒めたたえ、みんなでエールを送って、一人前の戦士を見送るみたいに敬礼しさえするのです。自然と社会の高低差がないところには、大人と子供の高低差もなく、現在と過去の高低差もないということですね。海の中を古代魚たちが泳いだり、洪水から避難する町のひとびとがあたかも戦地から引き上げる敗戦の日本人のようだったりする理由が、ここにあります。

 物語のラストで、宗介が海の底にまで降りていく理由も同じです。ポニョは、海の底から陸の世界にやって来て、宗介と出会い、人間にあこがれるようになりました。自然が人間のほうに歩み寄ってきたのです。だったら今度は、人間が自然のほうに歩み寄る番です。そして、宗介は、母なる海の象徴であるグランマンマーレの試練に、みごとに合格します。「ぼく、魚のポニョも、半魚人のポニョも、人間のポニョもみんな好きだよ」。純真無垢な子供の心は、自然も人間も分け隔てなく受け容れる。だから、人間の世界と交わろうとするポニョの意志を受け容れることで、宗介は、自然と人間のあいだのコミュニケーションを完成させます。じつのところ、子供の純粋さが壊れかけたコミュニケーションを修復するというテーマは、作中ですでに先取りされていました。それは、宗介の父親で船乗りの耕一が、仕事で家に帰って来られなくて、リサがふてくされてしまう場面でのことです。耕一は、船から照明でモールス信号を送るのですけれど、この信号を「ごめん」という言葉に翻訳してリサに伝えるのは宗介です。それだけでなく、宗介は、リサの「BAKA」という返答を、耕一に向けてモールス信号で返信しもするのですね。「あいしてる」。「BAKA」。子供が大人同士のコミュニケーションを取りもったおかげで、夫婦はコニュニケーション不全に陥らずに済みます。それと同じことが、自然と人間とのあいだの関係にも起きる。だから、リサとグランマンマーレは、最後に、「リサありがとう」「あなたもグランマンマーレ」と呼びかけ合うのです。なぜなら、このふたりの母親は、辛い思いに耐えて、お互いの子供を信じ合ったからです。宗介が、グランマンマーレの試練に失敗していたら、ポニョは海の泡になって消えてなくなる運命にありました。もしそんなことが起きていたら、宗介の心には深い傷が刻まれていたことでしょう。それは、リサにもグランマンマーレにも耐えがたい結果であることは言うまでもありません。それだからこそ、宗介とポニョが試練に立ち向かうその裏で、ふたりの母親は、自分の子供とお互いの子供を信じ合い、かくして自然と人間は調和を取り戻すことができたのでした。

 以上、『ポニョ』という映画のテーマを、シナリオの面から考えてきたのですけれど、じつは、この「自然と人間の関係」というコンセプトは、物語よりももっと根本的なレベルで作品の内容を決定しています。何のことを言っているのか、ですって? 「ポニョ」という名前のことを、いまぼくは話しているのですよ。「リサ、この子はポニョって言うんだよ。ポニョってしているし、魔法が使えるから」。どうして宗介は、海からやってきた「金魚」を「ポニョ」と名づけたのか。それは金魚がポニョっとしているからだ、と彼は説明しています。「ポニョ」とは、オノマトペの発想から生まれた名前なのですね。

 オノマトペとは、日本語では、擬声語、擬音語、あるいは擬態語などと訳されていますけれども、要するに、自然物を人間の言葉で模倣して表現したものです。雷のなる音を「ゴロゴロ」と言い表したり、蜂の羽音を「ブンブン」と言い表したり、猫の鳴き声を「ニャーオ」と言い表したり。その他にも、じっさいには音声とは無関係なものごとの性質とか、人間の感情とかを文字に表わすこともまた、オノマトペです。たとえば、雲が重くたれ込めている天気を「どんより」と形容することが、それですね。ぼくたちは――日本語で世界を語るぼくたちは――自分が知らないもの、見たことも聞いたこともないものでも、日本語のオノマトペで説明されれば、そのありかたを何となく感じ取ることができます。「ポニョ」と聞いて、弾力のある、まん丸い何かを自然と連想するように、です。日本語に慣れ親しんでいるひとなら、おそらく、「ポニョ」という名前から水滴のイメージ、弾力ある球のイメージを想像します。そして、この映画を見た人ならおわかりのとおり、宮崎駿は、作中で一貫して、弾力感を感じさせるような描きかたで、水滴、水しぶきを表現することにこだわっていました。言葉で説明するのではなく、ただ絵で、画面の中のアニメーションで内容を伝えること。オノマトペと同じように、説明不要の感覚で理解してもらえるような映画をつくること。それが、この『ポニョ』で宮崎駿が目指したことです。だから彼は、「ルールが何にも分からなくても分かる映画を作ろうと思った」と話していたのですね。

 言葉を覚えはじめの頃の幼児は、世界をオノマトペで表現します。車を「ブーブー」と呼んだり、犬を「ワンワン」と呼んだりします。いっぽう、幼児に言葉を教える側の大人も、オノマトペを使って、人間社会のルールを学ばせます。たとえば、子供に金づちのことを「トントン」と呼ばせたり、歯みがきのことを「シャカシャカ」と言ったりすることによってです。なぜなら、たとえ子供のほうで金づちとは何かを知らなくても、大人のほうが「トントン」と言いながら、金づちで何かを叩いてみせれば、子供はそれが何のために使う道具であるか理解できるからです。この意味で、オノマトペは、単に何かを言い表すだけではなくて、「身体で模倣する」という要素が非常に重要になるような言葉です。車を「ブーブー」と呼ぶ子供は、ただ単に車の発する音を言い表しているだけでなく、自分で車を真似ています。歯みがきのことを「シャカシャカ」と呼ぶ子供は、歯ブラシで歯をこする大人のふるまいを、想像の中で模倣しているのです。オノマトペをやり取りする人間は、ただ言葉を言い交わしているだけでなく、お互いの行動を真似し合いながら、コミュニケーションをおこなっています。だから、日本語を十分に理解していない幼児とのあいだでさえ、オノマトペでの会話は成立する。同じことを、宮崎駿は、映画の中で実践しようとしました。『ポニョ』を制作するにあたって、宮崎が「手書き」にこだわった理由がここにあります。彼にとって重要なのは、観客に身体的な手ごたえを感じさせるようなアニメーションを生み出すことだったからです。宮崎は、アニメーションという創作表現の根底に、身体のコミュニケーションがあると考えて、それを作品の前面に押し出そうとしました。なぜなら、それが最も純粋なコミュニケーションの手段であり、「自然」に誰にでも理解できる創作表現であると見なしたからです。

 じつのところ、この点に宮崎駿の思い違いがあるのではないかとぼくは考えます。なぜなら、順番が逆だからです。オノマトペは、「自然な言葉」ではありません。オノマトペは、言葉を知らない人間に対しても意味を伝達することのできる万能の魔法ではありません。日本語のオノマトペは、あくまで日本語の世界の内部で生きる人間にしか伝わらないからです。同様に、人間の社会習慣に汚染された大人になってしまうより前に、自然に生きる子供が存在するのではありません。子供は子供なりに、すでに大人として生きています。純真無垢な子供とは、大人であるぼくたちが勝手に捏造してつくりあげるところの、存在したことの無い故郷、ありえたはずのない過去です。だから、物語的な説明を極力排して、アニメーションの躍動ですべてを表現しようとした『ポニョ』は、子供たちの目には、まるで理解できないものに映ったのではないでしょうか。そもそもアニメの見かた、映画の見かたに慣れ親しんでいる人間でないと、アニメを「自然」と思うことなどできはしないからです。じっさい、宮崎駿の思惑とは反対に、『ポニョ』は、極めて注意深く画面を分析しなければ、その意味を汲み取れないような作品に仕上がっています。自然を描こうとすることで、かえって不自然なものができあがる。人間と自然の関係は複雑です。その複雑さがそのまま映画になってしまったところに、『ポニョ』が難解な作品になってしまったその理由があるのではないでしょうか。

(横道 仁志)


広島SF大全21「マリリンとアインシュタイン」

「マリリンとアインシュタイン」Insignificance(ニコラス・ローグ監督/1985/イギリス映画/110分)

 これまで主に原爆テーマ以外の広島SFを取り上げてきた。広島といえばどうしても原爆テーマが目に付いてしまうが、他の題材も数多いことを示したかったからだ。だが最後ぐらいはきちんと原爆テーマを取り上げておきたい。ただし、日本ではなく海外視点で。

 海外SF作品の中で日本が取り上げられる場合、かなりの高率で広島が扱われる。それほどまでにSFにとって原爆投下は重く衝撃的な出来事だったのだろう。映画ではアラン・レネ監督「ヒロシマ・モナムール(二十四時間の情事)」(1959)という非常に正確な広島描写に驚かされるものもあるが、多くは罪悪感と妙なエキゾチシズムが混じったものである。この「マリリンとアインシュタイン」もそんな作品のひとつであるが、決して「その地大勢」に埋没するものではない。歪んだ文化理解すらテーマの中に回収してしまう、極めて巧妙な作品であるからだ。

 この作品の監督はニコラス・ローグ。SFファンにはなんといってもデヴィッド・ボウイ主演のカルト作「地球に落ちて来た男」The Man Who Fell to Earth (1976)で知られている。だが個人的には過剰なナルシズムが鼻につくこの作品よりも、「マリリンとアインシュタイン」がより強烈に印象に残っている。

 なにしろ原題がInsignificance=無意味というのだから人を食っている。もともとはテリー・ジョンソンの舞台劇ということだが、巧妙に映画的世界に換骨奪胎されている。舞台は一九五四年のニューヨーク。ホテルの一室を舞台に、アインシュタインとおぼしき「物理学者」、マリリン・モンローと思われる「女優」、ジョー・ディマジオらしき「野球選手」、そしてジョセフ・マッカーシーとみられる「上院議員」が登場し、右往左往のドタバタが繰り広げられる。

 各キャラクターが微妙に本物と似ていないことに不満を漏らす声も散見されるが、実はこれは計算のうちだ。日本語タイトルを「マリリンとアインシュタイン」としてしまったのでテーマが見えにくくなってしまったが、作品中でモデルとなった人物の固有名詞は一度も呼ばれない。四人はあくまで「物理学者」「女優」「野球選手」「上院議員」としてのみ扱われる。つまり歴史上の人物の歴史上の出来事をモデルとしつつも、それをいったん抽象的なレベルへ引き上げて物語をつむいでいく。これは現実を異化していく、一種SF的な手続きだ。

 確かにこの当時アインシュタインはマッカーシーによる赤狩りの迫害に手を焼き、その一方で原爆投下に加担してしまった自身の罪に苦しんでいた。マリリンは過剰に記号化されたセックスシンボルへと祭り上げられたことに困惑し、嫉妬深い夫ディマジオを扱いかねていた。ともに非常によく知られた有名なエピソードだ。だが、これはアインシュタインだから、マリリンだから、起きたことなのだろうか。そうではないのではないか。どんな「物理学者」や「女優」にも起こり得る、普遍的な苦悩として描き出す。そうすれば、より苦悩の本質が理解できるようになるのではないか。

 自分に貼り付けられた強固な「キャラ付け」がはがせず苦労する経験は誰にでもあるだろう。「物理学者」の前で嬉々として相対性理論を説明してみせる「女優」の姿を通して、人間にとっての本質とは何だろうという哲学的命題が、とてもわかりやすく示される。それでもマリリンが相対性理論を語るミスマッチをギャグとして捉えてしまう、一観客としての自分自身の姿も同時に気づかされる。そんな巧妙な多重構造が、この映画の魅力である。

 「物理学者」は、何度もありし日の「日本」の姿を思い描き、それを破壊してしまった自分の罪業に苦しむ。この日本像が鳥居の前で洗濯する芸者、といういかにもステレオタイプなニッポン像なのが厄介なところである。

 アインシュタインの頭の中にあったであろう広島像は決してこんなものではなかったはずだ。なぜならアインシュタインは戦前、日本を訪れたことがあるからだ。一九二二年、改造社・山本氏実彦の招きで来日を果たしている。日本に着く直前にノーベル賞受賞が決まったこともあって、熱狂的歓呼の中で迎えられることとなった。一ヵ月半あまり日本に滞在し全国で講演しながら観光も楽しみ、京都や奈良のほか宮島にも立ち寄っている。

 だからアインシュタインには具体的な広島のイメージとそこに住む人の顔が思い描けたはずで、そのぶん苦悩は深かったのではないだろうか。

 だがそんなリアルな広島像を描いてしまったら、この人物は完全に「アインシュタイン」になってしまう。だからこそローグはあえて「フジヤマゲイシャなヒロシマ」をわざとここに据えたのではないだろうか。より凡庸でありがちな「ヒロシマ」。だからこそ観客はより自分に近い普遍的なテーマとして、「物理学者」の苦悩を共有することができるのだ。

 そうやってくだくだと読み解くことも含め、世の中はすべて「無意味」であるのかもしれない。だがそれでも苦悩は残る。「無意味」であるからこそ、私たちは苦悩の持つ意味を考えずにいられない。

(高槻 真樹)


広島SF大全20『弥勒戦争』

『弥勒戦争』(山田正紀)

(初出=書下ろし単行本・早川書房(1975年9月)
→ ハヤカワ文庫(1976年12月)
→角川文庫(1978年1月)
→ ハルキ文庫(1998年9月))
 (引用およびページ数は、初出による。)

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【書影】初出単行本

 平和は尊い。もちろんだ。
 だが、戦争の悲惨を訴え、平和の意義を説けば、戦争はなくなるのか?
 人々がみな善意にあふれていれば、戦争は起こらないのか?
 『弥勒戦争』という作品が問題提起しているのは、そこである。
(ネタバレあります! 未読の方は、読んでからお越しください!!)

 昭和20年代の日本が舞台である。
 主人公の結城弦(25歳)は、「裏小乗の独覚」のひとりである。
 「独覚」には、凡人にはない能力がある。

「おれたち独覚には六つの力が備わっていると言われている。仏教でいう〈六神通〉だ。つまり、天眼、天耳、他心智、神作智、宿命通、漏尽通――の六つの力だ。――中略――およそ人間が望み得る総ての超能力を含んでいると考えればいい……」(100頁)

 小乗仏教の開祖が仏陀であるのに対して、裏小乗の開祖は仏敵とされている調達(ダイバダッタ)である。調達は、「黙して滅びよ」との掟を独覚たちに課した。
 ヒロインの芷恵(しけい)も「独覚」のひとりである。
 彼女は「わずか二〇歳の美貌の娘が在日朝鮮人連盟の精神的支柱となって、政府の解散命令とたたかっている」(30頁)ということで世間の耳目を集め、「在日朝鮮人連盟のジャンヌ・ダルク」(30頁)と呼ばれている。
 彼女は、「裏小乗の掟に従え」と警告する結城に、こう言い放つ。

「この世の悲惨に喘いでいる人たちは数えきれないほどいる。そして、私たち独覚には彼らを救ける能力がある……それでいて、彼らを救けてはならないなんて、そんな掟に意味なんかあるはずないわ」(45頁)

 こんなふうに、芷恵は結城の説得に応じない。
 結城は「人間ってやつはしょせん毒虫か、そうでなければ滓にしか過ぎない。いずれにしろ救いに価するような上等な代物ではない」(51頁)と言い、それを彼女にわからせるために治安の悪い上野公園に彼女を連れ出して、男たちに襲わせようとする。しかし、彼女は、自らその男たちを追い払うことのできる能力の持ち主であった。

「人間が滓だなんてこと、ずーっと知っていたわ。――中略――だから、救いたいのよ」(53頁)

 芷恵は、こう言い捨てて去る
 結城は敗北感よりも昂揚感に満たされて立ちつくす。

あの娘なら人の世の悲惨をなくすことができるかもしれない……。(54頁)

 だが、その彼女を結城は物語の終盤において、自らの手で死に追いやることになる。

おれが芷恵を殺したのか。おれは芷恵を好きだったのに……しんそこ惚れていたのに……(235頁)

 どうして、結城は芷恵を殺さなくてはならなかったのか?
 彼女が弥勒を信じ、その命令に従って朝鮮に原爆を落とそうとしたからである。
 彼女は、それを「幾万かの人間を殺すことになっても、それで幾億人かの悲惨を救うことができるのなら……」(233頁)と説明した。「私は外道におちてもかまわない」(233頁)とも。

 人間の脳は「進化」の結果の産物ではなく、「特殊化」のもたらしたものである。特殊化の行き先は袋小路であり、生物としては「でき損い」と言える。
 そのことを結城は次のように説明する。

「(もし、人間の脳が完全だとしたら、)この世の悲惨にはなにか意味があるのか、ときみが訊くこともあるまい――己の生に意味があるのかと考えたり、人類が絶滅してしまうほどの爆弾を抱えるような真似をしたりすることもないだろう。人間はそれ以外の進化の可能性を総て排除して、脳を特殊化させて――結局は、その脳もでき損いにしかならなかったわけだ」(102頁)

 独覚たちの超能力は更なる「特殊化」の産物である。人類の未来のために独覚たちは滅びなくてはならない。だから、調達は独覚たちに掟を課した。
 我々は知っている。結城の発言にある「人類が絶滅してしまうほどの爆弾」の最初のものが落とされた場所は、広島だった。人間の特殊化された脳は、自らを滅ぼしてしまうほどに「でき損い」なのだ。
 原子爆弾は人間の業の象徴である。
 だから、『弥勒戦争』という作品は、広島で始まり広島で終わる。

 弥勒は結城に言う。

――私は救いたい。悲惨に喘いでいるこの世をなんとしてでも救いたい……。(237頁)

 彼に悪意はない。むしろ、善意にあふれている。
 だが、その善意は決して、この世の悲惨を救わない。
 弥勒本人の意思とは関係なく、弥勒の存在自体が「人類の大量殺戮」を引き起こすのだ。

「(弥勒とは)並みの独覚をはるかに凌駕する超常能力を備えた悪しき独覚――そして、自然から、人間を減らすように任じられている殺戮者のことだよ」(221頁)
「天敵のいなくなった人間には、大量殺戮者がどうしても必要だったんだ。さもないと、人間そのものが滅んでしまう」(222頁)
「弥勒という言葉に関わりがなくとも、世界中に異常能力を備えた大量殺戮者が生まれているはずだ、――儂は、ヒトラーも弥勒ではなかったかと考えている」(223頁)

 確かに、人類にとって最大の天敵は人類自身である。人類を大量に殺すことにおいて人類にかなうものは、地球上に存在しない。
 食物連鎖の頂点に立つ動物=ホモ・サピエンス。だから、自然は人類のために「弥勒」を用意した。 種が生き残るためには「大量殺戮者」が必要だ。常人にない能力を持つ独覚たちは、「弥勒」となり得る者たちだ。大量虐殺を引き起こしたくないなら、ただ黙って滅びていくしかない。だから、決して「世の中の悲惨を救おう」などと考えてはいけない。それは、さらなる悲惨を招きよせるだけだからだ。

 星新一は、善意の医師たちの努力によって結核で亡くなる人が減った結果、職のない貧しい人々が増加して収拾がつかなくなったネパールを例に挙げて、このように言った。

こういうことを考えてみないと、人間というものを冷静に再確認はできないのじゃないかと思うのです。 (〈三田文学〉昭和45年10月号)

 善意の願いが、さらに大きな悲惨を呼び寄せてしまうのなら、願いなど持たないほうがいい。
 医学の進歩によってそれまで助からなかった病人が助かるようになった。それ自体は非常に喜ばしいことだ。だが、それによって、人口が増え、それを支えるだけの経済がなく貧困がはびこる。食糧が足りなくなる。環境も破壊される。
 戦争が起きれば、「敵に打ち勝つ」というのが希望であり夢だ。それを実現するために、例えば原爆を開発する。その結果、人類は滅亡するかもしれない。
 希望の実現は、より深い絶望を招き寄せる。
 我々の歴史とは、そのようなことの繰り返しだった。

 戦争がなかったら、増えすぎた人口によって逆に人類が滅びてしまうのだとしたら、我々が求めるべき「平和」とは、いったい何なのだろうか?
 人類はどうすればいいのか?
 我々に未来はあるのか?
 これは、安易に答えるべき問題ではない。
 だが、真剣に考えるべきなのは確かだ。
 『弥勒戦争』という作品は、そのことについての作者の思索の跡を示している。
 
 私事で恐縮だが、私・宮野由梨香は高校2年生の時に広島へ修学旅行に行った。夜のHR討論会で、『弥勒戦争』の内容を紹介し問題提起したことを覚えている。
 宮野にとって、『弥勒戦争』は、『サイボーグ009 TVアニメ第一作・最終回 平和の戦士は死なず』とともに、「広島SF」の原点である。

(宮野由梨香)



カーテンコールのごあいさつ

 早いもので、こいこんが終了してもう二ヶ月が経ちました。

 スタッフのかたがたにとっても、参加者の皆さまにとっても、 思い出深いSF大会のひとつとなったと思います。ぼくたちが連載してきた「広島SF大全」も、おかげさまで、 ひとまずは無事に役目をまっとうできたようです。

 とはいえ、勝手な話ではあるのですけれど、 心残りがあるのです。

 まだぼくたちは「広島SF」を論じつくしてはいません。もちろん、論じきれるものではないことはわかっているのですが、結構大きな作品が、まだ残っています。今までも、SF大全のしめくくりに「 カーテンコール」 と称して特別な記事を一挙掲載してきました。もう今さら感はあるのですけれど、 ぼくたちなりのケジメという意味で、ここに 広島SFの評論三篇をアップしたいと思います。今日からの三連休に合わせて、一日に一篇ずつ、こちらに上げさせていただきます。ぼくたちの「せめて、あと、これについてだけは書きたい」という作品と、皆さまの「どうして、あれを論じないの?」という作品が一致してくれると嬉しいのですけれど。
 
 そして、最後のしめくくりとして、 高槻さん中心になって作成した「広島SFリスト」 を掲載いたしますので、 ご興味のあるかたは参考にしていただければ光栄に存じます。

「SF評論賞チーム・プロジェクト広島」担当  横道仁志



広島SF大全19『灯籠』

7月15日になりました。
こいこん開催まで、あと5日間です!
今日の作品は、コメント欄でリクエストをいただいた『灯籠』です。
リクエストして下さった宮本英雄さま、ありがとうございました。

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広島SF大全18 『灯籠』(うえむらちか)
ハヤカワ文庫JA1069・2012年6月刊(書下ろし)

 死者の魂の帰り来る期間……それが「盆」である。

 「盆」の期間、死者はゆかりある土地で、生者とともに過ごすとされている。

 旧暦の7月15日、満月の晩が、かつてはその期間の中心だった。

 明治になって新暦が導入された。その結果、地方によって7月15日、8月1日(宮野の棲む地域はこれである)、8月15日などと、その中心となる日は異なるようになった。

 近代において、言葉も服装も全国統一されていく中、「盆」には地方色が色濃く残された。

 広島の「灯籠」もそのひとつである。

 竹の先を6つに割ってひろげて、そこに紙を貼る。朝顔のような形になったそれは、死者の魂が間違いなく還ってくるための目印になるのだ。本の表紙に描かれた少女が両手で支えているのが、その「灯籠」である。

 少女の名は灯(ともり)。この物語の主人公である。
 
 灯は、8歳の時に交通事故で両親を亡くした。
 
 翌年の夏、灯は灯籠を持って、墓を目指す。

八月十三日
もうすぐ盆がやってくる。
私は自分よりも大きな灯籠を片手に持って、竹でできた柄の先を、半ば引きずるような形で進んでいた。(14頁)

 灯は、たったひとりで、両親の初盆のための白い灯籠を山中の墓に供えに行く途中、「落とし物、みなかった?」(15頁)という不思議な声を聞く。そして、現れた青年・正造と「夢のように楽しいひととき」(51頁)を過ごす。

 だが、正造に再び会えるのは一年後だという。一年のうちのただ4日間……8月13日から16日までの間だけ、彼は灯の前に現れる。

 数年後、中学生になった灯は、学校の中で孤立する。

付き合いの悪い態度。
 両親を事故で亡くした子供。
 これだけでも私が孤立する原因ははっきりとしていた。
 ―――中略―――
 一年の内の四日間。私は幸せで、それ以外は本当にどうでも良かった。
 秋、冬、春、そして夏。気の遠くなるような三百六十一日。
 私はぬけがらのように生きて、そしてあなたに会った。
 会い続けた。 (17頁)

 ここに来るまでに、たいていの読者はこの青年が「この世ならぬ者」であることに気がつくだろう。

 もちろん、灯も気がついている。ただ口にしないだけで、とっくに気がついているのだ。

 そして、十七歳になった灯は、ついにその質問を口から発してしまう。

「死んどるん?」(134頁)

 明かされる「正造」の正体(?)の詳細は、物語を読むに如くはない。

 主人公は本当に灯なのかということについても、読了後にわかることであるから、あえて書くまい。

 ただ、繰り返される「孤児」のモチーフについて、ひとこと述べておきたい。

 灯はどうして「8歳」で温かい両親を亡くすのか?

 たいていの親は、そのころから、ただ「暖かい両親」であることをやめて、子どもに「勉強」を求める。もちろん、近代のシステムの中で生計をたてるには、それが必要だ。しかし、子どもにとってみれば、それまでの「暖かい両親」を失うに等しい。しかも、その両親が暗黙のうちに根ざしているものといえば、彼らが育った時代の「昭和的価値観」つまり、終身雇用・年功序列が生きていたころのものだったりする。こうして、子どもたちは「精神的孤児状況」に追い込まれる。もちろん、その両親にしてからが、そもそも「戦後日本の文化状況」においては、親の世代とは断絶せざるを得なかった「孤児」だったのだ。

 この作品には、「両親死亡による孤児」である少女・灯の姿とともに、「両親が健在でも、精神的には全くの孤児」である少年の姿も描かれている。

 このような「孤児状況」は、男女を問わず「戦後日本」においては、特殊であるどころか、きわめて普通である。その意味で、この作品の描く「死者と生者の入り混じる世界観」は貴重である。それは、かつての我々が普通に持っていたものだった。だからこそ「先祖代々の墓を守る」ことが非常に重要視されていたのだ。

 誰もが、突然、地上に存在するようになったわけではない。

 生きるという自分の歴史は、そこまで命を紡いできた多くのものどもの歴史とつながっている。その意味で、生きるというのは、常に死者たちとともに生きることであるのだが、そのような考え方も、それを感じ取る感性も過去のものとなって既に久しい。

 にもかかわらず、今でも多くの地方が「盆」としている8月15日前後の時期には、帰省ラッシュが起こる。それぞれの土地で、それぞれの土地に根付いたやり方で、盆の行事を行うために、人々は故郷を目指す。

 盆の時期、広島地方では、独特の灯籠が墓を飾る。

 初盆には白い灯籠を。初盆でなければ、色とりどりの灯籠を。

 思えば、この物語は、次の言葉によって始まっていた。

私は今、故郷に帰る新幹線の中にいる。
――中略――
「もうすぐよ。もうすぐ広島じゃけえ」(7頁)

 「盆」の時期に土地が呼び寄せるのは死者ばかりではない。生者もまた呼ばれるのだ。しかし、「かつてこの土地にいたが、今は去った者」という意味で、両者は土地にとっては同じ存在なのかもしれない。

 だから、死者と生者の入り混じるこの物語は、次のような言葉によって閉じられているる。

盆は死者が帰ってくる――そういう季節。(228頁)

 さて、SF大会が「一種の祭」であることに異論のある人は少ないだろう。

 「冠婚葬祭」における「祭」とは、「祖先に対する祭祀」のことである。

 「祭」の催しは、この世とこの世ならぬものとを結ぶためのものである。それは生者と死者とのあわいにおいて成立する。

 ならば、我々も、ともに集おう。

 SFの祭ならば、あの人がここに来ないはずはない。たとえ目には見えなくても、あの人も、あの人も、きっと来ている。もちろん、あの人も。
                             (宮野由梨香)



広島SF大全18「怪獣」「深見夫人の死」

616EX1HS3BL._SS500_岡本綺堂「怪獣」「深見夫人の死」(光文社文庫「鷲」収録)
青空文庫でも公開中

 いよいよ開催が近づいてきた。原爆テーマ以外の広島SFにも注目してあれこれと紹介させていただいてきたが、終盤にふさわしい「意外」な作家として、岡本綺堂を紹介させていただきたい。綺堂といえば、現代でもよく知られているのは「半七捕物帳」の作者としてだろう。江戸情緒を豊かに描いた作品として、「捕物帳」というミステリジャンルの先駆として、今も愛され続けている。

だがSFの側から見るならば、怪奇小説作家としての綺堂を忘れることはできない。一昨年の「静岡SF」においても、「修善寺物語」をリストアップさせてもらったし、様々な土地を舞台に怪談を書いた綺堂はとても重宝な作家といえる。

一応「怪談」として書かれたものなのだが、ミステリ作家としての個性を保ったままプロットを展開していくので、非常に独特な手触りが印象的だ。内田百閒ともまた違い、理性的に再構築されたホラーというべきもので、結果としてとてもSFに近いものになっている。

怪談であるから一応怪異が登場するのだが、この怪異が非常に理性的にふるまい、ミステリ的に策を弄して人間に害を及ぼす。時には機械的トリックすら用いて人間を陥れたりする。人間が犯人であればそこで事件は解決なのだが、怪異が相手では捕らえることもできない。その居心地の悪さこそが綺堂怪談の魅力である。

伝統的な怪談では「なぜ」害をなすのか、が読みどころになる。因果応報、つまり動機部分がじっくりと描かれるわけで、そこに情念がねっちりと込められる。だが綺堂怪談はそうではない。「どのようにして」害をなしたかは詳細に語られるのだが、なぜ害をなすのかはまったく語られずにぷっつりと終わってしまう。これが不条理感を高め、SFに近い読み味を引き出す。

それでは広島を舞台とした今回の2本を実際にみてみよう。まずは「怪獣」。SFファンとしてはいろいろと妄想を働かせてしまうタイトルだが、もちろんゴジラは出てこない。タイトルは派手だがむしろ地味で非常に技巧的な話であり、ネタバレにならないように紹介するのがとても難しい。

舞台は広島駅前の旅館なのだが、事件が起きるのはそこではなく、長崎か佐賀の鉄道駅のあるMという町の大きな旧家の旅館でのことらしい。語り手である新聞記者の「私」が、広島駅前の旅館で名物の柿羊羹をつまみながら、知人の理学博士から聞いた話。という二重構造になっている。

ところがこの博士の話が実につかみどころがない。怪談というよりは新聞の三面記事のような旧家の醜聞なのだが、登場人物の行動がどことなくちぐはぐで落ち着かない。一応怪異の仕業、であるような現象が立て続けに起きるが、偶然の一致、と片付けられなくもない。ただ、どことなく生理的に不安をかきたてるような不気味さが漂う。

調べてみたが、長崎と佐賀で鉄道駅があり大きな旧家の旅館が成り立つような「M」のつく町、にはなかなか具体例が見つからない。あえて言うなら長崎県の旧森山町(現諫早市)が該当するが、それほど大きな町ではないし、そもそもこの物語の当時はまだ鉄道が開通していなかった可能性がある。

では「私」は博士にかつがれただけで、他愛のない旅先の与太話なのだろうか。だがそれにしては話が地味すぎるし具体的すぎる。怖がっていいのかどうかもわからないささやかな怪異がかえってリアルさを強める。

ここで二重構造の意味が見えてくる。怪異の舞台は実はどこでもよい現場Xにすぎず、おそらく重要なのは外枠の「広島駅前の旅館」の方なのだろう。鉄道の輸送力が貧弱だった戦前は、関西と九州を結ぶ旅を試みるならばどうしても広島で一泊する必要があった。1894年に神戸-広島に急行が運行したが、当時は9時間を要したとのことである。本作では、九州に向かう旅行者と九州から去る旅行者が広島の宿で出会う。明治以降の近代日本において、広島は九州と関西を結ぶ中継点の役割を持っていたらしきことが分かる。鉄道という文明の力によって隔絶した文化地域が無理やり突き混ぜられ、異文化同士の干渉によって時に思いがけない怪異が発生する…しかもそうした怪異はただ起きるだけでは駄目で、どこかで語られ広まることによつて命を得る。綺堂は、中継基地・広島を、そうした怪異が語られ実体化する魔方陣のような場所と見立てたのかもしれない。

鉄道によって発生する怪異という構造は、次の「深見夫人の死」において、よりはっきりと示される。神戸行き上り列車に呉から乗り込んだ客の荷物から、生きた蛇が発見される。それも一度ではない。何度も何度も、である。さらに驚くべきことに蛇が発見されるのはなぜか決まって列車が福山に着く直前なのだという。客同士に因果関係はなく、もちろん客自身も蛇を持ち込んだ覚えなどない。まるで都市伝説のようなグロテスクな幕開けである。

蛇を持ち込んでしまった客は恐縮して詫びながら降りていく。それと入れ違いに福山から乗り込んできた若い兄妹は、その不気味な蛇の話を聞くと、なぜか真っ青になって慌てて降りてしまう。たまたまその場に居合わせた「私」は、立て続けに起きた不条理な出来事を前に困惑するしかなかった。

それから何年かして「私」は東京で大学時代の恩師を訪問し、あの不審な兄妹の妹に再会してしまう。しばらくは何事もないが、やがて妹は怪しい若い男に蛇をぶつけられるようになる。「私」は福山での一件を思い出すが、関連性がまったく分からない。蛇を投げつける男が兄である可能性が浮上するが、兄妹ともに何も語らないため、謎は深まるばかりである。「私」がなすすべもないままに、兄妹はなぜか次々と蛇づくしの災厄に陥っていく。

ここにも巧妙な二重構造がある。主人公が身に覚えのないまま直接怪異の被害を受けるのではなく、どうやら何か身に覚えのあるらしい兄妹が怪異の不条理な攻撃を受けるのをなすすべもなく見守るだけ、という形になっているのだ。兄妹は何か心当たりがあるらしいのだが、黙して語らないため薄気味悪さだけが増幅し、もどかしさが気持ち悪くつきまとう。しかも大蛇に襲われるなどの分かりやすい怪異ではなく、回りくどいにもほどがあると思えるほどに婉曲的な攻撃であるため、大変に不安が広がる。

一応、結末部で古風な因縁話めいた伝説が紹介されるが、誰一人それでは納得できまい。なぜ蛇なのか、なぜこんなにも回りくどいのかがまったく説明されていないからだ。読者は物語のあちこちをひっくり返して眺め直しながら「なぜこんなことになってしまったのか」と悩み続けることになる。

個人的には、ここにもまた、鉄道が影響を及ぼしているように感じられる。兄妹が住んでいた「福山」は、古代から広島とは別の伝統文化を持つ地域であり、江戸時代は「福山藩」という別の領地だった。現代でも福山の人は広島と同一視されることを大変に嫌い、新聞の地方版も「広島版」と「福山版」が別個に存在するほどである。ところが近代に成立した鉄道網は、分離されることでかろうじて保たれていた均衡を突き崩し、無遠慮に攪拌してしまう。結果としてそこに生まれ出るものは何か。安易な推察など及ぶべくもない。

岡本綺堂とは、そうした近世と近代の攪拌から生まれたカオスを描く作家でもあったのではないだろうか。確かに名前は今もよく知られているが、とはいえ古い作家である。名前は知っていても、実際に読んだことはない、という人も多いのではないだろうか。意外に入手は容易だ。現在では光文社のハンディな文庫版セレクションが刊行されているし、青空文庫や各種電子書籍で読むこともできる。これを機会に手に取ってみてはいかがだろう。思いもかけない近代の混沌がそこには見て取れる。(高槻 真樹)



広島SF大全17『父と暮せば』

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『父と暮せば』
井上ひさし作
1994年9月初演(こまつ座第三十四回公演)

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新潮文庫版
2001年2月1日発行

 ヒロシマ、ナガサキの話をすると、「いつまでも被害者意識にとらわれていてはいけない。あのころの日本人はアジアにたいしては加害者でもあったのだから」と云う人たちがふえてきた。たしかに後半の意見は当たっている。アジア全域で日本人は加害者だった。しかし、前半の意見にたいしては、あくまで「否!」と言いつづける。

 この「前口上」で宣言されているとおり、本作品は、原爆を主題にする他の多くの芸術作品と同じく、原爆の記憶を後の世代に語り伝えることを第一の目的としている。そして、原爆問題の難しさに正面から取り組もうとする作品の例に違うことなく、この『父と暮せば』もまた、原爆によって苦しむひとびとの救済がいかにしてありえるかを思考しようとしている。

だから被害者意識からではなく、世界五十四億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである。

原爆の悲惨をくぐりぬけたひとが、いったいどうやってもう一度笑えるようになるのか。そもそもほんとうにもう一度笑えるようになるのだろうか。首肯するには大きな勇気の必要なこの問題に対して「然り!」と、井上ひさしは力強く断言する。「被害者意識」からではなく、「あの地獄」から目を背けるわけでもなく、なお原爆を語り継ぐこと。その井上なりの思索の結晶が、本作である。

 舞台は昭和二十三年の七月。広島市は比治山の東側。福吉美津江の家。稲光におびえ、家に駆け込んでくる美津江のすがたから、物語ははじまる。「おとったん、こわーい!」。すると押入れのふすまが開き、お父さんの竹造が手招きする。「こっちじゃ、こっち。美津江、はよう押入れへきんちゃい」。思わず笑みがこぼれてしまうような、何ともユーモラスでテンポの良い進行に、冒頭から観客は引き込まれずにいられない。とはいえ、先の展開を知る観者なら、このユーモラスな場面の裏に、すでに悲しい設定が仕掛けられていると承知している。美津江は、もともと「ドンドロさん」がいくら鳴ろうと平気で運動場を走り回っていたくらい、お転婆な女の子だった。その彼女が雷を恐れるようになったのは、三年前のことである。あのピカの日から、美津江は雷をこわがるようになったのだった。しかし、ほんとうに悲しさを感じさせるのは、雷をこわがる美津江をなだめる「おとったん」のすがたに他ならない。そう、竹造は、原爆の落ちたあの日に死んだはずなのだから。

 「こげえド拍子もない話があってええんじゃろうか。こげえ思いも染めん話が……」。死んだはずのおとったんが突然あらわれ、美津江は困惑する。けれども、ほんとうを言うと、当の美津江自身が父を呼び出したのだ。美津江のつとめる図書館に、原爆資料をさがしにやってきた木下という青年。この木下さんの一途な様子を見て、ときめいた美津江の恋心から「おとったん」は生まれたのだ。

竹造 […前略…]あの日、図書館に入ってきんさった木下さんを一目見て、珍しいことに、おまいの胸は一瞬、ときめいた。そうじゃったな。
美津江 (思い当たる)……。
竹造 そのときのときめきからわしのこの胴体ができたんじゃ。おまいはまた、貸出台の方へ歩いてくる木下さんを見て、そっと一つためいきをもらした。そうじゃったな。
美津江 (思い当たる)……。
竹造 そのためいきからわしの手足ができたんじゃ。さらにおまいは、あの人、うちのおる窓口にきてくれんかな、そがいにそっと願うたろうが。
美津江 (思い当たる)……。
竹造 そのねがいからわしの心臓ができとるんじゃ。

 美津江の恋心から、「恋の応援団長」として竹造が呼び出された理由。それは、彼女が自分のことを「しあわせになってはいけない」人間だと思い込んでいることにある。「あんときの広島では死ぬるんが自然で、生きのこるんが不自然なことやったんじゃ」。だから、彼女が生きていることはおかしい。自然の摂理に反する不道徳だ。美津江はそう思い込んでいる。というより、そう思い込もうとしている。自分で自分を断罪してふしあわせに生きるなら、愛していたひとびとを失った絶望を「罰」に引き換えて、過去と折り合いをつけることができる。そう信じているからである。けれども、このとき美津江が忘れていることがある。原爆で死んでいったひとびとは、彼女がふしあわせになることを望んだりしないということである。そして、原爆に殺されたからと言って、亡くなったひとびとの全人生が悲惨と決めつけられるわけでもない。それでもなお原爆の死者たちを哀れみ、ひるがえって生きのこった自分自身をさげすむなら、それこそむしろ死者たちを冒涜する行いなのではないだろうか。だから、美津江が必死に「知らないふり」をして、押し隠そうとしている気持ちが、戯曲の中で対話の相手となってあらわれる。美津江を論駁することでかえって彼女を救済するような、ほんとうの善の顕現として。

**

 井上ひさしは、あとがきで自作について解説して、「劇場の機知」という言葉を用いている。1996年に『父と暮せば』のフランス語訳が刊行され、さらにその翌年にフランスで舞台が上演されたとき、当然ながら、この戯曲の持ち味のひとつである広島弁のおもしろさは失われてしまった。しかし、言語の壁をすんなりとすりぬけて、伝わっていくものもある。井上はそう説明する。劇中の人物たちが言葉を紡いだり、身体を駆使したりすることで舞台の上に実現するような特別な時間、特別な空間――演劇的時空間がそれだ。演劇のテーマとは、単に台詞の字義から理解されるだけのものではなく――もしそうだとしたら、広島弁で綴られるこの戯曲は、広島のひとたちにしかわかってもらえない――むしろ、舞台の上でこそ完全なかたちを得て、観客に伝達されるものである。演劇でしか実現できない時空間をつくりあげるためのアイデア。あるいは、演劇の時空間の中でしか描き出せないような特別な主題。それが、井上ひさしの言う「劇場の機知」である。

 あとがきの説明の裏で、井上のほんとうに言いたかったことは、もうおわかりだろう。自分は、世界中のひとびとに広島のことを訴えるため、舞台を通して普遍的に伝達可能なもの――「劇場の機知」に、原爆というテーマを仮託した。そう彼はほのめかしているのである。被爆の苦悩から救われることと、原爆の悲惨を語り継ぐこと。このふたつの問題は、『父と暮せば』の「機知」において交差する。ではその機知とはいったいどのようなものだろうか。それは「一人二役」という手法だと井上は語る。

ここに原子爆弾によってすべての身寄りを失った若い女性がいて、亡くなったひとたちにたいして、「自分だけが生き残って申しわけがない。ましてや自分がしあわせになったりしては、ますます申しわけがない」と考えている。このように、自分に恋を禁じていた彼女が、あるとき、ふっと恋におちてしまう。この瞬間から、彼女は、「しあわせになってはいけない」と自分をいましめる娘と、「この恋を成就させることで、しあわせになりたい」と願う娘とに、真っ二つに分裂してしまいます。

この「願う娘」と「いましめる娘」の対比が舞台上に落とし込まれるとき、父と娘、ふたりの登場人物の対話劇という形式が選ばれることになる。父は、娘の願いを叶えるため、この願いをいましめようとする彼女自身をいましめるために生まれた、もうひとりの美津江なのである。

 もちろん、井上の仕掛けをあらかじめ知っておかないと、観客はドラマを理解できないわけではない。それは劇の中で、ふたりの会話から、ふたりのやりとりから発する摩擦熱を通して観客に――言語の違いを乗り越えて――おのずと感じ取られる。竹造が「願う娘」であるとは、どういうことか。美津江が必死に押し隠している気持ち、言いたくても言えない言葉を、父が娘の代わりに語ってくれるということである。だから、父の語る言葉は、ときに残酷である。終戦から三年経ち、とにかくも日常の生活を送る美津江が必死に目を背けつづけようとしていることを、父は敢えて言葉にするからだ。父の語る言葉は、優しく、茶目っ気たっぷりで、笑いにあふれてもいる。原爆以来、性格がすっかり変わって、無口で愛想なしで、伏し目がちの女性になってしまった美津江がなくしたもののすべてを、父は大切にとって置いているからだ。父の語る言葉は、優しく、残酷で、力強さに満ちてさえいる。美津江が木下さんに宛ててしたため、けっきょく捨ててしまおうとした手紙を、竹造は「おとったんの命令」と言い、投函するよう彼女に強制する。父の命令を聞いた美津江は、声をあげて泣きじゃくる。まるでだだっ子のように。しかし、この父と娘のすがたを通して、自分自身を罪しようとするひとりの人間の苦しみと、罪の苦しみから救われることの痛みとは、たしかに観客に伝わるに違いない。それこそが「劇場の機知」に他ならない。

***

 「おまいはわしによって生かされとる」。美津江のかたくなな心を解きほぐすため、竹造はこう宣言する。この竹造の言葉は、まさに〈御父〉のそれと言って良い。でもそれと同時に、竹造が「美津江のこころの中の幻」でもあるということは、けして忘れてはいけない。いったいどうして美津江の中の「願う娘」は、父のすがたをとってあらわれたのだろうか。言うまでもなくそれは、美津江が父を愛していたからだ。もし「願う娘」が、美津江と同じすがたであらわれるか、それとも、彼女の友人なり知り合いなり誰か別のひとのすがたであらわれるかしていたなら、彼/彼女らは「いましめる娘」を言い負かすどころか、かえって同調していたのではないだろうか。「いましめる娘」に同調して、怨嗟の声をあげ、のうのうと生きおおせた美津江を糾弾していたのではないだろうか。けれども美津江は、「おとったん」が自分にたいしてうらみごとを述べたり、しあわせになるのを妬んだりする光景だけは、どうしても想像できなかった。だから、「願う娘」は父となってあらわれ、美津江自身にみごと打ち勝ったのである。

 原爆の投下という歴史上の或る地点、或る時点で起きた特殊な事件と、その事件の災禍をいかにして別の時代、別の国のひとびとに伝えていくかという普遍的な問題とのあいだに、「家族の愛」という特殊でも普遍でもあるような第三のテーマが、楔のごとく打ち込まれている。「こよな別れが末代まで二度とあっちゃいけん、あんまりむごすぎるけえのう」。原爆によって多くのひとびとが、とてつもなく残酷なかたちで愛しいひとと引き裂かれた。その悲しみ、その残酷さを考えることが、原爆の記憶に向き合うためのひとつの出発点になる。自分たちが何のために、どんなことを語り継ぐのかというそもそもの目的をしっかりと見据え、忘れないための出発点である。原爆を糾弾して、その悲惨を訴えることに理由があるとすれば、それが愛でなくていったい何だろうか。愛が原爆の悪を克服する――こうして書いてみると陳腐きわまりない文句に見える。しかし、たぶん、それはありえることなのだと思う。というより、思うしかない。少なくともぼくには、美津江の論理に反論するすべは見いだせない。彼女が「おとったん」に寄せる完璧な信頼に、異論を差し挟む余地は見つからない。だとすれば、美津江はとてもしあわせなひとなのだ。原爆の悲惨をくぐりぬけてなお揺るぐことのないしあわせが、彼女と共にある。だから、こう言わなければならない。美津江といっしょに、美津江と同じしあわせを見つける日、人類はほんとうの意味で原爆に勝利する、と。(横道仁志)



広島SF大全16 『一町八反日記』

広島SF大全15 『一町八反日記』(明智抄)

一町

((株)ぶんか社 2012年9月1日 電子書籍版発行)

 やはり「広島SF」だった。
 おかげで、他の仕事がちっともはかどらない。困る。

 評論に私事を持ち込む奴は嫌いだ。執筆の裏事情とか、そんなものに興味はないし、読もうと思わない。説教したい衝動にかられて苦しいではないか。いかん、いかんよ。評論とは客観的なものだよ。誰が読んでも納得できるような根拠と論理性をもって記述すべきなんだよ。小学生の感想文じゃないんだから!

 私、宮野由梨香がこう考えていたのは、たぶん十代の頃からであっただろうが、もちろん今(五十代だよ♪)だって変わっていない。であればこそ、組織の中でそれなりの位置を獲得した今があるわけだ。同僚に「ワーカホリック」とか言われながら、仕事に私事を持ち込んだりせず、ずっとやってきたのだよ。

 だけどね、小学6年生の次女の運動会を見に行くくらい、いいんじゃない? もう、これで宮野の人生に「子供の小学校の運動会」はないし! しかも今年はその日に休んでも、仕事にほとんど影響がないんだよ。……ってことが確定したのは、運動会の前々日の5月23日のことだった。

 「青天の霹靂、優曇華の花、盲亀の浮木」と夫は言った。「私の時は、来てくれなかったくせに!」と中二の長女は怒った。「ごめんね。…じゃ、お弁当は、お姉ちゃんのリクエスト優先で♪」と、宮野は言った。「え? いいの??」と、長女は目を輝かせた。

 「『サンプル・キティ』のお弁当がいい! ああいうの、つくって!!」

 宮野の目が点になった。『サンプル・キティ』って、あの明智抄の? あの作品に出てくる食べものといえば、ヤキソバしか思い当たらないぞ。いや、お弁当といえば、「もしかして、あの動物園で食べていた…?」

 「うん!」

 それで、久しぶりに『サンプル・キティ』を開いた。お弁当の絵は110頁(ソノラマコミック文庫版・第一巻)にあった。「このおかずは、レンコンのきんぴらと、……この巻いてあるのは何かなぁ?」「あ、おかずは、唐揚げとエビシューマイとブロッコリーがいいな♪」「この絵は、そうは見えないけど」「違うの。こんふうに、お重に詰めて欲しいの」

 「もしかして、あんたのこだわりどころって、『お重』なの?」「うん。お重でね、おにぎりは、こんなふうに三種類を三列に並べて欲しいの♪」 宮野は脱力する。「だったら、最初っから『お重に詰めて、』って言えばいいでしょう!」

 「だって、『サンプル・キティ』の絵が浮かんだんだもん」

 『サンプル・キティ』は、明智抄のSF少女マンガの傑作である。ヒロイン小夜子の兄はマインドコントロールの能力を持つ超能力者であった。この動物園での弁当のシーンで、小夜子は衝撃の事実を知る。夫が小夜子と結婚したのは小夜子の遺伝子を監視するためだということ、かつて盗まれた自分の卵子が既に軍事利用されつつあること。平凡な主婦のはずの小夜子の日常が、いきなり非日常に浸食される場面だ。家族で過ごす動物園の平和な情景が一転して種の遺伝子管理の戦場と化す。小夜子はショックのあまり、立ち上がることもできない。

 こんなシーンのお弁当だぞ! わかってんのか、長女!!

 5月25日(土)、運動会当日は快晴だった。お重に詰めた弁当はずっしりと重かった。次女は出場やら応援やら係の仕事やらであちこちに出没していた。長女は保護者席で日傘を差しながらウルウルしていた。「ずっと、こういうのがやりたかったの。神さま、ありがとう」 私はちょっとムッとする。

 違う! 「おかあさん、ありがとう」だろうがぁっ!!

 何かと言えば「神」とか「運命」とかを持ち出す奴が、私は嫌いだ。そういうのって、つまりは「人知を超えたもの」を設定してそいつに責任転嫁がしたいわけでしょう? 自分に自信がなくてさ、自分に自信をつけるような努力をする代わりに架空の存在を設定してすべてをそのせいにしようという魂胆が美しくない! そういう奴って、単なる偶然をさも意味のあることのように拡大解釈する癖があるよね? 現実逃避型思考のバカ、大バカ者だわ。あああっ説教してやる! そういうのはマチガっとるよぅ! もっとこう、現実を見据え、受け入れて、まっすぐ見たり受け入れられない場合は、何がネックになっているのか、それはたいてい自分のトラウマであったり弱点であったりするわけだから、それを見つけ、癒し、尊敬&信頼できる自分になるために地道で地味だけれど大切で確実な努力を、神頼みやら運命論やらにハマっている人々はおこなうべきなんだ。それが生まれてきて、生きていく人としてのあるべき姿なのではないか、と私は常日頃から考えている。……というようなことを長女には言わなかった。さすがに不憫だったからだ。

 さて、運動会の夜、娘たちは夕食を食べてすぐに寝てしまった。 私は「明智抄」に関してネット検索をかけてみた。新刊がでていないか、確かめたくなったのだ。そして、『一町八反物語』の存在を知り、すぐに購入した。「電子書籍」なので購入ボタンを押してすぐに読むことができた。 こう始まる。

8年前
東京生まれ東京育ちの夫を連れて
広島山間部の自分の実家に帰り
両親と同居を始めた明智です
実家は稲作農家で
父 大正15年生まれ
母は昭和7年生まれ

 かくて、繰り広げられる物語は「稲作日記」である。あらおこし・塩水選・種蒔き・代かき・田植え・草取り・水の管理・病害虫駆除……稲作をめぐる話題は尽きない。登場人物は、稲作ベテランの両親、マニアックなまでに稲作に積極的な大学教師の夫、農家の娘でありながら稲作ほぼ素人の主婦兼マンガ家の妻、前夫との息子、今夫との娘。広島の山間部にくり広げられる具体的なエピソードのひとつひとつに現実の重みが感じられる。それと同時に、どこか飄々とした不思議な味わいもある。

 「これ、広島SFじゃないの!? 次のアップに向けて、私、書くわ!!」

 と、一気に読み終えた『宮野』が叫ぶ。「稲って植物は、存在自体がSFだと思っていたのよ。連作障害が起こらない作物なんて、例外中の例外だわ。人類の定住を促したのは稲よ。稲作というのがいかに高度なテクノロジーかが、これ、読むとわかるわ」 あわてて、宮野は『宮野』をなだめる。「落ち着いてね。「広島SF大全」の今度の担当者はあなたじゃないのよ」 『宮野』は、こともなげに言い放つ。「ああ、そうね。でも、書くことになるわよ」 「……何を根拠にそんな」 「ここ1週間の流れを思い出してみて」 1週間? 何かあったか?? 「Iさんが腰痛だったわよね」 そうだった。同僚の温厚で博学な紳士Iさんは腰痛が持病なのだ。「あなた、こう尋ねたわよね。『腰痛って、直立歩行のせいですか?』って。そしたらIさんは『いや、農耕牧畜のせいです。腰痛の歴史は稲作とともに始まります』って」  そう、あれは火曜日だったから5月21日のやりとりだ。

 「翌日の水曜日には、あなた、唐突にSさんに話しかけたわね?」 わああっ、思い出した。廊下ですれちがいざまに、確かに私はこう言った。「連作障害が起こらないのは稲だけですか?」 そしたら、返事はこうだった。「水稲だけです。陸稲は連作障害を起こしますからね。だから、田んぼってすごい発明なんですよ。主食を毎年作って、しかも連作障害を起こさない仕掛けですから」

 どうして自分がそんな質問をするのかよくわからなかったが、しかし、これを「流れ」とか言われてしまうと、がぜん反発したくなる。 「書くことになんかならないし、書かせるわけにもいかないわよ。前回、書いたばかりじゃないの」 「だって……」 「それより、今、書くべきものが別にあるでしょう?」 「………。」

 すっかりヘソを曲げた『宮野』はストライキに入ってしまった。 おい、それ、困るんだよ。 宮野に評論は書けない。宮野は、有能な職業人かつ常識的な二児の母にして貞淑なる人妻である。評論などという呪われたものは、もっぱら『宮野』が書いているのだ。『宮野』が書かない時は仕方なく宮野が書くんだけど、そうすると、ロクでもないものしかできない。これは今までに何度か経験・実証済みである。 「わかった。「広島SF大全」にあと一回くらいなら書かせてもらえるだろうから、次回以降に入れてもらおうね。」

 「ダメだもん。6月1日アップ分だもん。それしか書かないもん。私が言うんじゃないもん。載りたいって言っているのは、この子だもん」
この子とは『一町八反日記』のことらしい。 「どうして6月1日にそんなにこだわるの?」 「知らないの? 6月1日は『気象記念日』よ。稲作に気象がどんなに大事かなんて言わせたいの? 早く書かなきゃ! アップが間に合わなくなっちゃう!!」 冗談じゃない、しっかりしろ『宮野』。 宮野が悪かったわ。実存的な我慢が積み重なっていることはわかっているわよ。もう、書いた原稿を無理矢理とりあげてデリートしたりしないから正気にかえって。関係ない人を妄想に巻き込むのは、やめてぇ。 そうだ! 「宮野由梨香の受賞作は背理法を用いた論です。そのつもりで読んで下さい」って、今からネットに流そうか? そうしたら少しは気が晴れるんじゃない?

 「あれはあなたの受賞作。私には関係ないわ」 しゃらりと言う。なんて勝手なんだ、ついこの間まではすごくこだわっていたくせに。だが、本当らしい。『宮野』に意識をスライドさせてみた。ただ『一町八反物語』について書きたい、書かなくてはならないという思いだけがひたひたと満ちてくる。これって、どこから来るんだろう?

 「どこからって、決まっているじゃないの。作品というのは、通路のようなものよ。そこを通ってパワーはやってくるのよ」 つ、ついていけない。巻き込まれる前に、宮野に意識を戻す。

 「だって、この作品舞台の土地が、この人とこの夫を結びつけて呼んだってことは明白じゃない? そのことは書いてあげなくてはいけないと思うのよ。それに、この子も『書いて』って言っているんだから」  全く『宮野』らしい発想だ。妄想はいい加減にしろ、馬鹿女。確かに、稲作農家の娘であるこの人と、稲作に対してマニアックなまでに積極的な夫が、いかなるシンクロニシティの連続によって結びついたかは、「笑う『私』、壊れる私」(『彗星パニック』(廣済堂文庫・2000年)所収)に書かれているがなぁ、それも「小説」だよ? ある程度は事実を踏まえているらしいが、そもそもが小説とは根本が虚構なのだからして、それが土地の仕業だなんて、その発想自体がどうかしているわよ。

 こうして宮野と『宮野』は和解せぬままに数日をすごし、そして5月29日に「6月1日アップ予定の原稿執筆者」からメッセージが届いた。執筆がはかどらず原稿が間に合わないかもしれないとのことであった。 た、単なる偶然よ。よくあることよ。ここで動揺しては『宮野』の思うつぼ。せめて宮野がしっかりしなくては。 『宮野』は含み笑いをしながら言う。

 「『間に合わなくっていいから』って、伝えてよね」

 わあぁっ、書くなってば! 書き始めていいなんて言ってないぞっ!! しかも、パスティーシュ!? それって明智抄の読者じゃないと意味わからないからっ!

 でも、……まあ、いいか。『宮野』の要求どおり、そう伝えてやっても。どのみち、この原稿をアップするまで、もう他のことは考えられないのだし。

(宮野由梨香)

彗星

キティ



広島SF大全 15『百億の昼と千億の夜』 

最新版(引用はこの版によった)

初出〈SFマガジン〉・1965年12月号~1966年8月号

→ 日本SFシリーズ(早川書房)・1967年1月

→ ハヤカワ文庫・1973年4月

→ 角川文庫・1980年10月

→ ハヤカワ文庫新装版・1993年7月

→ 角川文庫復刊改版・1996年12月

→ ハヤカワ文庫新装版・2010年4月

 

光瀬龍の代表作『百億の昼と千億の夜』(以下、『百億』と略記)は、非常に世評の高い作品であり、またよく読まれている。

初出は〈SFマガジン〉1965年12月号〜1966年8月号である。 1965年といえば、日本SF作家クラブによる東海村原子力発電所の見学が行われた年だ。星新一が受付係員に「所長の原子力(はらこ・つとむ)さんにお目にかかりたい」と言ったエピソード(註1)等で有名であるが、もちろん、ここでの第一世代SF作家たちのいささか常軌を逸した発言や振る舞いは、いかに彼らが「原子力エネルギー」の問題にこだわっていたかということの表れである。

例えば、『百億』は、次のような海の描写から始まる。

寄せてはかえし

寄せてはかえし

かえしては寄せる波の音は、何億年ものほとんど永劫にちかいむかしからこの世界をどよもしていた。                                     (九頁)

散文詩のようなリズムに幻惑されて、つい読み過ごしてしまうが、よく考えてみると奇妙である。地球の海が「ほとんど永劫にちかいむかし」からあったわけではないことを、我々は知っている。地球の歴史(約46億年)よりも、宇宙全体の歴史(約137億年)の方がずっと古い。また、この「序章」の締めくくりの部分に、「時に終りがあるとすればその時まで。/ただ/寄せてはかえし…」とあるが、もちろん地球の海がそこまで長持ちするわけがない。海が無くなっても地球は存在し続けるだろうし、地球が無くなっても宇宙は無くなりはしないだろう。

名作にケチをつけようとしているのではない。高校で生物と地学を教えていて、そのようなことは百も承知だった光瀬龍が、どうしてこのような書き方をしたかを「読む」べきだと言いたいのだ。

この「海」が物理的に存在する「地球の海」のことではないことは明白である。もっと象徴的な意味をもつものなのだ。

生命は海から生み出された。認識主体としての「生命」がないところに、存在も時間もない。だから、宇宙は生命とともにあり、生命は海とともにある。生命の歴史の終わりはそのまま宇宙の終わり、時間の終わりでもある。

この「序章」はそういった主張を表現したものとして読むことができる。というより、そうとしか読めまい。

そして、次の「第一章 影絵の海」で描かれるのは、豊穣な生命に満ちた海が一転、死の海と化す情景である。

「海の中はあらゆる音で満ちている。」という書き出しで始まるこの章は、まず「海に棲むおびただしい生物たちのつぶやき」の描写から始まる。

それが、ある日、それまで見たことがない異様で巨大なものを見た後、次のようになる。

一匹の魚族も、ひとかけらの海草もなく、ただ古い貝殻をすき間もなく貼りつけた岩礁と、灰白色の裸の砂とが薄明の水中に死のような静寂をただよわせているばかりだった。

海底をおおってたなびいていたさまざまな海草は、いったいどうなってしまったのだろう?

砂泥に小さな孔をうがって、美しいえらを咲かせていたにぎやかな虫たとは、いったいどこへいってしまったのだろう?

そして甲殻類も、凶暴で勇敢な大きな軟骨魚類も?

くらい海底には、はるかな荒磯にくだける波の音と、岩磯の間をゆっくりと流れ動いてゆく潮流のまさつ音だけが、高く、低く、伝わってくるばかりだった。

おびただしい動物たちの発するさまざまな音は、全くどこからも聞えてこなかった。                                            (36頁)

『百億』で繰り返し描かれるのは、この種の、いきなり理不尽に襲い来る破壊であり、破滅である。

それには光瀬龍の戦争体験が、そして「ヒロシマ」が大きく影を落としている。

「原子力エネルギー」とは、こういった破壊を現実化し得るようなものだった。

『百億』が書かれる3年前に「キューバ危機」(1962年)があった。世界は「冷戦下」にあり、核戦争勃発の危機感は、今よりはるかに大きく切実だった。「科学に対する行きづまりのようなものを真剣に考えていた」と光瀬は自分の問題意識を語っている。(〈SFマガジン〉1963年10月号)

さて、ここで考えてみたい。

この第一章の題名はなぜ「影絵の海」なのだろうか?

まず、思い浮かべるのは、プラトンの有名な「洞窟の比喩」である。我々は真なるものの影絵を見ることしか許されていないという、「イデア論」の説明に使われる寓話である。

イデアは客観的存在としての実在だ。つまり思考内容ではなく、思考者の外にある思考対象だからだ。                                    (53頁)

「第二章 オリハルコン」に登場するプラトンは、「イ、イデアは不変でしょうか」というエイモスの問いに、こう答えた。

我々が見るのは「客観的存在としての実在」ではなく、常に「影絵」だ。

我々は「客観的存在としての実在」を求めてやまないが、得られるものは常に常に「影絵」なのだ。認識というものが、ある種の「取り出し」によって成立する以上、我々が接するもののすべては我々の脳内に描かれた「影絵」である。

私はこれまでずっと、「影絵の海」とはそのような含みを持たせた表現だと考えて、この章を読んできた。そうとしか考えなかった。

しかし、「広島SF大全7」で藤元登四郎氏の書かれた「影の重なる時」に関する文章を読んで、「影絵」の「影」には、さらに重要な意味がこめられている可能性があることに気がついた。

光瀬龍はブラッドベリの『火星年代記』への傾倒をあちこちで語っている。たまたま手にした『火星人記録』(『火星年代記』の最初の邦訳での題名)に深い感銘を受けたという。(註2)。

その中の一章である「優しく雨ぞ降りしきる」に、次のような部分がある。無人の街の無人の家で、ただ住宅メンテナンス・システムだけが稼働している。サービスを受けるべき人の姿は、壁に焼き付けられた「影絵」として描かれている。

建物の西の側は、ただ五個所だけを残して、まっ黒だった。此処には、芝生を刈っている男の影が、クッキリと白く、浮いて残っていた。此処には、また、まるで写真のように、身をかがめて花を摘んでいる女の影があった。そして、更に、もっと向うには、あの恐ろしい爆発の瞬間に壁面に灼きつけられた三つの影があった。その一つは、小さな男の子の影であった。両手を高く空に上げている。その上の空には、抛げ上げられたボールの円い点。そして、その男の子の影とむかい合って、ひとりの少女の影がある。これもまた、両手を空に、永久に落ちては来ないボールを受け止めようとする姿勢なのだ。

(『火星人記録』(レイ・ブラドベリー作 齋藤静江訳 元々社 最新科学小説全集10 1956年刊)(註3)

この部分に対する「ヒロシマ」の影響は、改めて指摘するまでもないだろう。この一家が「影」になってしまったのは、原子爆弾の爆発のためであるのだから。

「影絵の海」というのが、こういったことを意識しての表現だとすると、「序章」と「第一章」はセットになって、次のメッセージを伝えるものとなる。それは、世界は二重の意味で「影」であり、すべては既に終わっているものだというメッセージである。

光瀬龍にとって、世界はそのようなものとして認識されていたのだろうと考えることは、そう突飛な考えではあるまい。「終わっている」という前提のもとに出発せざるを得なかったのが、1928年(昭和3年)に生まれた彼の人生だったのだ。(註4)

自分の人生は、既に終わっている。

人類も地球も、宇宙全体も、既に終わっている。 しかも、生命=認識主体のないところにそれらは「ない」のだから、つまり、すべては虚無なのだ。

『百億』という作品は、そういった認識から出発し、成立している。

この認識は、「仏教的」無常観とは、似て非なるものである。むしろ、これは近代的な「コギトの病」(註5)の行き着くところとして読むべきものであろう。

 〇

光瀬龍は、亀井勝一郎の熱心な読者だった。

光瀬龍は、東京教育大学「動物学科」に合格した1949年の東京教育大学の入学試験問題について、次のように書いている。

国語は、私の好きな文章で、亀井勝一郎氏のエッセイだった。私はその文章を暗記していた。

(「ロン先生の青春期 見果てぬ夢を」(旺文社〈高一時代〉1980年1月号245頁)

そのおかげで無事に合格できたというわけである。「暗記していた」というところに、ただならぬ傾倒ぶりがうかがえる。

『百億』について考える上で、このことは非常に重要である。

『百億』の「阿修羅王」は、興福寺の阿修羅像から発想を得たと光瀬龍は述べている。(註6)

亀井勝一郎は昭和10年代に奈良の仏像に関する文章を多く書き上げているが、彼の「処女作集」とされる『人間教育』(昭和12年・野田書房)の中に興福寺の「阿修羅像」に関して次のような記述がある。

阿修羅の大胆な構成のうちには、若々しい精神の錯乱がみられるが、こまちやくれたところや打算的なところは微塵もない。全力をあげて世の激浪に身を投げうつ気概にみちあふれてゐる。どのやうな奇怪な姿をしてゐようと、精神は素直である。青年の情熱と不安とをかくも見事に表現した作品を見せつけられるのは苦しいことだ。

(『亀井勝一郎全集 第6巻』154頁)

この『人間教育』という本は、戦前の学生の間で広く愛読されたものである。

阿修羅像に関しては、この引用箇所の前にもかなり詳しい描写がなされている。その内容は、この『人間教育』という本の問題意識と直結している。

その問題意識とは、次のようなものであった。

死せるがごとく生きることを欲せず、さうかと云つて人類の未来を信じない人間が、生きてゐることは怯懦であり、その生存について語ることもまた無意味ではないかと。かやうな場合に人が遭遇したならば、まづ率直に彼は自分に対し最後の問ひを発せざるをえまい。「それでもおまへはこの地上に執着するか」と。然りか、否か。

(「序章 精神の危機と再生について」『亀井勝一郎全集 第6巻』25頁)

この「最後の問ひ」に「然り」と答えている姿を示したのが、興福寺の阿修羅像なのだという。

「人類の未来を信じない」とは、言い換えると、我々が既に「影」であるという認識を持つということである。

「死せるがごとく生きる」とは、『百億』で言うならば、「ゼン・ゼン」の住民たちのように生きるということである。

「ゼン・ゼン」の住民たちのありように関しては、たとえば、次のようなやりとりがある。

「生理的なパターンだけが記号化されて保存され、それが人工肉体に封入されてあらわれたからといって、それが人間だ、いや生物だと言えるか!」

シッタータは鉄さび色の嘔吐感をこらえながら言った。

《オマエ自体ガソウデナイト言エルノカ? オマエノ故郷ノ星モ、オマエノ生活モ、マタ、今、オマエノ目ノ前ニクリヒロゲラレテイルサマザマナデキゴトモ、スベテ幻想ノ所産でナイト、オマエハ言イキレルカ?》

「それは観測の結果がすべての人にとって普遍的であり……」

《ソノスベテノモノガ集団幻覚ニヨル仮構ノ世界ニ在ルトシタラ》

「そんな」 《現象ハケッシテ実態ノ投影デハナイ。観測ノ技術モ方法モ、ソレヲ確認スル手段ハアルマイ》

「それでは不可知論に終始してしまうではないか」

《フカチトハナニカ 。フカチトイウカラニハスデニ、認識ヲゼンテイトシテイルノカ》                                         (343頁)

そう。反論できない。そのように生きて悪い理由はどこにもない。しかし、だとしたら、今すぐ死を選んで悪い理由だって同じくどこにもないのである。むしろ「生きてゐることは怯懦」であろう。そして「生存について語ることもまた無意味」だ。その認識は、人を「最後の問ひ」へと導く。

「阿修羅王」は、「ゼン・ゼン」における生のあり方を否定し破壊し、「最後の問ひ」に「然り」と答える者だった。

うっかりすると、これは「現実を見よ」「リアルに生きよ」というメッセージに見えるが、そういうことではない。阿修羅王の戦いこそがそもそもヴァーチャルなものである可能性を持つものとして、最初から描かれていることに注意してほしい。

「認識というのは情報処理の一つの結果にすぎない」(161頁)と言い放つ阿修羅王は、悉達多太子に自分の軍勢の数を訊かれて「さあ、私にもわからぬ。六千万ともいうし、六十億ともいう。帝釈天のひきいる兵と戦ってすでに四億年。一人倒されれば二人になり、二人うたれれば四人ふえ、その数は今では私でさえ正確にはつかめない」(166頁)と応える。また、悉達多太子が阿修羅王に出会う直前の描写に「それは惨憺たる戦場の夜景に違いなかった。しかしふしぎにそこからは戦うものどうしの恐怖も不安も感じとることができなかった。それは絵に描かれた戦いに似ていた。静かな、最小の動きだけですべての作業がすんでしまう冷たい計算と冷酷な演出だけが、そこにはあった」(154頁)とある。そもそも、阿修羅王を帝釈天の軍勢が取り囲む活劇シーン(391頁)さえ、実は「心理攻撃」である。

自分の戦いもヴァーチャルかもしれない、いや、確実にヴァーチャルなのである。

体験できることというのは、つまりは認識できるのだから、認識を通して存在するものなのだ。つまり、どこまでも「影絵」である。

逆説めくが「生きること」が認識可能なのは、それがヴァーチャルなものであるからこそなのだ。そして、それは有限だということでもある。

逆に、「死」はバーチャルなものではない。だから、死は体験できないし、死を認識することは不可能である。自分の死を自分で認識できるかを考えてみるとよい。

そして、「死の世界」は無限であり永遠でもある。もともとが虚無なのだからして、時空の限界も何もないのである。

『百億』という物語は、以上のような認識論に支えられている。

「それを承知で、生き続けるか、それとも否か」という質問への答えが、「阿修羅王」だった。

これは「仏教的」無常観ではない。非常に近代的な認識論であり、思想である。二つの世界大戦を通り過ぎた「人類の今」を見つめた思惟の表現である。ヒロシマを体験した後の人類の問題を、光瀬龍は考えようとしているのだ。

興福寺の阿修羅王の姿は、本来、「帰依した姿」を写したものであった。だが、光瀬龍にとって阿修羅王は絶対に「帰依」してはならなかった。だから彼は「阿修羅王が決して帰依しない物語」をデッチあげた。しかも、それを「経典」と偽った(註7)。その姿勢の意味を、やはり我々は「読む」べきであろう。

また、『百億』が書かれた1965年頃は、TVがどんどん生活の中に入り込んでいった時代でもある。1962年に『幻影の時代 マスコミが製造する事実』(D.J.ブーアスティン 1962年)(註8)という本が書かれている。『百億』には、こういった「疑似イベント」に関する同時代的な問題意識も反映されている。

本質的な意味において、きわめて重要な「広島SF」……それが光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』の相(すがた)のひとつなのである。                                          (宮野由梨香)

 

歴代の『百億の昼と千億の夜』

 

(註1) 最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)347頁)

 

(註2)「火星年代記から漢書に托したもの」(大橋博之編『光瀬龍 SF作家の曳航』(ラピュータ)146頁)等。

 

(註3)註2において、光瀬龍が武蔵小山駅前のゾッキ本屋で買ったとされている『火星人記録』から引用した。作者名は「レイ・ブラドベリー」という表記になっている。

 

(註4)「見果てぬ夢を」(大橋博之編『光瀬龍 SF作家の曳航』(ラピュータ))等参照。

 

(註5)近代認識論の祖、デカルトが「われ思う、故に我あり」(コギト エルゴ スム)において、思惟する主体を「我」と無条件で規定してしまい、その前提を無意識的にに不問にしてしまっていることを、近代人の共通に持つ「病」であるととらえた概念。

 

(註6) 旧ハヤカワ文庫版『百億の昼と千億の夜』巻末「あとがきにかえて」。 ここで紹介される「経典」において、阿修羅王は決して「帰依」していないところに意味があると考えたい。

 

(註7)拙稿「阿修羅王は、なぜ少女か」(〈SFマガジン〉2008年5月号〉参照

 

(註8)1964年に、星野郁美・後藤和彦による邦訳〈東京創元社〉も出版されている。



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